18ワン
勇者パーティー初陣!
ハキュネを出て、三日目。
街道は次第に緩やかな丘陵地帯へと変わっていった。木々が増え道の両側から深い森が迫ってくる。
「この先、街道が森を抜けます」
エウロパが地図を確認しながら言った。
「以前から野盗や魔物の目撃情報が多い区間です」
「野盗……」
ソラの手が無意識に剣の柄に触れた。
「油断はしないように」
俺はソラの足元で、鼻をくんと動かした。
木々の匂いに、混じって何か獣の匂いがする。
それも、一匹や二匹じゃない。
*
「止まってください」
森の中ほどで、エウロパが静かに手を上げた。
全員が足を止めた。
「……何か気配が、あります」
エウロパの声は落ち着いていたが、その目は鋭く周囲を探っていた。
木々の陰から、複数の獣の影が姿を現した。
狼のような、しかし狼よりもずっと体の大きな魔物。目が赤く光っている。
「魔狼の群れですね」
エウロパが静かに言った。
「三、四匹。この規模なら対処できます」
「わ、わかりました」
ソラが勇者の剣を抜いた。
白銀の刃が木漏れ日を受けて鈍く光った。
「ルーナ、やれるよな」
「うん」
ルーナが腰のロッドを抜き取った。
「いくよ」
ロッドの先端を地面に突き立てる。
その瞬間、ロッドを中心に淡い光の輪が半径三メートルほど地面に広がった。
「防御魔法ですか?」
エウロパが首を傾げる。
「女神様のご加護。簡易的だけど光の中は女神様が守ってくれる。危ないと思ったらここに逃げ込んで」
「わかりました」
エウロパは感心したようにルーナを観た。
左右の拳をゴンっと突き合わせ身構える。
修道服の下に動きやすい細身の格好。
その姿は神官というより格闘家に近かった。
*
魔狼たちが一斉に飛びかかってきた。
「はっ!」
ソラが正面の一匹を切り払った。
剣の軌道はまっすぐで、無駄がなかった。シリウスに叩き込まれた基礎の賜物だ。
でも二匹目、三匹目が左右から、同時に迫ってきたとき、ソラの動きが一瞬止まった。
どちらを、優先すべきか。
その、判断の一瞬が命取りになりかねない。
「危ない!」
ルーナが、飛び出した。
左の魔狼に拳を叩き込む。
どごん、という鈍い音。
魔狼が吹き飛んで地面を転がった。
「ソラ、右!」
「はいっ!」
ソラが、右の一匹を、斬った。
息が合っている。
それは、これまでの幼馴染としての積み重ねがあってこそのものだった。
残る一匹が群れの奥からじっと、こちらを窺っていた。
一回り大きな個体だった。おそらく群れの頭だ。
「エウロパさん、お願いします!」
ソラが、叫んだ。
エウロパが、手をかざすと光に包まれて杖が出現した。
その杖を手に取り魔狼に向ける。
空中に小さな魔法陣が浮かび上がる。
「――」
詠唱の言葉が途中で止まった。
その隙を魔狼の頭派見逃さなかった。鋭く悪意を孕んだ瞳でエウロパを睨んでいる。
この旅に出て初めて触れた本物の殺気だった。
エウロパの手がわずかに震えているのが見えた。
……躊躇っている。
俺はその様子を見て悟った。
相手は魔物であって人間じゃない。
それでも、命あるものを傷つけることへのためらいが、彼女の中に確かにあった。
「エウロパさん!」
ソラの切迫した声。
魔狼の頭が地を蹴った。
まっすぐエウロパに向かって。
俺は反射的に地面を蹴っていた。魔狼にも仲間にも気づかれないように音もなく。
エウロパの背後――魔狼のちょうど正面に回り込む。
誰も、見ていない。
エウロパも気づいていない。
俺はただそこに立った。そして、魔狼の頭に殺気を飛ばした。
声にはならない。姿もただの小さくて可愛いチワワのままだ。でも、魔物というのはこういう気配には敏感なはずだ。
この体の中に眠る、世界最高峰の力をほんの少しだけ、滲ませる。
——お前が、殺す気なら、俺はお前より先にお前を殺す。
魔狼の頭が地を蹴ろうとした、その一瞬。ぴたりと動きが止まった。時間を停止されたように。
目に明らかな怯えが走る。
そのわずかな硬直。一秒にも満たない隙が生じた。
でも、それで十分だった。
「はああっ!」
ソラが地を蹴り勇者の剣が大きく、それでいて正確に魔狼の首目掛けて振り抜かれた。
魔狼の頭は、声もなく、崩れ落ちた。
*
「……一瞬あの魔狼、動きが止まったような」
エウロパが、呆然と、呟いた。
「ソラ殿の気迫に気がついて判断が鈍くなったのかしら」
自分で言って、自分で納得したような顔をしていた。
……いや、それは違う。
でも訂正する術は俺にはない。
俺は素知らぬ顔でエウロパの足元に戻った。
「コッペ?」
エウロパが、ふと俺を見下ろした。
「あなた、いつのまにか私の後ろに隠れていたのですね」
俺は澄ました顔で尻尾を一度だけ振った。
偶然です。
ただの偶然ですから。
「……不思議な子」
エウロパはそう呟いてしゃがみこむと、俺の頭をそっと撫でた。
その手はまだ少し震えていた。俺はその手に鼻先をそっと寄せた。
その震えがすっと落ち着いていくのがわかった。
「……ありがとう、ございます」
エウロパの声が、少しだけ柔らかくなった。
その目に今までとは違う何かが灯った気がした。
ソラが剣を鞘に収めながら駆け寄ってきた。
「コッペ、大丈夫か?」
「わん」
俺は元気よく答えた。
誰も俺が何をしたか気づいていない。
それでいい。
ルーナが駆け寄ってきて、俺の頭をわしわしと撫でた。
「コッペ、無事でよかった!」
俺は二人に撫でられながら、ちらりとエウロパを見た。
エウロパはまだ少し、青い顔をしていた。
でもその目はもう震えていなかった。
「……皆さん」
エウロパが、静かに口を開いた。
「申し訳ありません。私の判断が遅れたせいで」
「そんなことないです!」
ソラがすぐに首を振った。
「誰だって迷うことはあります。それに結果的にみんな無事でしたから」
エウロパはしばらくソラを見つめていた。
それから小さく頷いた。
「……ありがとう、ございます」
*
その夜、野営の焚き火を囲みながら。
「エウロパさん」
ソラが静かに切り出した。
「さっき迷ってたの見えました」
エウロパは、一瞬体をこわばらせた。
「……見苦しいところを、お見せしました」
「そんなことないです」
ソラはまっすぐエウロパを見た。
「命あるものを傷つけるのを躊躇うのは、優しいってことだと思います」
「でも、それでは」
エウロパの声が揺れた。
「戦場ではその一瞬の迷いが、皆さんを危険に晒すことに」
「なら」
ソラは少し考えてから続けた。
「ならみんなで支え合えばいいと思います。エウロパさんが迷ったときは、僕たちが守ります。だから——」
ソラは焚き火越しに微笑んだ。
「これからも、よろしくお願いします」
エウロパはしばらく黙っていた。
その頬が焚き火の明かりのせいか、それとも別の理由か、ほんのり赤く染まっていた。
「……はい」
小さな、声だった。
俺はその様子を少し離れた場所から見ていた。
……ソラお前、今のは無自覚に口説いてるだろう。
いや、無自覚だからこそ余計にたちが悪い。
俺はため息をついてソラの隣に丸くなった。
まだ、恋愛妨害の出番はなさそうだ。
でも、いずれこの二人の距離がもっと縮まっていくのは目に見えていた。
……その日が来る前に。
俺は何か手を打たなければいけない。
焚き火のぱちぱちという音を聞きながら、俺は静かに決意を新たにした。




