17ワン
村を出て二日目の昼過ぎ。
街道の向こうに大きな街並みが見えてきた。
「あれがハキュネです」
エウロパが街道の先を指さした。
城壁に囲まれた大きな街だった。中央にひときわ高い、白い尖塔がそびえている。
「オッドワル自治区で、一番大きな、教会がある街です」
「あそこに行くんですね」
ソラが緊張した面持ちで尖塔を見上げた。
*
街に入ると大通りには、参拝客らしい人々が行き交っていた。
物売りの声。祈りの鐘の音。花を売る屋台。
街全体がどこか、厳かな空気に包まれていた。
「勇者様の一行だ!」
村と同じように街の人々もすぐに、ソラたちに気づいた。
でも村よりも少しだけ落ち着いた反応だった。
「まあ、若いこと」
「大聖堂への参拝かしら」
「頑張ってくださいね」
人々は拝むように手を合わせて道を空けてくれた。
俺はその様子をソラの足元から見上げていた。
……信仰心の厚い、街なんだな。
*
「わたし、この街久しぶり」
ルーナが懐かしそうに街並みを見回した。
「修行で何回か来たことがあるんだ」
「え、そうなの?」
ソラが、目を丸くした。
「うん。プリーストの修行って、色んな街の教会を回るものなの」
「じゃあ、司祭様のことも」
「もちろん、知ってるよ」
ルーナはにっこり笑った。
「優しいおばあちゃんだから安心しなよ」
「おばあちゃん……?」
「ルーナさんっ!」
エウロパが思わず声を上げた。
「プラチナランクのプリーストをおばあちゃんだなんて」
「えー、でも」
ルーナはきょとんとした顔で首をかしげた。
「この辺りの見習い僧侶たちはみんな、おばあちゃんって、呼んでるよ」
「そ、そうなんですか」
エウロパが、目を、瞬かせた。
「魔法使いの世界だと、考えられないです。師匠を、そんなふうに呼んだら」
「へえ、魔法使いは、厳しいんだね」
ルーナは感心したように頷いた。
俺はその様子を二人の足元から見上げていた。
……随分、育ちが違うんだな。
*
大聖堂は街の中央に堂々と建っていた。
白い石造りの壁。高いステンドグラスの窓。中に入ると荘厳な静けさが広がっていた。
「お待ちしておりました」
出迎えたのは、若い僧侶だった。
「司祭様が、皆様をお待ちです」
案内されたのは奥の静かな部屋だった。
そこに一人の老女が座っていた。
白髪をきっちりと結い上げ、深い緑色の法衣を纏っている。目元には、深い皺が刻まれていたが、その目は驚くほど澄んでいた。
「よくぞ参られた」
その声はしわがれていたがよく通った。
「私はこの教会の司祭を務めております、フィオナと申します」
フィオナの視線がふと、ルーナのほうへ動いた。
「おや」
その皺だらけの顔がふわりと綻んだ。
「これはこれは。まさか、勇者様の一行に孫娘がいるとはねぇ」
「おばあちゃん、お久しぶりです!」
ルーナが、駆け寄って、フィオナに、抱きついた。
「ルーナ!」
フィオナは目を細めて、ルーナの背中をぽんぽんと叩いた。
「しばらく会わないうちに大きくなって。……それにしても、よくあの子が、お前を旅に出す許可を出したねぇ」
「えへへ」
ルーナが悪戯っぽく笑った。
「夜通し説得したのよ」
「あはは」
フィオナが皺の中で、目をいっそう細めて笑った。
ソラとエウロパがその様子をぽかんと見つめていた。
「あの、ルーナ」
ソラが小声で尋ねた。
「孫って……」
「弟子の弟子はみんな孫って呼ばれるの。この教会の決まりみたいなもの」
ルーナはあっさりと説明した。
「へえ……」
ソラはまだ少し、驚いた顔をしていた。
俺はその様子を足元から見上げていた。
……この子、こんな身内みたいな顔もできるんだな。
エウロパが静かに一歩前に出た。
「フィオナ様。此度は勇者ソラ殿への祝福を賜りたく参りました」
「うむ」
フィオナはゆっくりと頷いた。
その視線がソラに注がれた。
「お前さんはあの特級のお弟子さんだね。そのピリついた魔力、よく似ているねぇ」
エウロパは目を丸くしてフィオナに続けた。
「お師匠様とフィオナ様がお知り合いとは存ぜず、大変失礼致しました」
「なぁに、数年に一度顔を合わせる位の関係だよ。それよりも、勇者様。お噂は届いておりますよ。二百年ぶりの勇者の誕生とか」
「まだ実感がなくて」
「そういうものです。大きな役目というのは、いつも実感が追いつかないもの」
フィオナは穏やかに笑った。
*
「フィオナ様は」
エウロパが静かに続けた。
「この国に三名しかいない、プラチナランクのプリーストのお一人です」
ソラが目を丸くした。
「プラチナランク……」
「僧侶としての最高位です」
エウロパは淡々と説明した。
「フィオナ様の祝福があれば、それだけで多くの人々の信頼を得られます。ギルドマスターが、まずこの街を目指すべきだと言ったのはそのためです」
なるほど。
俺は感心しながら、フィオナを見上げた。
バルドの狙いはこれだったのか。
地元で得られる確かな権威をまず手に入れる。
そしてそれを足がかりに王都へ。
……あのギルドマスター、なかなか頭が回る。
*
「では、さっそく」
フィオナが、ゆっくりと、立ち上がった。
「祝福の儀を始めましょう」
礼拝堂へ案内された。
高い天井から光が差し込んでいる。祭壇の前にソラ、エウロパ、ルーナが跪いた。
フィオナがその前に進み出る。
「女神よ、この者たちに御力を」
フィオナの手のひらから淡い光がゆっくりと広がっていった。
温かい柔らかい光だった。
ソラの体がその光に包まれていく。
「魔王軍と対峙する、その足取りに迷いなきことを」
「困難に負けぬ強き心を」
「そして、必ず生きて還る意志を」
フィオナの声が静かに礼拝堂に響いた。
光が次第に強まっていく。
俺はその光を少し離れた場所から見つめていた。
温かい。
シスターの祈りとはまた違う温かさだった。
もっと大きくて、もっと古い何か。
そのとき。
フィオナの手がぴたりと止まった。
「……ほう」
小さな、呟きだった。
その目がソラではなく。俺のほうへ向いていた。
……え。
俺は思わず身を固くした。
「おばあちゃん?」
ルーナが怪訝そうに尋ねた。
フィオナはしばらく俺を見つめていた。
その澄んだ目がまるで何かを見透かすように。
「……いや」
フィオナは静かに首を振った。
「面白い御使いを連れておられる。それだけのことです」
御使い。
その言葉に、礼拝堂の空気が少しざわめいた。
「御使い、というと」
ソラがおそるおそる尋ねた。
「この犬はただの犬ではないのでは」
フィオナは俺をじっと見つめたまま続けた。
「女神様の御使いとして遣わされた、聖なる獣。そのような気配を感じました」
……いやいやいや。
いやいやいやいやいや。
俺は、必死に首を振った。
違います。
ただの転生した中年おじさんです。
そして女性が好きな煩悩まみれの犬です。
聖なる獣なんかじゃ、断じてありません。
でも、そんなことは当然伝わらない。
「きゃん」
澄ました顔で鳴いてみせた。
フィオナは目を細めて俺を見つめていた。
その口元に、かすかな笑みが浮かんでいた。
……この人も。
わかっていて、わざとこう言っているんじゃないか。
その笑みはどこか、エウロパのあの言葉にしない観察に、似ている気がした。
*
祝福の儀が終わった。
俺たちは祝福を受けた証明として女神様の彫刻が施された銀色のブローチを受け取った。犬の俺の分まで用意してくれるなんて、フィオナは本当に優しいおばぁちゃんだった。
と言っても俺の体にブローチを着ける訳にもいかないので、フィオナはスカーフにブローチを着け、俺の首に巻いてくれた。
ソラの体からはこれまでとは、少し違う静かな力強さが感じられた。
直接戦闘力が上がるわけではないのだろう。
でも何か、確かなものが彼の中に根付いた気配があった。
「これであなたの旅を女神様も見守ってくださるでしょう」
フィオナが優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
ソラは深く頭を下げた。
「それから」
フィオナはちらりと俺を見た。
「その御使い様も大切に」
……御使い扱いは、勘弁してほしい。
でも、ソラは素直に頷いていた。
「はい。コッペはおれの大事な相棒ですから」
その一言に俺の毛が少し逆立った。
いや、照れくさい。
照れくさいが、悪い気はしなかった。
*
教会を出るとエウロパがふと立ち止まった。
「……フィオナ様は」
誰にというでもなくぽつりと呟いた。
「勘の鋭い方と聞いています。伊達にプラチナランクではない」
その視線が俺に向いた。
俺はそらんとした顔を装った。
エウロパはそれ以上、何も言わなかった。
ただ静かに目を細めていた。
……こわい。
やっぱり、この人こわい。
でもその鋭い視線がいい。
*
その夜、宿の一室でルーナが、伸びをしながら、呟いた。
「やっぱりこの街はいい雰囲気だね」
「うん」
ソラが、頷いた。
「明日からは、王都に向かうんですよね」
ソラの問いに、エウロパが頷いた。
「はい。ここからずっと東へ。長い道のりです」
窓の外には街のあかりがぽつぽつと灯っていた。
尖塔の上に月が静かに浮かんでいる。
俺はその光景をしばらく眺めていた。
女神の御使い、か。
そんな大層なものでは決してない。
でも。
もしこの体がソラの役に立てるのなら。
それも、悪くない。
俺は静かに目を閉じた。
明日はまた新しい道のりが始まる。




