15ワン
やっとこさ旅に出ます
孤児院の扉を開けると、暖炉の匂いが、真っ先に迎えてくれた。
「ただいま、シスター」
ソラの声に奥からぱたぱたと足音がした。
「おかえりなさい」
シスターは、玄関先でいつものように微笑んでいた。
でもその目は、少しだけ真剣だった。
「出発は、いつになりそうなの?」
その問いには、迷いも驚きもなかった。
まるで、最初からそうなることをわかっていたかのように。
「……明日の朝です」
ソラは、絞り出すように答えた。
「そう」
シスターは静かに頷いた。
「座って、話しましょうか」
*
食堂のテーブルにソラとシスターが向かい合って座った。
その隣に、いつのまにかシリウスじいさんも腰を下ろしていた。
何も言わず、ただ腕を組んで椅子に座っている。
「シリウスさんも……」
ソラが少し驚いた顔をした。
「儂のことは気にするな」
シリウスはそれだけ言ってまた口を閉じた。
俺は二人の間の床におすわりした。
シスターの手がテーブルの上で、きつく組まれていた。
「……危険な旅なのでしょう」
「はい」
ソラは目を逸らさなかった。
「でも、ここ数十年は魔王軍との戦いは落ち着いているって。それに」
ソラは少しだけ視線を落とした。
「孤児院にもギルドと領主様が援助をしてくれるって話でした。ここのみんなが、これ以上、苦労しなくて済むなら……」
「ソラくん」
シスターの声が少し震えた。
「あなたの安全とお金と、どちらが大事だと思っているの」
ソラは答えられなかった。
シスターはしばらく目を閉じていた。
それから、ゆっくりと目を開けた。
「……止めても行くのでしょうね、あなたは」
その声は諦めと少しの誇らしさが混ざっていた。
「必ず無事に帰ってくること。それだけは約束して」
「はい。約束します」
ソラは、はっきりと頷いた。
シリウスはその間、一言も口を挟まなかった。
ただ静かに、二人のやり取りを見つめていた。
話が一区切りついたところで、シリウスがゆっくりと、立ち上がった。
「……坊主」
低い声だった。
「寝る前に儂の部屋へ来い」
それだけ言って、シリウスは食堂を出ていった。
ソラはきょとんとした顔で、その後ろ姿を見送っていた。
「……なんだろう」
「行ってみたら、わかるわ」
シスターがくすっと、微笑んだ。
*
ソラが席を立って、自分の部屋へ戻ったあと。
ルーナがそっと食堂に顔を出した。
「シスター」
「あら、ルーナ」
ルーナはいつもの明るい様子とは、少し違っていた。
真剣な顔で、シスターの前に、腰を下ろした。
「わたし、ソラとコッペと一緒に行きます」
シスターは少しも驚かなかった。
ただ静かに、ルーナを見つめた。
「……危ない旅よ」
「知ってます」
ルーナはまっすぐシスターを見つめ返した。
「だから、行くんです」
シスターが、目を細めた。
「ソラは人の為なら危ないところに、飛び込んでいく子です。誰かが隣で支えないと」
ルーナは拳をぎゅっと握りしめた。
「わたしが、ソラを守ります」
その言葉にシスターの胸の奥が、じんと疼いた。
ふと、何年も前の光景が蘇った。
まだ、幼かったルーナこう、言い聞かせたことがある。
――ルーナは、お姉さんだから、ソラやほかの小さい子たちのこと守ってあげてね。
あのときルーナはこくん、と真剣な顔で頷いていた。
あれからずっとこの子は、その言葉を覚えていたのだ。
「……そう」
シスターは静かに目を伏せた。
それからゆっくりと微笑んだ。
「ルーナ、お願いね」
ルーナの顔がぱっと明るくなった。
「はい!」
*
その夜、庭の隅のシリウスの小屋に俺とソラは立っていた。
少し緊張した面持ちでソラが扉をノックする。
「入れ」
中から声がするとソラはゆっくりと扉を開けた。
俺も当然のように、ついていった。
中に入るとシリウスは、奥の木箱を開けて何かを取り出した。
見たことのない深緑色の胸当てだった。それに、腕当てと脛当てが一式。
表面には細かな鱗のような模様がびっしりと刻まれている。オイルランプの明かりを受けて、金属とも革とも違う不思議な光沢を放っていた。
「これは……」
ソラが息をのんだ。
「儂が若い頃に使っていたものだ」
シリウスはそれをソラの前にそっと置いた。
「ドラゴンの素材で作られている。そう簡単には手に入らん代物だ」
「ドラゴン……」
ソラの声が裏返った。
「一人前になったら剣でもくれてやろうと思っていた」
シリウスはソラの腰の剣をちらりと見た。
「が、極上のものを手に入れたようだからな。剣はいらんだろう。使い古しで悪いが」
シリウスは、腕を組むとにっこりと笑顔を浮かべた
「持っていきなさい」
ソラは防具にそっと手を伸ばした。
軽い。見た目よりも、ずっと軽かった。それでいて指で押しても、びくともしない硬さがあった。
「……ありがとうございます」
ソラは深く頭を下げた。
「道中、より良いものを見つけたら——」
シリウスの声が、続いた。
「躊躇わずに手に入れなさい。上質な武具はそれだけで、生存率を上げてくれる」
「はい」
「新しい武具が手に入れば、この防具は売って路銀に替えてもいい」
ソラは驚いたように顔を上げた。
「え……いいんですか。ドラゴン素材なんですよね」
「物にはそれぞれ役目がある。儂の防具の役目は、お前を生かすことだ。売られてお前を助けるなら、それも本望だろうよ」
シリウスは、そう言って、ふっと笑った。
その笑顔には若い頃の鋭さの名残が確かにあった。
「はい」
ソラは防具を大事そうに胸に抱えた。
シリウスはしばらくその様子を見つめていた。
それからふいに真顔になった。
「最後に、ひとつだけ」
ソラの背筋がぴんっと伸びた。
「魔王軍の討伐なんぞ、できなくても、いい」
「え?」
ソラは思わず聞き返した。
シリウスの目がまっすぐにソラを見据えていた。
「必ず、生きて帰ってくること」
その声は低く静かで、でも、何よりも重かった。
「シスターや子供たちを悲しませるような結末は——」
シリウスは拳をぐっと握りしめた。
「この儂が許さんからな、ソラ」
ソラの目にみるみる涙が浮かんだ。
それを、必死に堪えていた。
「……はい!」
その一言は震えていたが、はっきりと響いた。
俺は二人のやり取りをじっと見上げていた。
この爺さんは、鬼の副団長と呼ばれていた男だ。
きっと戦場で、何人もの部下を見送ってきたのだろう。
その経験が、今のこの一言に詰まっている気がした。
「よし。話はこれだけだ」
シリウスはぱんっと、両手を叩いた。
「さっさと寝ろ。明日は早いんだろう」
「は、はい!」
ソラは防具を抱えたまま、立ち上がる。
俺は、その後ろからシリウスを一度だけ振り返った。
シリウスは腕を組んだままじっと俺を見ていた。
「……お前も、ソラを頼んだぞ」
低い声で、そう言った。
俺はしっかりと頷いた。
言われなくても。
俺の決めたことだ。
*
翌朝、ソラは防具を身につけて玄関先に立った。
深緑色の胸当ては、軽くて動きやすかった。
「よく、似合ってるわ」
シスターが、微笑んだ。
「ありがとうございます」
ソラは少し照れくさそうに、防具を撫でた。
玄関の扉を開け、孤児院の門に視線が行くとそこにはすでにエウロパが待っていた。
その隣に旅装束姿のルーナが立っている。
「ソラ遅いよ!」
ルーナが、明るく手を振った。
ソラが驚いた顔で駆け寄った。
「ルーナ! なんで、旅装束着てるんだよ」
「一緒に行くからだよ」
ルーナが当然のように言った。
「先ほどお互いに挨拶と自己紹介は済ませています」
エウロパが淡々と言った。
「それにシスターには、もう許可をもらったから」
ソラがぎょっとした顔で、シスターを振り返った。
シスターは静かに頷いた。
「ルーナには、あなたたちを、守ってもらうことにしたの」
「守るって……危ないんだぞ、魔王軍との戦いは」
「あのねぇ」
ルーナの声が急に低くなった。
「私はソラよりずっと、お姉さんなんだからね? 子供扱いしないでよ」
三つ、年上なのだ。
ルーナが、腕を組んで、むっと、頬を膨らませた。
「そ、それはそうだけど……でも、心配で」
「その心配いらないよ」
ルーナは、胸元の、小さなブローチに、そっと触れた。
鈍く光る、ブロンズ色の飾りだった。
「わたし、これでもブロンズプリーストの課程を終えてるの」
ソラの目がそのブローチに釘付けになった。
「え……いつから、それ」
確かに、いつからかルーナの胸元にぶら下がっていた。ソラは今まで、気にも留めていなかったようだが。まあ、俺もだけど。
エウロパが静かに補足した。
「冒険者で言えば、Bランクで十分に通用するレベルです」
「えぇぇぇえ!?」
ソラの絶叫が朝の孤児院に響き渡った。
「そ、そんなの、聞いてないよ!」
ルーナがふふんっと、得意げに笑った。
「わたしだって、シスターと一緒に一生懸命、修行してたんだから。大丈夫だよ」
ソラはしばらく口を開けたまま固まっていた。
俺はルーナの足元でその様子を見上げていた。
……なるほど。
この子はただ明るいだけの子じゃなかったんだな。
誰にも見えないところで、ちゃんと力を蓄えていたのだ。
「よろしくね、ソラ」
ルーナがにっこり笑って、ソラの肩をぽんっと叩いた。
その笑顔にソラは、まだ呆然としたまま頷くしかなかった。
その隣でエウロパが、静かに二人のやり取りを眺めていた。
「……仲が、いいんですね」
ぽつり、と、そう呟いた。
その声にはほんの少し、羨むような響きがあった。
*
「全員、揃いましたね」
シスターがソラたちの前に進み出た。
「この者たちに女神様のご加護を」
その声はいつもより、少し厳かだった。
シスターは胸元の金のブローチにそっと手を添えた。
ソラとルーナとエウロパが並んで頭を垂れた。
俺もなんとなく姿勢を正して、おすわりした。
「女神様。この子たちの旅路をお見守りください」
シスターの声が朝の空気に静かに染み渡っていく。
「どうか、行く先々で良き出会いを。困難のときには、力を。そして……」
シスターは、一拍置いた。
「必ず、この場所へ帰ってこられますように」
白い光がふわりと、三人と一匹の体を優しく包んだ。
あたたかい光だった。
母が子を抱きしめるような。
光が静かに収まっていく。
シスターは目を開けて、ソラとルーナを順番に、見つめた。
「これで、行ってらっしゃい」
「はい!」
ソラと、ルーナが、声を揃えた。
「エウロパさんも、よろしくお願いします」
「はい。領主様直属魔導士部隊の名にかけて」
*
その後ろには、他の子供たちもぞろぞろと出てきて、手を振っている。
「いってらっしゃい、ソラくん、ルーナちゃん」
「コッペも、気をつけてね!」
「いってきます!」
庭の隅でシリウスが、腕を組んでこちらを見ていた。
何も言わず、ただじっと。
その目が俺と一瞬合った。
俺は、その視線にしっかりと頷き返した。
俺はシスターの足元に駆け寄って、一度頬をぺろりと舐めた。
「あらあら」
シスターがくすっと笑って、俺の頭を撫でてくれた。
石鹸と、乾いた花の匂い。
この匂いをしばらく嗅げなくなる。
少し、寂しかった。
でも。
俺は顔を上げてソラを見た。
防具を身につけ剣を腰に下げ、二人の仲間と並んで立つ少年。
あの路地裏で震えていた痩せた少年は今、確かに旅立とうとしている。
「行こう、コッペ」
ソラが俺を呼んだ。
「わん」
俺は力強く応えた。
振り返らずに歩き出す。
次の街へ。
ソラとルーナとエウロパと。
そして俺と。
こうして、勇者パーティーの旅が始まった。




