12ワン
犬ミーツ領主様?
翌朝、孤児院の玄関先に、立派な馬車が停まっていた。
ギルドの紋章がついた、黒塗りの馬車だ。御者台には、バルドの部下らしい男が座っている。
「……あの、これ、本当に着るんですか」
ソラが、情けない声を出した。
その体には、明らかに大きすぎる、上等な礼服が纏わされていた。袖が余って、指先しか見えていない。ズボンの裾は床にずるずる引きずっている。
「仕方ないだろう。急ごしらえだ」
バルドが、馬車の脇で腕を組んで苦笑した。
「領主閣下の前にぼろの服で行くわけにはいかん。布の余りを、少しだけ詰めておいた」
「ぶかぶかです」
「気にするな。堂々としていれば、案外、様になる」
ミーナが、袖をぱたぱたとまくって、ソラの腕に留め針を刺していた。
「じっとしてて。……うん、これで、見られるかな」
「あ、ありがとうございます」
ソラの顔は、緊張で真っ白だった。
シスターが玄関先でソラの襟元を直している。
「ソラくん。深呼吸よ。大丈夫、あなたならきっとできるわ」
「はい……」
「コッペくんも、しっかりね」
抱き上げられて、頬を撫でられた。
石鹸と乾いた花の匂い。
これで今日一日、頑張れる。
「行ってきます」
ソラはシスターにぺこりと頭を下げた。
その後ろで庭の隅からじっとこちらを見ている視線があった。
シリウスじいさんが腕を組んで立っていた。
俺と目が合った。
シリウスは、何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ顎を引いた。
行ってこい、とでも言うように。
俺はこくりと頷き返した。
*
領主の城は、街の高台にそびえていた。
白い石造りの大きな城だった。尖った屋根の塔が、いくつも天を突いている。堀にかかった跳ね橋の向こうで、重そうな鉄の門が口を開けていた。
門の前には、槍を持った衛兵が、二人、立っていた。
「止まれ。何用だ」
「ギルドマスターのバルドだ。勇者ソラ殿をお連れした」
衛兵は、ソラを見て、目を丸くした。
ぶかぶかの礼服。青ざめた顔。
……どう見ても、勇者には見えない。
それから視線が、 足元の俺に落ちた。
「犬は通せんぞ」
……む。
俺は、ぴくりと耳を動かした。
「この犬は、勇者殿の従者だ」
バルドがさらりと言った。
「剣を抜いたときも、この犬はそばにいた。離すわけにはいかん」
「しかし、規則で」
「閣下には私から説明する」
衛兵はしばらく迷った後、渋々道を開けた。
俺は澄ました顔で尻尾をひとつ振って門をくぐった。
城の中は豪華だった。
磨き上げられた大理石の床。天井から下がる、巨大なシャンデリア。壁には大きな絵画が並んでいる。
案内役の侍女が、優雅に一礼して先導してくれた。
二十代半ばのすらりとした女性だった。
彼女がふと足を止めて俺を見下ろした。
「まあ、可愛らしい従者さんですこと」
にこ、と微笑まれた。
俺の尻尾がばたばたと床を叩いた。
……いや、ダメだ。今日は、ダメだ。
俺は必死に自分を抑えた。
ソラが小声で囁いた。
「お前、今日はおとなしくしてろよ」
わかっている。
わかっているが、体が勝手に。
……頑張れ、俺の理性。
*
謁見の間は巨大な広間だった。
高い天井。左右に並ぶ、太い柱。真っ赤な絨毯が、扉から玉座まで、まっすぐに敷かれている。
その両側に数十人の人々がずらりと並んでいた。
華やかな衣装をまとった、貴族や家臣たち。
全員がこちらを見ていた。
ソラはその視線の中をぎこちなく歩いた。
右手と右足が一緒に出ていた。
俺は、ソラの足元にぴたりと寄り添って、その緊張を、少しでも和らげようと体をすり寄せた。
絨毯の突き当たりに玉座があった。
そこに、ひとりの男が座っていた。
五十歳前後だろうか。銀色の髪を、丁寧に後ろへ撫でつけている。整った顔立ちで、口元には絶やさぬ微笑み。豪奢な深紅のマントが肩から流れている。
「よく来てくれた、勇者殿」
柔らかな、よく通る声だった。
領主は、ゆっくりと立ち上がって両腕を広げた。
「この街の領主として、心から歓迎しよう。二百年の時を経て、再び勇者が我が領地に現れた。これほどの慶事は、ない」
広間に、拍手が沸き起こった。
ソラは玉座の前でぎこちなく片膝をついた。
「お、お招きいただき、光栄です」
「うむ。顔を上げなさい」
ソラは、おそるおそる顔を上げた。
領主はにこやかに、ソラを見下ろしていた。
そのとき、俺は感情を読んだ。
……。
……なんだ、こいつ。
表の顔は、完璧だった。
歓迎。感嘆。慈愛。全部、演技だとは思えないくらい、自然に出ている。
でもその下に別の感情が透けて見えた。
野心。
それも、とても、 大きな。
この街だけでは、収まらない。もっとその先。
王都。中央。この男は、辺境の領主で終わるつもりがないのだ。
そして、ソラを見ていた。
人間としてではなく、道具として。
……使い勝手のいい駒として。
俺の毛がぞわりと逆立った。
こいつ、ソラを使い捨てる気満々だ。
*
「さて」
領主はゆっくりと玉座の階段を降りてきた。
「勇者殿に、頼みたいことがある」
ソラの隣でバルドがぴくりと肩を動かした。
「この世界は、 長きにわたり魔王軍の脅威に晒されてきた。我々人類は、何百年もの間、彼らと戦い続けている。だが、いまだに終わりは見えない」
領主は、広間の全員に聞こえる声で、朗々と続けた。
「勇者の剣は人類に希望をもたらす。いまこそ、魔王軍を打ち破り、この長い戦争に終止符を打つべき時だ」
広間の貴族たちが頷いた。
「勇者ソラ殿。どうか、魔王軍の討伐を引き受けてはもらえまいか」
……は?
ソラの体が、固まった。
「ま、魔王軍の討伐……?」
「そうだ。勇者にしかできぬことだ」
領主はソラの前で足を止めた。
微笑みは崩れない。
「もちろん、我が領が全面的に支援する。旅の費用、装備、人手。君が必要とするものはすべて用意しよう。君は、ただ勇者として旅立ってくれればよい」
その言い方は丁寧で、優しく、断る余地がまったくなかった。
広間の全員が、期待の眼差しでソラを見つめている。
一人が拍手を始めた。
二人、三人と拍手が広がっていく。
やがて、広間全体が拍手の渦に包まれた。
「勇者様!」
「勇者様、万歳!」
ソラは、真っ青な顔でその中に膝をついていた。
断れない。
この空気の中で、断れるはずがない。
俺は、ソラの足元から領主を見上げた。
……この野郎。
わかっていてこんな場で言い出したな。
断れない空気を、作るために。
「あの、閣下」
バルドが、一歩、前へ出た。
「勇者殿はまだ若く、経験も浅い。魔王軍の討伐は、あまりにも荷が重いのでは」
「バルド殿」
領主が笑顔のままバルドを見た。
「ギルドの長としてご心配はもっともだ。しかし、剣が選んだのはこの若者だ。運命というものを、我々は受け入れねばならぬ」
その笑顔は、温和だった。
でも目がまったく笑っていなかった。
バルドは口をつぐんだ。
それを見て俺はぞくりとした。
この領主は、ギルドマスターすら黙らせられる人間だ。
「……ソラ殿」
領主は視線をソラに戻した。
「もちろん、無理強いはしない。だが、もし引き受けてくれるのであれば」
領主は指をぱちん、と鳴らした。
側近の一人が恭しく盆を差し出した。
その上には、革の袋がずしりと載っていた。
「支度金として、金貨百枚を用意している。それから、勇者殿が世話になったという孤児院にも、我が領から手厚い援助を約束しよう」
……!
ソラの肩が、びくりと震えた。
孤児院。
その言葉が出た瞬間、ソラの目が揺れた。
バルドが、ぐっと拳を握りしめるのが見えた。
領主は、孤児院のことを知っていたのだ。
ソラが断りにくくなる、一番の急所を。
全部、調べ上げた上でこの場を用意したのだ。
……こいつ、めちゃくちゃ頭が切れる。そして、めちゃくちゃ性格が悪い。
俺は思わず低く唸っていた。
「ううう……」
その声が、広間の静けさに小さく響いた。
全員の視線が俺に集まった。
「おや」
領主が、俺を見下ろした。その顔はにこやかだった。
「忠義な犬だな。勇者殿を守ろうとしているのか」
俺は領主の目をじっと睨み返した。
領主の笑顔は、一瞬だけほんの少しだけ揺らいだ。
……気づいたのか?
この男は俺が、ただの犬ではないことに。
いや、そこまではわからないはずだ。
でも、領主はじっと俺の目を覗き込んで、それから、ふっと視線を外した。
「よい犬だ。大切にしなさい」
そう言って、ソラに向き直った。
ソラはしばらく黙っていた。
握りしめた拳が震えていた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……はい」
小さな声だった。
「お引き受けします」
広間が、割れんばかりの歓声に包まれた。
領主は、満足そうに、頷いた。
「ありがとう、勇者殿。君の決断に、感謝する」
ソラは、床に膝をついたまま動けなかった。
俺はその足にぎゅっと体を押しつけた。
「ひ、ひとつだけお願いがあります」
「申してみなさい」
「旅路や孤児院に援助いただけるとのことですが、そこについてはお断りさせてください」
領主は目を丸くした。
「何故?」
「そのお金は、この街のみんなが納めた税です。おれ個人や孤児院に回すって、不公平な感じがして」
「勇者殿、何を言っているかわかっているのか?」
怒気を孕んだ声を鋭い視線と共に空に向ける領主。
金で勇者を、ソラを懐柔しようなんて考えが甘い。こいつはどんなに腹を空かせていても目の前の飢えた子犬に迷わず、パンを半分分け与えるようなやつなんだ。
「閣下、勇者殿は自分の利益だけを考えるような男ではなかった。そういう訳です。資金面の援助なくとも我々の為に戦う道を選ばれたのです」
バルドが言うと領主への嫌味にしか聞こえないが。
「くっ、まあよい」
「しかしまぁ、余り金に無頓着なのも困ったものです。我がギルドの一員でもある勇者殿の後見人として、その辺りのことはギルドマスターの私が面倒をみましょう。それで良いかな、勇者殿?」
「はい、お願いします」
「勝手にせい。しかし、勇者殿一人で旅に送り出すなど、オッドワル領主としてメンツが立たぬ。勇者殿の旅路を支えるために、我が魔法部隊から最も優秀な者を同行させよう」
その言葉に、広間が、ざわめいた。
「閣下、まさかあの方を」
「いや、しかし」
ざわざわと、貴族たちが囁き合っている。
領主は玉座のほうを振り返って声を張り上げた。
「入りなさい」
重い扉が、ゆっくりと、開き始めた。
その向こうから、誰かがこちらへ歩いてくる気配がした。
軽やかな足音。
そして、風に乗ってふわりと不思議な香りが漂ってきた。
星屑のような冷たく澄んだ魔力の匂い。
……ん?
俺の鼻がぴくりと動いた。なんだかとても、いい匂いがする。




