11ワン
犬も歩けば大人の思惑に巻き込まれる
街に戻ったころには、日はすっかり暮れていた。
勇者の剣を抜いた少年が現れた、という噂は調査隊の誰が広めたのか、俺たちが街の門をくぐるより早く、あちこちに散らばっていたらしい。
ギルドの前には、人だかりができていた。
「あれが、勇者様か?」
「随分と、ひょろっとしてるな」
「犬を連れてるぞ」
ソラは布にくるんだ剣を胸に抱えて、うつむいたまま人垣の間を歩いた。
剣は鞘に入れることもできず、そのまま持ち帰るしかなかった。台座にも、鞘は残っていなかったのだ。
ソラの手から、剣は離れなかった。
いや正確には、離れないわけではない。手を放すこともできる。ただ、置こうとすると、ソラがなぜか不安そうな顔をするのだ。
まるで手放すのを剣が嫌がっているかのように。
「こちらへ」
ギルドの扉が開いてギルドマスターが、ソラを手招きした。
その後ろにはダルガとミーナが、心配そうな顔で立っていた。
「ソラ君、少し話がある。奥の部屋へ来てくれ」
「は、はい」
ソラはこわばった声で答えた。
俺はソラの足元にぴったりと寄り添って、一緒に扉をくぐった。
*
ギルドの二階の奥に応接室があった。
分厚い絨毯が敷かれ、壁には歴代のギルドマスターの肖像画が並んでいる。中央に大きな木の机とふかふかの椅子。
「座りなさい」
ソラは、おそるおそる椅子に腰を下ろした。俺はその足元で、おすわりした。
ギルドマスターは向かいの椅子に座って、ゆっくりと口を開いた。
「まずは、改めて自己紹介をしよう。私はバルド。この街の、冒険者ギルドの長を務めている」
「ソラ、です」
「知っている。ダルガの一党から話は聞いていた。あのシリウス副団長の弟子、だそうだな」
バルドは、机の上で両手を組んだ。
その顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
俺は感情を読んだ。
……ふむ。
喜び。興奮。期待。
それからその下にもっと複雑な色が、幾層にも重なっていた。
「ソラ君。君に、心からおめでとうと言いたい」
バルドは、深々と頭を下げた。
「二百年ぶりの勇者の誕生だ。この街のギルドマスターとして、これほど誇らしいことはない」
「あ、いえ、あの」
ソラは、慌てて手を振った。
「おれ、そんなんじゃなくて。たまたま、抜けただけで」
「たまたまでは、ないだろう」
「でもおれ、荷運びで見習いで剣もまだ全然」
「ソラ君」
バルドの声が、少し低くなった。
「君が、自分をどう思っているかは、関係ない。剣が、君を選んだ。それがすべてだ」
ソラは、口をつぐんだ。
バルドは、少しだけ身を乗り出した。
「君は、これから多くの人に注目されることになる。良いことも、悪いことも起こるだろう。だからこそ、先に、伝えておきたいことがある」
バルドは、しばらく黙った。
部屋に暖炉の薪のはぜる音だけが、ぱちっと響いた。
「……正直に言おう」
バルドが、ふうっと息を吐いた。
そして、その笑みが少しだけ崩れた。
「私は、君を利用しようとしている」
……おお。
俺は思わず耳をぴんと立てた。
ソラも目を丸くした。
「え……?」
「この街のギルドは資金難だ」
バルドは椅子の背にどさりと体を預けた。
「戦争の跡のダンジョンを管理するのは金がかかる。探索を続けるためには、冒険者への報酬も要る。だが、中央は辺境の街にろくな予算を回さない。もう何年も、ぎりぎりの綱渡りだ」
バルドは片手でぽりぽりと口ひげをかいた。
「そこへ、勇者だ。二百年ぶりの伝説の再来。領主も貴族も商人もこぞって君に注目する。金も人も名声も動く」
ソラは、黙って聞いていた。
「私は、そこに便乗しようとしている。ギルドの財政を立て直しこの街を守るために。それから、私自身が、少しばかり出世したい。そういう下心もある」
バルドは、真正面からソラを見つめた。
「だから、君に頭を下げる。どうか、勇者としてこの街のために力を貸してほしい」
俺はじっとバルドの感情を読んでいた。
嘘はなかった。
打算は確かにある。金、出世、名声。全部、本物の感情だ。
でも、それと同じくらい。
いや、もしかしたらそれ以上に。
罪悪感があった。
こんなに若い痩せた少年を自分の都合で祭り上げようとしていることへの。
……なるほど。
悪いやつじゃないんだ。
ただ、追い詰められているだけの不器用な大人だ。
*
「……どうして」
ソラがぽつりと言った。
「どうして、そんなことをおれに正直に話すんですか」
バルドは、目を細めた。
「君が嘘をつかれるのを嫌がる子だと思ったからだ」
「……」
「ダルガの話を聞いたよ。君は、孤児院の資金難をなんとかする為に冒険者になったらしいな?」
バルドは、ちらりと俺を見た。
「そういう人間には、下手な嘘は通じない。それに、私もあまり嘘は得意じゃなくてね」
そう言って、バルドは照れくさそうに笑った。
ソラの肩から少しだけ力が抜けた。
「その代わり、約束しよう」
バルドは、姿勢を正した。
「オッドワル自治区ギルドマスターが君の後見人となり、君が勇者になることで生まれる利益の一部は、必ず君と、君が大切に思う人たちに還元する。まず、孤児院への援助をギルドから毎月出す」
ソラが、はっと顔を上げた。
「孤児院……」
「薪代も食費も修繕費も。ギルドの予算から、優先的に回そう。君に、そこまでの重荷を背負わせるんだ。それくらいは、させてくれ」
ソラは唇を噛んだ。
その目が揺れていた。
シスターのあの帳簿を見つめる背中を。
毎日笑顔で子どもたちを迎える、あの人を思い出しているのだろう。
俺は、ソラの膝にそっと顎を乗せた。
どうするかは、お前が決めることだ。
でも、どんな決断をしても俺は隣にいる。
ソラはしばらく黙っていた。
それから俺の頭をぽんぽんと撫でた。
顔を上げて、まっすぐバルドを見た。
「おれは勇者なんて、まだ全然実感がありません」
「うむ」
「怖いです。何をすればいいのかも、わかりません」
「そうだろうな」
「でも」
ソラはぐっと拳を握りしめた。
「孤児院のみんなの役に立てるなら。やります」
バルドの目が、大きく見開かれた。
それから、ゆっくりと頭を下げた。
「……感謝する。本当に」
その声は、少しだけ震えていた。
*
コンコンと扉が叩かれた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
入ってきたのは、受付のお姉さんだった。
盆の上に湯気の立つカップが、二つ。
「ありがとう、リナ。そこに置いてくれ」
「はい」
リナちゃんというのか。
俺の尻尾がぱたぱたと床を叩いた。
「あら、コッペくんもお疲れさま」
優しい声で、俺に微笑みかけてくれた。
あああ、いい声だ。
……いや、今はそういう場面じゃない。
バルドがこほんと咳払いをした。
「……リナ君。犬にあまり構わないでやってくれ。空気が締まらん」
「すみません」
リナは、くすくす笑いながら部屋を出ていった。
ソラがこそっと俺の脇腹をつついた。
「お前、今絶対変なこと考えてたろ」
……何のことか。
俺は澄ました顔であくびをしてみせた。
*
お茶を飲み終えたころ、階下がなにやら騒がしくなった。
どたどたと、階段を駆け上がってくる足音。
バルドの顔がぴくりと動いた。
「……早いな」
「え?」
ノックもなしに、扉が勢いよく開いた。
「失礼します!」
立っていたのは若い騎士だった。
白と青の、上等な制服。胸には、見慣れない紋章が縫い付けられている。額に汗を浮かべて、息を切らしていた。
「この街のギルドに勇者殿が、おられると伺いました」
「……ああ」
バルドが、ゆっくりと立ち上がった。
「こちらのソラ君だ」
若い騎士はソラを見て、一瞬目を丸くした。
それから慌てて背筋を伸ばした。
「領主閣下より、書状を預かって参りました。勇者殿を、至急、お城にお招きしたいとのことです」
ソラは、ぽかんと口を開けた。
「え……もう、ですか?」
「はい。この街の一大事ですから」
若い騎士は、丁寧に書状を差し出した。
バルドが低く呟いた。
「……予想よりずいぶん早い。情報が洩れていたか」
俺はソラとバルドと騎士の顔を順番に見渡した。
バルドの感情は動揺していた。
この人も、これほど早いとは思っていなかったのだ。
……ということは。
誰かが、先回りして領主に伝えた。
誰かがこの事態を待っていた。
一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
でも、確証はなかった。
ソラが震える手で、書状を受け取った。
そこには立派な字でこう書かれていた。
『勇者殿の謁見を望む』
ソラはその文字をじっと見つめた。
それから、ゆっくりと俺を見下ろした。
「コッペ」
小さな声だった。
「どうしよう」
俺はソラの足にぎゅっと体を押しつけた。
大丈夫だ。
お前は一人じゃない。
勇者にされてしまったのは、俺のせいかもしれない。
だったらその責任は俺が取る。
お前の隣に、ずっといる。世界最強の犬として。
……いや、世界最強の犬というと、なんだか、格好がつかないが。
それでも俺は、ソラの隣で、きゃんと、 力強く吠えた。




