10ワン
流石に犬が剣を振うわけにはいかないですよね
円形の広間には重い沈黙が落ちていた。
剣は台座に刺さったまま、微動だにしない。
ガレスは、まだ床に座り込んで、悔しそうに拳を握りしめていた。ダルガも、ギルドの腕利きたちも、肩で息をしている。魔法使いの青年は、弾かれた杖を、呆然と見つめていた。
「……今日は、ここまでにするか」
ギルドマスターが、ぽつりと言った。
「剣は、ここに置いていくしかあるまい。改めて、専門の者を呼んで調べさせよう」
その声には落胆と隠しきれない興奮が半分ずつ混じっていた。
誰かがふう、と息を吐いた。
張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ。
そのときだった。
「あー、そうだ」
ダルガが、頭をぼりぼりとかきながら、こちらを振り返った。
「せっかくだ。お前も、やってみたらどうだ、新入り」
……え?
ソラが、きょとんとした顔で、自分を指さした。
「おれですか?」
「ああ。鬼の副団長の弟子だろう。記念だ、記念」
ダルガは、にやりと笑った。
冗談のつもりなのだ。緊張をほぐすための、ちょっとした余興。
「おい、ダルガ」
ガレスが床から低い声を出した。
「ガキに、何ができる。俺が抜けなかった剣を」
「だから記念だって。誰も本気にしてねえよ」
「そうよ、ソラくん」
ミーナが、明るく手を叩いた。
「ここまで来たんだもの、触るだけでも、思い出になるわ」
「で、でも、おれなんかが」
「いいから、いいから」
ダルガが、ソラの背中を、ぐいと押した。
ソラは、荷物をどさりと床に下ろした。
戸惑った顔で俺を見た。
「コッペ……」
俺は首を振った。
やめろ。
やめておけ、ソラ。
なんだか、嫌な予感がする。
だが、声にはならない。
ソラはふうと小さく息を吐いた。
「……わかりました。触るだけ、ですよ」
ぺこりと、頭を下げて。
台座のほうへ歩き出した。
*
まずい。
絶対に、まずい。
俺は必死に頭を回転させていた。
さっき、俺が近づいたとき、あの剣は俺の魔力に反応した。
あの剣が俺の魔力を求めているのだとしたら。
ソラには常にと言っていいほど日頃から俺のバフ魔法がかかっている。
もしかするとその魔力に剣が反応してしまうかもしれない。
「コッペ、おいで」
ソラが小声で呼んだ。
あああ、呼ぶなあああ。
でもソラが呼んだら行くしかない。犬の性だ。飼い主に名前を呼ばれると意識とは別に本能が反応してしまう。
俺は観念してソラの足元にぴったりくっついた。
せめて。せめて、魔力を思いっきり抑え込もう。
俺は目を閉じて体の奥の湖をぎゅっと閉ざした。
どこにも漏れないように、ぴくりとも動かないように。
……できた気がする。
*
ソラが台座の前に立った。
剣が目の前にある。
白銀の刃。青い石の柄。
「……きれいだな」
ソラが、ぽつりと言った。
その声は素直に感動していた。
周囲の冒険者たちが、固唾をのんで見守っている。
半ば、笑い話のつもりで。でも、その目の奥にほんの少しの期待が混じっている。
ソラはそっと手を伸ばした。
柄に、指先が触れた。その瞬間だった。
ぶうううんと、低い音が部屋いっぱいに響いた。
「な、なんだ!?」
ダルガが、叫んだ。
剣の柄の青い石がまばゆく輝きだしていた。
さっきのほのかな光とは比べ物にならない。部屋中の影が一瞬で消し飛んだ。
俺は必死に魔力を抑え込んだ。
抑えている。
抑えているはずだ。
なのに。
体の奥から勝手に魔力が引き出されていく。
まるで剣が、俺の中から直接引っ張り出しているみたいに。
……抑えきれない。
あの剣は俺の魔力に共鳴している。俺が閉ざそうとしても関係なく、ソラの足元に俺がいるだけで。
「うわっ……!」
ソラの手が、柄を握りしめた。
握った、というより、吸い寄せられたという感じだった。
その手の中で剣がゆっくりと動いた。
台座からするりと。
まるで最初からそこに刺さっていなかったかのように。
軽やかになめらかに抜けた。
*
光が広間を満たした。
真っ白な光だった。
その光の中でソラが、剣を握って立っていた。両手で持った剣は羽のように軽そうに見えた。
やがて光が静かに収まっていく。
部屋はまた薄暗い松明の明かりに戻った。
誰も何も言えなかった。全員が口を半開きにしたまま固まっていた。
ソラは自分の手の中の剣をじっと見つめていた。
それからゆっくりと顔を上げた。
「……あの」
小さな声だった。
「抜けました……」
次の瞬間。
「うおおおおおおおお!?」
ダルガが、絶叫した。
「抜きやがった! 本当に抜きやがった!」
「うそ、うそでしょう!」
ミーナが両手で口を覆って飛び跳ねた。
「ソラくんが勇者の剣を!」
魔法使いの青年が、ダルガに飛びついて嬉しそうに叫んでいる。
あのガレスさえも呆れたような、諦めたような表情を浮かべて笑っている。
広間が爆発したような騒ぎになった。
ギルドの腕利きたちが、口々に叫んでいる。
ソラはその中心で、剣を持ったまま呆然と立ちすくんでいた。
*
「……未だに信じられん」
低い声がした。
ガレスが、ゆっくりと立ち上がっていた。
大きな体でソラを見下ろす。
その目は悔しさと驚きとそれから、ほんのわずかな畏れに揺れていた。
「俺があれだけ引いてもびくともしなかった剣を」
「あ、あの、おれ、その」
「……小僧。一回持たせてくれないか?」
「は、はい」
ソラは恐る恐るガレスに剣を渡したが、その瞬間、重力が狂ったかのように剣にのしかかった。
ガレスの右手と剣は仲良く地面にめり込んでしまった。
「ち、力じゃない。で、伝承通りに勇者の剣は持ち手選ぶのかっ、クソ、手が砕けちまう! 小僧、剣を退けてくれ」
「は、はい!」
ソラは慌てて剣をどかしてやった。
俺ならもうしばらくあのままにしてやったけどな。
「間違いない。この小僧が……。いや我らギルドの同胞、ソラが勇者だ」
そう言って、ガレスは、ソラに背を向けた。
その肩が少しだけ震えていた。こいつ、本当はいい奴なのかもしれない。
ソラは、おろおろしながら、俺を見下ろした。
「こ、コッペ……」
助けてくれ、という顔だった。
俺は何も言えなかった。
というか言えるわけがない。
……なんだ、これ。
俺は頭の中が、真っ白になっていた。
あの剣は俺の魔力に反応していた。
俺の魔力をソラの手を通して引っ張り出した。
ソラが勇者の資質を持っているから抜けたわけじゃない。
俺がそこにいたから抜けたのだ。ソラが抜いたのではない。
俺が、抜かせたのだ。
……いや、待て。
それって、つまり俺のせいで、ソラは勇者にされてしまうということじゃないか?
*
「ソラ君」
落ち着いた声が、部屋に響いた。
ギルドマスターがゆっくりと近づいてきていた。
その顔にはこれまで見たことのない、満面の笑みが浮かんでいた。
だが、俺にははっきりとわかった。
その笑みの奥にある感情が。
……喜び。
それから、期待。そして、何かとても大きな計算のようなもの。
「おめでとう」
ギルドマスターは、ソラの肩にぽん、と手を置いた。
「君は、二百年ぶりに現れた勇者だ」
「え、えっと」
「この街の、いやこの国の希望となる存在だ」
ソラの顔がみるみる青くなっていった。
「ゆ、勇者って、僕、荷運びですよ? ただの見習いで」
「関係ない。剣が君を選んだのだ」
ギルドマスターは静かにしかし力強く言った。
「勇者の剣は、資質のない者には決して抜けない。それは、この場にいる全員が証人だ」
魔法使いの青年が、おずおずと手を挙げた。
「あの、念のため鑑定の魔法を試してもよろしいでしょうか?」
「ああ、頼む」
青年はソラに向かって杖を掲げた。
淡い光が、ソラを包んだ。
しばらくして、青年は首をかしげた。
「……わかりません」
「なに?」
「ソラくんの魔力量は、特に多くはありません。むしろ、少ないくらいです。ただ」
青年は、ソラの持つ剣を、じっと見た。
「剣が、確かに、彼を認めています。それだけは、確かです」
全員の視線が、ソラに集まった。
ソラは、剣を握ったまま、ぷるぷると震えていた。
「どうすれば……」
その声は今にも泣き出しそうだった。
俺はソラの足元にそっと体を寄せた。
大丈夫だ、ソラ。俺がいる。
そう伝えたかった。
でも、その言葉は、口から出てこなかった。
代わりに、頭の中にはただひとつの言葉だけがぐるぐると回っていた。
え、俺のせい?




