43 酒造の町を目指して
ブラスガー村で最も大きな屋敷である、村長宅が私たちの宿泊場所となります。
……ブラスガー村にある宿は鉱山からの荷運び人たちのための木賃宿なので、貴族が泊まるようなところではありませんし。
小さな村の村長宅ですから客間が足りず、村長の息子夫婦が部屋を追い出されてしまい……そこがケイトの部屋として割り振られました。
もちろん、唯一の客間は私の部屋になっています。
なんだか申し訳ない気持ちになるのは私に前世の記憶があるせいでしょう。
細胞のひと欠片まで全てが伯爵令嬢であるケイトは平然としていますもの。本来の住人を追い出したとしても、そんなことは当然だとしか思っていないので……。
自宅であるはずの村長家族の方が肩身の狭い思いをするという……身分制社会の常識。
頭では理解はできるけれど、なんだか気持ち悪いのよね。
……まあ、数年後にはここも町という規模まで大きくなるでしょうし、その時には今よりもずっと大きな町長宅を用意することでお詫びとしますわ。
そのために、ここまでやってきたのですもの!
そういう訳で、村長宅の食堂を会議室として話し合います。
私たちのような貴族が泊まるという前提で建てられているので、食堂の広さは十分です。ごくたまに、ということを考えれば、不必要なくらい広いのですけれど。
「ケイト、こちらがウェンディー卿よ。ナナラブ商会の大番頭を務めているわ」
「ケイノレン・ウェンディーと申します。海の女神に愛されたロマネスク伯爵令嬢とお会いできて光栄です。どうか、レン、とお呼び下さい」
「サラスケイト・ロマネスクよ。リーナお義姉さまの商会の大番頭がここにいるなんて驚いたわ。よろしくね、レン」
ここにいるのはレン――ケイノレン・ウェンディー男爵令息だけではないけれど、ケイトに紹介すべき相手はレンだけになります。
レンがナナラブ商会の大番頭というのも噓ではありません。ただ、ナナラブ商会で働いている人間がタイラントおにいさまとレンの二人だけ、という話ではありますけれど。
残りはみんな平民ですし、ここに呼ばれた者たちは高い役職に就いている訳でもありませんから生粋の貴族令嬢であるケイトに紹介しないのが普通の対応となります。
「あとは、マークスの谷の農園やビルフィアのワイン蔵から呼んだ専門家たちなの」
「そうなのですね」
ケイトはちらりと視線を動かし、すぐに私の方へ向き直りました。
これが、ごくごく一般的な貴族令嬢の……平民への関心度、ですわ。
……そっちに視線を動かすだけマシ、というのが事実でもあります。
平民出身のメイドがそこにいてもいないようなもの、として育っていますからね。それは令嬢だけでなくメイドの方も同じです。
貴族と平民には……それだけの差があるのです。
「あなたたちも、楽にして頂戴。ここでの発言で不敬に問うことはありません。言葉遣いもいつも通りでいいわよ」
私がそう言うと、専門家たちはおどおどとしつつも互いに視線を交換します。
本当にそんなことをしても大丈夫なんだろうか、といったところでしょうか。
大きなテーブルを囲むように椅子が用意されているけれど、座るのは私とケイトとレンだけ。
……そういうものとして専門家たちの方も受け入れていますし、そこは気にしても始まらないので。
「話し合いの中で必要があれば遠慮なく発言しなさい。これは……命令よ」
こういうことを命令しなければならない。
命令されたからという理由があって初めて、安心して発言ができるという……身分差の壁。
……私自身が嫌な人間になったみたいで本当に気持ち悪いのよね。
こうやって事業を拡大していくのであれば……襲撃だけでなく、こういうことにも慣れていかなければならないのでしょうけれど……。
ライスマル子爵家のことでフォレスター子爵家の屋敷まで訪ねてきたククリ商会の先代、ラースみたいな肝の太い人ばかりではないのです。
あれも……命がけだからこそできたことでしょうけれど……。
「では、始めましょうか。レン、調査内容について説明を」
「はい、奥様」
レンは一礼すると立ち上がり、調査の現状を説明し始めました。
ブラスガー村の開発は、酒造を中心として考えています。
ライ麦を使ったライウイスキーですわ。鉱泉水の毒性も心配いらないようでしたから、利益の大きい『酒』という商品を中心にするべきでしょう。
材料となるライ麦畑を用意しなければなりませんから、マークスの農園から人を呼びました。
当然ですけれど、ライウイスキー作りのためにビルフィアのワイン蔵からも人を呼んだのです。少し種類が……酒類が? 違いますけれどね。
ビルフィアのワイン蔵は、ライスマル子爵家の領地にあるワイン蔵です。大夜会の日のマンチェストル侯爵家との話し合いでフォレスター子爵家の所有となったワイン蔵ですわ。
ウイスキーを作るために……ライ麦を育てる畑が必要で……オークの森をある程度は切り拓かなければなりません。
切り倒したオークの木を無駄にするのはもったいないので、当然、流用します。だから、林業がスタート地点になるのです。
もちろん、現地での利用も考えますけれど……木材をどこかに売ることも重要です。今のところ、ミンスクで造船業に使いたいとは思っています。
私が代官になりますからね。手柄持参でミンスク入りしたいですわ。それに……貿易用の大きな船が欲しいの。
「……きこりの数が足りないのね? 大工の方はどうなのかしら?」
「このあたりでは、きこりが大工を兼ねているということでしたから、当然、足りていません」
「オーク材を樽にすることも考えれば、大工は専門でやらせたいわね」
小さな村だと大変ですわ。
一人で何役もこなしているのでしょう。そうせざるを得ないので。
「他にも人手が足りないところがあったら申し出て頂戴」
「あ、あのぅ、奥様……畑の開墾では、オークの根までどうにかせにゃならんので、その……」
「そうね。日雇いになるけれど、できるだけ多くの人を雇いましょう。畑を耕す農家とは別に必要なのでしょう?」
「は、はい。そうでやんす」
日雇いは……一時的だからこそ、逆に難しいかもしれません。
領内各地から農閑期に男衆をひとまとめで雇うのがいいかしら……? 移住希望者がいればそのままという形も取れるかもしれませんし……。
人数はいくら多くても問題にならないという点は強いのです。資金さえあれば。
平民には人権がほぼないですからね……平均的な人件費がとてもお安いので……。
「農業用水……畑に必要な水の確保はどうかしら?」
「このあたりはそこそこ雨もあるんで……小さな井戸でも掘っとればライ麦なら問題ねぇでやんすよ」
一度、言葉遣いをそのままで私が通してしまえば安心できるのでしょう。
表情も柔らかくなっていますわ。
「酒造の方はどうかしら?」
「……そんのぅ、人手っちゅうんは若いのをぅ、何人かぁ、雇うてもろうたらええんですがぁの……ここにゃあまだ建物がありぁあせんでして……」
「必要な建物はレンと話し合ってもらえば全て用意するわ。ちょうど大量のオーク材が手に入るから。でも、そうなるとウイスキー作りは二年後か三年後くらいになるのかしら? 実験的に作ってみることは可能なの?」
「試すっちゅうんはぁ、やりゃあできるんが……味についちゃあ、はぁ、どないもならんでぇ……」
「味については十年、二十年と時間をかけて問題ないわ。お酒ってそういうものでしょう?」
「へぇ、そうさせてもらえるっちゅうんならぁ、お任せぇで」
「任せるわ。……レン、試作用のライ麦と、必要な道具は整えて頂戴」
「はい、奥様」
話し始めてみると、こうして必要なことはそろっていくのです……って。
ケイト……?
淑女としてはよろしくないお顔になっていますわね?
目が点とでもいう感じの……?
「……ケイト、どうかしたのかしら?」
「あ、あの……リーナお義姉さま?」
「何かしら?」
「お義母さまからは案を出すようにと言われているのですけれど……」
「そうね。課題ですもの」
「これは……もう既に事業として動いているのではありませんか……?」
珍しく、ケイトがオロオロとした様子でとても不安そうですわね。
いつもは伯爵令嬢として、それにウェリントンの嫁として、とても堂々としていますもの。
「ええ、そうね。きっとお義母さまも驚くでしょう」
「そ、それは……いいのでしょうか……?」
「問題ないわ。基本的に開発資金は私の商会の方で用意するし、お義母さまが後追いで出資したいのであれば受け入れるつもりだもの」
私は自信満々に力強くうなずきました。
あのお義母さまなら必ず出資するでしょうね。そうすれば税収だけでなく、配当も懐に入りますから。
領内の事業として領政を動かすと、税収だけになります。配当の分、お得ですわ。
……もちろん、領政を動かすと私の利益になりませんから、当然、そちらは却下です。
「……そ、そういう問題なのですか? 何か、違うような気が……」
「ケイトは今日の話し合いの内容をまとめてお義母さまへお手紙を書きなさいな。レン、開拓予定のオークの森に縄を張らせて頂戴。でも、最優先は酒造の位置よ。それを決めてから動かして」
「了解しました。そのように致します」
私は席を立ってケイトを見つめます。
「部屋に戻るわ。ケイトも、もう話し合いは終わりだから、ゆっくり休んでね」
「は、はい……」
ケイトも私を追うようにして立ち上がりました。
まだまだケイトには……事業で利益を得ようという考え自体がないのかもしれません。
最初は、畑を作ればいい、くらいのアイデアしかなかったみたいですものね。
あとは観光とか、無謀なアイデアも聞いた覚えがあります。この小さな村で観光的なスローライフを楽しむには……社会の成熟度が全く追いついていませんわ。
……ある意味ではケイトはとても先進的な考えを持っていたのかもしれません。
まあ、事業やその利益については私が……ケイトを鍛えていかなければならないのでしょう。
お義母さま、お任せを。
私がケイトを育てて……未来の私が少しでも楽になるようにしますわ!
もちろん、事業で大きく稼ぎながら、です。
……だって、ブラスガー村が発展すれば問題ないのでしょう? お義母さま?
税収でウェリントンの益にもなりますし、一石二鳥ですもの。




