42 襲撃の恨み、忘るべからず
馬車の中まで戦いの音が響く。
馬車の守りを固めるため、外の様子が見えないことも恐怖を増幅させている気がします。
怖くて、怖くて、怖くて、怖くて……怖くてたまりません。
私だけでなく、車内にいるタバサやユフィも怖いのでしょう。
それでも二人は……馬車の扉から目を離さないように座り、静かにクロスボウを構えています。
その姿に二人の忠誠心を感じて、ほんの少しだけ気持ちは落ち着きました。
二人の前で主人として情けない姿は見せられないという小さな意地。
それだけでこの恐怖に耐えていますわ。
時間の感覚は曖昧になり、速くなってしまった自分の呼吸をどうにか整えようとするのですけれど、なかなかうまくできません。
緊張を和らげるために話をするという雰囲気でもないので……早く終わって欲しいと願うばかり。
こうして戦いの場に身を置かざるを得ないのは高位貴族だからこそ……どうしても敵を生んでしまう立場であるということが、とても重く感じられます。
……お祖母さまなら、平然としていたのかもしれません。私には、表面上、取り繕うだけで精一杯です。本当なら泣き叫びたいですわ。
前世とは大きく異なる……未だ人権が認められていない身分制社会。
王家が国内を統一しているだけ、この国はまだマシなのかもしれません。それでも……各領地は領主の自治に委ねられ、険悪な関係にある領地間では争いが絶えないのです。
命の価値が軽いから、戦うことへの躊躇いがないとも考えられます。
こんなところで死にたくはないと強く思うと同時に、いつ、どこで死んでもおかしくない世の中なのだと思い知らされるのです。
「お嬢さま。音が……」
「戦いは終わったようです、エカテリーナ様」
クロスボウを斜め下に向けたタバサとユフィが私を振り返りました。
二人の表情にも明らかに安堵が見えます。
言われてみて気づきました。
怒号や銃声、剣戟の音はもう聞こえません。
こん、こん、こん、とゆっくりとしたノックの音が馬車の扉から聞こえます。
「戦闘は終了しましたが、処理しなければならないことがありますので、もうしばらくこのままでお待ち下さい」
クリステルの落ち着いた声が、私を安心させるように響いています。
見ていた訳でもないのに、私たちが車内で怯えていたと分かっているのでしょう。
「……クリステル、負傷者は?」
「軽傷が数名、というところでしょう。こちらに死者や重傷者はいません」
そう言い残して、クリステルの足音が遠ざかります。
……相手には死者や重傷者が出たのね。戦ったのだから当然のことではあるのだけれど。
本当に、ウェリントンの騎士たちは強いのだと理解して、私は大きく息を吐き出しました。同時に肩から力が抜けていきます。
座席に座っていて本当に良かったです。
どうやら安心したことで、腰が……抜けてしまったようですから……。
「それで、何か情報は?」
襲撃の後に移動して、今夜の宿舎での話です。
「残念ながら……何も情報を与えられていないようです。もっとも、重要なことを教えられているような立場の者が相手だとしたら、あのように簡単に勝てるものではないでしょうから」
「……雇われた者だけかしら?」
「騎士や兵士のような、訓練された動きはありませんでした。ただのならず者ですね。情報を得るのは難しいかと」
クリステルの言いたいことは分かります。
同じことをウェリントンでもやりますから、この手の襲撃者から情報を得るのは難しいということですわね。
……スチュワートも、ならず者を雇おうとしている現場をどうにか取り押さえようと動いていたようですけれど、王都内の全てを見張っておくことなど不可能ですから。
「今回の襲撃は、小銭で動いたならず者が成功報酬に釣られた形です。首を届ければ大金がもらえる、という形のやり方ですね。それなりに数は多かったので何か知っている者がいるかもしれないと考えましたが、それは甘い考えだったようです」
実際には……私たちの首を届けたとしても報酬がもらえることはないのでしょう。
その場で殺されるだけです、きっと。
ウェリントン侯爵家への襲撃犯として死体だけが残るのですわ……私たちの首という確たる証拠とともに。
小銭で命をかけてしまう。
そういう貧しさの中にいる限り、まともに生きていくことはできません。
やっぱり、社会全体の豊かさをもっと高めなければ……平和や安全はほど遠いのでしょう。
今回の襲撃者は17名もいたらしく、そのうち5名を生かして捕えたようですけれど。
……今は誰も生き残っておりませんわ。
拷問の末、見せしめとして遺体を……言葉では言い表せない状態にして残してきたということでした。
「移動の予定は変更して、しばらくここに滞在します」
「進む方がいいのではなくて? ウェリントンの領地に入れば……」
「ウェリントンに入るまでが危険ですから、王都からの増援を待ちます。既に伝令は出しましたから明後日には出発できなくはありませんが……伝令が戻ったら領地からも増援を呼びたいと思います」
「そこまで護衛を増やすのね……領地への伝令はまだ出していないの?」
「これ以上、奥様の守りを薄くしたくないという隊長の判断です。領地への伝令は王都からの増援を待って、送ります」
「そう」
クリステルたちがそう判断したのなら、それだけ危険があるということでしょう。
私だけではなく、ケイトもいるのですし……安全は最優先です、ね。
……襲撃を受けている間はものすごく怖いので、護衛が増えるのは大歓迎ですわ。
「王都からと領地からと、両方の増援がそろったら出発したいと思います」
「分かりました。そのようにして下さい。それで、ケイトはどうなの?」
「あの方は大丈夫です。妹もついていますし……それに、奥様よりも、こういう部分では慣れがあるのでしょう。夕食を食べた後ですぐにお休みになりました」
慣れがある、ですか。
ケイトは既に5年もウェリントンの婚約者として過ごしています。
どこにも敵など存在しないくらい力のなかったケンブリッジ伯爵家で育った私とはそこが大きく違うのでしょう。
……こういった襲撃に慣れたくはありませんけれどね。どうにかして事前に防ぎたいものです。
今回の襲撃は王都を中核とする王領の端、王領とソリフル子爵領の境目で起きました。
事前に想定していた襲撃地点の一つだったことも、対応が早く済んだ要因です。
王都からの距離を思えば……王家の関りがあると考えることもできますし、王家の関りが薄いと考えることもできます。
……ミンスクの代官の件が原因なら、ただの逆恨みだと言えます。そういう相手は根に持ちそうなのですごく嫌ですわ。
また、ソリフル子爵家はリバープール侯爵家の寄子です。
そちらへの疑いも捨て切れません。
ここは大人しく、クリステルの言う通りにして増援を待ちましょう。
待ち時間は……ケイトと話す時間にするしかありませんわね。
王都からの増援を二日、領地からの増援を三日、待ちました。
伝令を同時に送った訳ではないというのに、騎士たちの移動はかなり速いのではないでしょうか。そもそも伝令になった騎士がすごく速い気がします。
護衛の騎士が増えて……お義母さまやお義父さまが移動する時とほぼ同じ数の騎士たちが馬車の周りを警戒しつつ、ウェリントン侯爵領を目指しました。
もちろん、襲撃など起こりませんでした。
ならず者たちがどれだけ愚かだったとしても、この数の騎士たちに挑むことは自殺行為だと理解できるはずです。
……スチュワートがいつもよりは護衛の騎士を増やしたけれど、最初からここまでの人数にしなかったのは、わざと襲撃させた可能性がありますわね?
王都でならず者たちを誘いかける瞬間を狙うには、襲撃そのものを中止させてしまう訳にはいきませんから。
クリステルたちの戦闘力を信頼してのこととはいえ……護衛の数を制限したことで私たちが怖い思いをする可能性は考慮しないなんて……。
家令としては正しい判断でしょう。
誰が敵なのかという判断難しい状態では、おとり捜査も止むを得ません。
根っこを抜かなければ雑草は生え続けますもの。
それは分かっていますけれども、私、個人的には恨みますわよ……? ウフフ……。おとりにされてしまった女性たちの気持ちは、いつか私が代弁してみせましょうね……。
今はもうウェリントン侯爵領の中を移動しています。ケイトがお義母さまから課題として示されたブラスガーの村を目指して。
護衛の数も少し減っていますわ。
領境の関所には兵士も詰めていますから、不審な集団が抜けるには一工夫が必要になります。
他領よりもはるかに安全ですもの。
領地の軍事力の強さと治安の良さは基本的に比例します。
たまに、その軍事力が治安を乱す例もありますけれど……それは領主の在り方の問題です。ウェリントン侯爵領では誇り高い騎士たちが指揮官となり、未来の騎士たる従士たちの意識も高いのでそのようなことにはなっておりません。
「リーナお義姉さまのお話では、まずは林業からということでしたけれど……」
「実際に町の開発を進めていく、という時には、同時進行になるわよ」
今はケイトも同じ馬車の中です。
護衛としてクリステル姉妹が一緒に乗っています。もちろん、侍女の姿で。
タバサたちやオルタニア夫人など、他の侍女は別の馬車ですわ。
「でしたら、なぜ、まずは林業なのですか?」
「それはウェリントン侯爵家とフォレスター子爵家の歴史と関係しているわね」
「……『豊かな海を守るには森を大切にせよ』でしたか? 海と森がどう関係するのか、よく分からないのですけれど、ウェリントンを栄えさせた先祖の言葉ですから意味はあるのでしょうね」
「経験から何か、学んだのでしょうね」
不思議そうな顔をしている可愛い義妹にそう答えて、私は穏やかに微笑みました。
私は前世で……小学校だったか、中学校だったかは忘れてしまいましたけれど、そういう話を国語の時間に学んだ覚えがあります。
内容は理科とか社会のような気がするのだけれど、読み物として国語の教科書に載せられていたはずです。
森を守ればそこに降った雨が栄養のある土壌を経由して川に流れて……最終的に海のプランクトンも豊富になるとかなんとか……。
いちいちそれをケイトに説明したりはしません。
大事なのは……森を大切にする、という一点ですし。
「林業は、間伐と植林。これが大事よ」
「間伐は……間をあけて伐採するということですね。植林とは……畑の野菜のように樹を植えるのでしょうか」
「畑のように、とはいかないけれど……二十年、もしくは三十年かけて、次の木材を育てるの」
「三十年……その頃にはミンスクがウェリントンに返還されていますよ、リーナお義姉さま。そんなに先の……いえ。そうですね。『森を大切にせよ』ですもの。重要ですね。間伐も、森を全て開拓してしまうと守れませんから必要だと分かりましたわ」
ウェリントン侯爵家の言い伝え、という話の方がケイトにとっては受け入れやすいのでしょう。科学的な納得よりも。
「ブラスガー村の周辺はオークの森ですもの。大切にしないと」
「オーク……ああ、頑丈で、水にも強く、船に使うと教わりました。なるほど、確かに海と繋がっていますね」
ケイトが明るい笑顔で納得しました。
え、いや……そっちなの?
もちろん、オーク材は造船業に必要ですけれど、それが海との繋がりだなんて短絡的な……。
でも、意外とウェリントンのご先祖様もケイトと同じような考えだったのかもしれませんわね。
私は船ではなく酒樽として加工されたオーク材をイメージしながら、そんなことを思ったのでした。




