39 ケンブリッジ伯爵領の領地改革計画案
「……リーナの客って、ライオネルだったのか。教えてくれたら顔くらいは見せたのに」
「忙しいのは分かっていたので、声をかけなかったの。まあ、どうせそのうち、顔を合わせることにはなるでしょうし」
弟を笑顔で見送った後は、タイラントおにいさまとの打ち合わせです。
もちろん場所はここ、旧ケンブリッジ邸ですわ。
「そのうち顔を合わせる……?」
「ええ。ここが本社家屋になったでしょう?」
「いや、確かにそうなったが、そこにわざわざ従弟が会いに来るとい……あ。まさか、ライオネルとの話って商談だったのか?」
他にどういう話があるというのかしら?
一応、ライオネルにしてみれば領地経営の改善の話のつもりだったでしょうけれど、領地経営も経営のひとつだもの。当然、商談につながるでしょうに。
ここ、旧ケンブリッジ伯爵邸は今、ナナラブ商会の本社家屋となりましたの。
もちろん、ナナラブ商会だけでなく、ザラクロ商会やランドリネン商会で働く人たちもみんな、この屋敷を利用しております。
ついでに、この屋敷の管理のための使用人としても働かせておりますけれど。
ほとんどの者はフォレスター子爵家のお屋敷で鍛えられておりますから、よく働いてくれますわ。
……ケンブリッジ伯爵家の使用人が少なくなってしまって使っていなかった使用人寮なんかも、十分に活用できますし。
それに、こちらへと使用人たちを異動させることで、新たにウェリントン侯爵領から人を雇うことも可能になります。
商会の数が増えれば、それだけ人でも必要になりますからね。
同時に……それぞれの商会で働く者たちがこの本社家屋の維持をすることで、ここをホテルのようにも使えるという部分が大きいのです。
……他にも王都のタウンハウスを手放したいと考えている男爵家や子爵家があるかもしれませんから。そういうお屋敷を安く買い取るためにも、この旧ケンブリッジ邸はとても都合がいいのです。
何より、フォレスター子爵家の客間だと肩身が狭いとぼやいていたタイラントおにいさまにとってはいい場所のはずですわ。幼い頃から何度も遊びに来ていた場所ですもの。
タイラントおにいさまの部下になったケイノレン・ウェンディー男爵令息も、フォレスター子爵家の客間だと居心地が悪そうでしたし。
これから先、新たな商会を作った場合も、基本は旧ケンブリッジ伯爵邸を本拠地として活動させるつもりです。
ここが手狭になるか、他の場所の方が合理的な場合はそれに合わせて考えますけれど……。
「とりあえずクロサガ商会を作りたいの。会頭はドットで」
「とりあえずってことはひとつじゃないんだな……ついさっき、忙しいのは分かってるって言った口で仕事を追加してきやがって……」
「あら? やらないの? できない訳ではないでしょう?」
「いや、もちろん、やるぞ。リーナのアイデアはよく当たる。じいさんも誉めてたしな」
タイラントお兄様は目をギラつかせながらそう言いました。
……おじいさまからの評価は少し嬉しいですわね。
王都でも有数の大商会を築き上げた商人なのです。
認められたというのは私の考え方が間違っていないことの証明でもあります。
「まあ、忙しいとは言っても、ランドリネン商会の方は実質的にシーズニング卿が回してくれてるから」
「スチュワートも自分から仕事を増やす人なのよね……まあ、優秀だからいいのだけれど」
スチュワートにとって、ランドリネン商会は密偵のようなものです。
色々な貴族家へと洗濯やベッドメイクで使用人を送り込み、噂を聞き込むと同時に噂を流す。スチュワートにとっての情報は政治的に利用すべきものですわね。
私は……どちらかというと、ランドリネン商会を使って得たい情報は、マーケティングリサーチのようなものです。
どこに商売のタネが転がっているかは分からないものですから。
使用人たちの噂話はあなどれません。
今回はその中の、葉物野菜の話を報告書で見かけて活用できると思いましたの。
その情報って、スチュワートの仕分けではもっとも情報価値が低いという扱いでしたけれど……。
王都で葉物野菜はそれぞれの屋敷で少しずつ育てているのです。
庭付きの屋敷持ちの貴族の場合は、料理人と相談して庭師が育てています。裏庭に小さな畑がある光景は華やかな王都だというのになかなか穏やかな感じがしますわね。
庭のない屋敷に住む法衣貴族や、庶民の場合は鉢植えで育てているようです。もちろん法衣貴族の場合、育てているのは使用人ですわ。
基本的に食卓に並ぶのは根菜が中心で、葉物野菜はあまり食べる機会がありません。食べるとしてもわずかです。こういう状態なので、それも当然の結果だと言えます。
領地の場合はそうでもないのですけれど、王都ではどうしてもそうなってしまいます。
農地が足りないから、です。
根菜の方が長持ちするという点も大きいのでしょう。
葉物野菜はすぐにダメになってしまいますから。
だから……ケンブリッジ伯爵領の領地改革の基本方針は、近郊農業、ですわ。
1日足らずで王都に輸送できるケンブリッジ伯爵領ならではの産業になるはずです。それも葉物野菜を中心にして転作させるのです。
今のケンブリッジ伯爵領では小麦が基本ですからね。
どこでも育てている小麦は別にいらないでしょうし。
もちろん完全に転作させるのではなく、畑を分割して小麦と葉物野菜と豆類で使い回す形がいいかと思います。
豆類を挟めば地力を回復できるというのは前世で聞いたことがありますし。
とりあえず、ほうれん草やケール、クレソンなどがいいのではないかしら?
後は……養鶏ですわね。
卵をどうにか、確保したいのです。私、が。
鶏も葉物野菜と同じく、それぞれの家でどうにかしています。当然、フォレスター子爵家のお屋敷にも裏に鶏舎がありますわ。
当然ですけれど、庭もないような家で鶏を飼うのは無理です。そういう家ではまず卵料理は食べられません。
卵が手に入るのなら……王都の食文化が大きく変わる可能性もあります。
問題は輸送ですけれど……緩衝材に不安がありますから。
これは馬車を使わずに歩いて運ばせることで解決できるかと思います。卵を割ってしまった分だけ輸送費の支払いが減るとなれば、丁寧に運ぶことでしょう。
鶏糞は発酵させれば肥料にできるはずですし、一石二鳥です。
それに……この事業モデルが成功すれば、ウェリントン侯爵領の領都のような、ある程度の人口を有する都市なら同様の事業が可能になるはずです。
新鮮な葉物野菜を食べることは健康にもつながるので……いいアイデアではないかしら?
「それでドットにやらせるクロサガ商会ってのは何をさせる気だ?」
「ケンブリッジ伯爵領から王都までの輸送業よ」
「ああ、ドットは今、御者だったな。なるほど……また、侯爵領から人を集めて働かせるのか?」
「そうしないとスチュワートがうるさいもの。でも、ケンブリッジ伯爵領の人も日雇いで働けるようにはしたいわね」
歩いて卵を運ぶ仕事はケンブリッジ伯爵領の領民に任せた方が合理的です。
その場合は日雇いで、従業員という形にはしない。そうすることで節税しましょう。
「それで、何を運ばせるんだ?」
「葉物野菜と……いずれは卵、ね」
「葉物野菜? それに卵だって? 葉物野菜はまだ分かるが……卵を馬車で運ぶのは難しいだろう?」
「だからケンブリッジ伯爵領の人を日雇いで働かせるのよ。歩いて王都まで、ね」
「……なるほど。割らずに届けた分だけ、給金がもらえる感じだな?」
流石はタイラントお兄様です。
私と同じことを考えましたわね。
「確かにその仕事なら、シーズニング卿もウェリントン侯爵領の領民にやらせようとは言わないだろう」
「そもそも、ケンブリッジ伯爵家も出資する予定の商会なのよ。スチュワートにそこまで口出しはさせないわ」
「そんな資金が……ああ、この屋敷を売った金があるのか……なんだ、全部リーナの狙い通りか」
「問題は葉物野菜や卵を販売するタネサカ商会の方ね。農業指導も必要になるだろうから、そっち方面に詳しい人がいいのだけれど……」
「うーん。農夫以上に詳しいやつなんているか?」
「一応、マークスの谷の農園で働いている人から人材を見つけたいとは思うのだけれど……」
マークスの谷の農園は元々フォレスター子爵家の所有する農園でした。それを私が旦那様の契約違反を突いて巻き上げたのです。まだウェリントンに嫁いだばかりの頃の話ですわね。
現地に行ったことはないので、いずれ顔は出そうと考えていましたから……いい機会かもしれません。
どうせケイトの課題や公女殿下の代官になることも含めて、各地を巡るのです。
ついでにマークスの谷の農園にも行くことに決めましたわ。
これはこれで、エカテリーナ、行きます、ですわね。
「しかし、卵は知らんが、葉物野菜は日持ちしないだろう? 売れ残ったらどうする気だ?」
「売れ残りませんわ。最終的にはウェリントンとフォレスターで買い上げます」
「あ、そういうことか……まあ、ウェリントンの予算がリーナの小遣いになるだけなら問題ないな」
そう言って、タイラントお兄様はにやりと笑いました。
本当に、よく分かってらっしゃること。
……そういえば、葉物野菜の日持ちを気にしなければならないのは、冷蔵庫がないからね?
氷室のような貯蔵庫の話も聞かないから……そういう実験もしてみるといいかもしれませんわ。
冬の王都なら桶の水も凍るでしょうし……。
あと、サンハイムで用意している温室も、ケンブリッジ伯爵領で使えるかもしれません。
温泉水を流して温めることはできないとしても、ケンブリッジ伯爵領なら温室を作るだけである程度の促成栽培は可能になるでしょう。
イチゴの栽培も……王都の方が大きな利益になりそうですし、やってみる価値はあるでしょうね。
私は色々と事業のイメージを膨らませながら、タイラントおにいさまとの話し合いを続けたのでした。




