40 恨まれたくなくても恨まれてしまうのが高位貴族
「あら? お相手は一人なの? サンハイムで読んだ報告書とは違うけれど?」
「今は一人になった、でございます。少し前までは数人いましたので。あれだけ長く王都を離れていれば変化も起こります」
「そう。お気に入りができた、ということね」
「あれだけ長く、という部分はあっさりと聞き流されてしまったのですが……」
フォレスター子爵家のお屋敷の執務室で、私は旦那様に関する報告書を確認していました。
旦那様に関する報告というのは、もちろん浮気のことです。
話している相手はもちろんスチュワートですわ。
……妻である私の公認なので、厳密には浮気でも何でもないのかもしれませんけれど。
「それにしても平民とは……酷いことをしていなければいいのだけれど」
「平民で貴族の愛人になろうという者ですから、それなりの強かさはあるか、と。そこは奥様が心配なさるような必要はありません」
「心配なのは旦那様の方よ」
場合によっては平民を虐げる貴族、などという不名誉な話にもなりかねません。
実際、そういう貴族はたくさんいるので、旦那様がそうなったとしても今さらではあります。
それでも、他人がそう言われているのと、身内がそう言われているのでは大きな違いがあります。
愛人としてほどよく大切になさって下さるといいのですけれど。
「ところで、旦那様はどうして平民の女性を?」
「奥様。分かっておいでなのに、確認するのはお止め下さい」
「あら? スチュワートの見解も聞いておきたいわ」
そう言うと、スチュワートが遠慮のないジト目を私に向けてきました。
まあ、こういう視線を向けてくるくらいには打ち解けてくれているということでしょう。もしくは、私のことを色々と諦めているのかもしれません。
少なくとも、そのくらいのことを咎めるような女主人ではないと思ってもらえているようですわ。結構なことよ。
「それで?」
「……はぁ。はっきり言ってしまえば、貴族の女性……ご夫人やご令嬢を相手にした場合、どのような事態になるか、予想ができないから、でございます」
「例えば、ライスマル子爵家のようなことが起きるかもしれない、と?」
「そうです。あの経験は旦那様にとって大きな教訓となったようですので」
「そう。それは良かったわね」
「友人の祖母が毒杯を呷って死に、その結果として友人もまた失いました。流石に考えるところがあったのでしょう」
あの時の薬は思った以上に効いたらしいです。
ライスマルの大奥様の命を奪ったのですもの。
旦那様にもせめてそのくらいの自制は身に付けて頂かなくては困ります。
ただ、それで平民女性にのめり込むというのは……やっぱりドクズはドクズのままということなのかもしれません。油断禁物ですわ。
「つけ加えるならば……」
「あら、まだ何か?」
「はい。ございます。あの一件の後、旦那様はどうにか奥様との関係を良くしようと、贈り物などをなさっていたのですが……」
「あぁ……そういえば、私にはまだ似合いそうもないアクセサリーをいくつか頂いたわね」
あれはもしもの場合の換金用アイテムとして大切に保管しております。
資金になるからとすぐに贈り物を換金するのは失礼ですもの。相手が旦那様のようなドクズであったとしても。だから、あくまでも、もしもの場合、ですわ。
そもそも私と旦那様との関係は白い結婚での契約結婚です。
改善するべき夫婦関係というものは最初からどこにもございません。
互いに敬意を持って、結ばれた契約を守っていればそれで十分なのです。
……私は好きなように色々と楽しんでおりますし。
それにしても……あのプレゼントは、旦那様からの歩み寄りだったとは……。
私の方にはそういうつもりが微塵もないので、どうしてプレゼントを買って帰ってくるのか不思議に思っていました。
まさか、私との関係を良好にするためだったなんて。
完全に想定外ですわ。
確か、あの頃は……早く違約金を払え、くらいしか旦那様に対して思っていなかった私の方が冷たい人間なのではないでしょうか?
「……あの時のアクセサリーが奥様に似合うかどうかは脇に置いておきますが、それで奥様との関係が改善できなかったので、平民女性に溺れたのでは、と私は考えております」
まあ、私の見解も基本的にはスチュワートと同じです。
旦那様はライスマル子爵家の一件で、貴族令嬢に手を出すことを怖れるようになったのでしょう。どうして公女殿下との婚約破棄の時に気づけなかったのかは謎ですわ……。
私との関係改善という話は……スチュワートの勘違いという可能性もあるので……。
「まるで私の責任かのように言わないで欲しいわね?」
「もちろん、徹底的に冷たくあしらった奥様の責任ではございません。だいたいは旦那様ご自身の責任ですので」
冷たくあしらった自覚はありますけれど、私にとって旦那様は優しく接する相手ではないので。
「だいたいは? あと、冷たくあしらうのは当然よ、当然」
「……旦那様には旦那様で、かつてそういう道へと引きずり込んだ悪友もおりましたもので。その点は同情の余地がございます」
……私ではなく、旦那様の成育歴にそういう悪友が関わっていた、と。そういうことね。
誰だか知らないけれど、その人の罪は大きいわね。
まあ、次期侯爵となる旦那様はその地位が守られるべき存在ですもの。
どうにでもなりますから放っておきましょう。
それよりも……。
「……報告書を読むと、ずいぶんと奔放な女性のようね?」
「貞淑な平民女性は相手が貴族だからといって愛人になどなりません。無理矢理そうしない限りは」
少なくとも旦那様は財力や権力で貞淑な平民女性を無理矢理愛人にした訳ではない、と。
一番、貴族として平民から嫌われるようなやり方ではなかったのね。
そこだけは安心できそうな話です。そこ、だけ、は。
「まあ、それはもちろんそうだけれど……旦那様が騙されているという可能性は?」
「ある意味では騙されていると言えます。しかし、それはお相手の逞しさだと考えるべきか、と」
あら。
そういうスタンスなのね、スチュワートたちは。
……この機会に、平民女性を相手にする不貞行為も封じたい、と。なるほど。
「……旦那様への忠告は?」
「婉曲には」
それは、伝わっていないということね。
それでいて、スチュワートたちは一応、責務を果たした、と。
一家の主人に唯々諾々と従うだけでなく、釘を刺せる上級使用人がいるというのは大きい。
特に侯爵家のような高位貴族では、諫言した者の首が次の瞬間に飛んでいる可能性もあるのだから。
……それでも旦那様がこういう方になってしまったということは、さっきの悪友という存在が大きく影響していたとスチュワートは考えているのでしょう。
スチュワート自身も責任を感じているようですし。
「まあいいわ。気にしても仕方がないもの。契約でもそういうことは認めるとなっていますし」
「はい。了解しました。それと、奥様……」
スチュワートの雰囲気がより真剣なものへと変化しました。
「……護衛の騎士たちから、不審な様子があったと報告が入っております」
「不審な様子?」
「騎士たちも確信がある訳ではないようです。勘とでも言うべきものか、と」
……そういう、その道の人たちが感じる勘というものを甘くみてはいけないと思います。
「……何があったのかしら?」
「馬車を物陰から見つめている者がいた、と。しかもよく似た服装だったので、同じ者の可能性もあるのではないか、と」
「見張られている? もしくはつけられて……?」
「おそらくは。今後の移動には護衛を少し増やします」
「そう。分かりました」
どこかに敵がいる。
高位貴族ですもの。それは当然のことではあります。
しかも、敵が誰かが分からない状態で。
こういうのが一番、対処が難しいのです。
疑わしい人物が多ければ多いほど、警戒対象がひたすら広がっていきますから。
例えばライスマル子爵家の関係者やその寄親であるマンチェストル侯爵家から恨まれていたとしても不思議ではありません。
あとは……私よりも先に旦那様とダンスを踊った3人の令嬢などもそう。
それに、国王陛下がミンスクの代官として派遣しようとしていた誰か。
まだまだ、考えれば本当にキリがない。
財力や権力を握っているというのは、そういうことなのです。
恨まれても仕方がないことはやってきていると思います。立場上、そうせざるを得なかったとしても。
「王都を離れる場合にはさらに騎士を増やすことにしておりますので」
「ええ、そうして頂戴」
「どうか、ご安心を。ウェリントンの騎士たちは今の世においても精強ですから」
長い歴史の中で、ウェリントン侯爵家を大きくしてきた武力。
今のこの国はそれなりに平和な中にあるけれど、騎士たちの訓練を怠ってはいない。ウェリントンに大きな力があるのはそういう尚武の気質も影響しているのかもしれません。
それにしても……。
見えない敵は本当に厄介なものですわね。
いったい誰なのやら……。




