◇ニルスサイド◇
布が裂かれる音、陶器が割れる音、壁を殴りつける音。
すべてが他人事のように、どこか遠くで起こっているように感じる。
心が冷たく、凍ってしまったかのように重い。
「俺から離れる事は赦さない。もしそんな事になったら殺す」
自分の声が、ひび割れた老人のもののように聞こえた。
無茶を言っている。
彼女には好きな人がいるのだ。結婚の約束までしているらしいのに。
わかっているのに止まらない。
離れていくのがわかっている人を無理やり自分の傍に縛りつけてどうする?
こうして、縋って脅して、言うことを聞かせ ても、それは相手にとっての真実の気持ちからではないことはわかっているのに。
そうだ。この女も俺を裏切って、俺から離れていってしまうのだ。
悪癖のように、それを確認しないと気がすまない。
自虐的だかそれを自分で止められない。
「また…怪我している」
彼女は俺の手を見て、ため息をついた。
「自分で自分を傷つけて…痛かったでしょう?」
怪我は痛い、でももっと痛いところがある。
苦しい。痛くてとても苦しい。
「我慢できないんだ。俺は…俺は…」
彼女の腰に回していた腕に力をこめる。
俺は彼女の前に跪いていた。彼女の腹部に顔を埋め、あふれる涙を彼女の服に吸わせていた。
「こんな痛み…」
感じない。心を裂かれるようなこの哀しみに比べたら。
「ちゃんとラーナ様と話されました?子爵様とは?」
怪我をした手がぼんやりと温かい。彼女がヒールをかけてくれたのだ。
「無理だ。父上は俺達のことなんかっ」
いつものように親父を罵ったつもりだった。
でも口から出たのは…。
わかってた。わかってたんだよ本当は。
「寂しいのは嫌だ」
俺は彼女に縋った。
「そうだね」
彼女は少し躊躇ったように言った。
「大人だって完璧じゃないって知ってた?」
彼女は話した。死んでしまった幼馴染のことを。
「彼の両親は、彼を愛していなかったわけじゃないと思う。でも愛するってことを知らなかったみたい。大人になっても人の愛し方を知らない人っているんだよ」
ご飯だけ食べさせていれば、それを「愛している」と思っていた人達。
お金だけを渡していればそれを「可愛がっている」と思っていた人達。
彼らはそれを「愛」だと思っていたのだ。哀しいほどの無知。
「シュタイン子爵様も、不器用な人に見えるよ。少しだけ歩みよってみない?」
いつまでも、義理の母のことで、自分は父親を責めて拒否しているのに。
子どもたちに興味がないわけじゃない。ただ仕事が忙しすぎるだけなのだ。
知っている。知ってるけどみない振りをしてきた。
いつまでも心の扉を閉ざして、拒んでいたのは自分の方。
欲しいものをくれないからと言って、強情を張っていたのは自分。
認めたくはないが、自分が我を張っていた結果がこれだ。




