第五章 二話
街中の人々がパレードを見ようと、大通りに集まっていた。これほど盛大なイベントは最近まったく行われていなかったため、誰もがこの日を楽しみにしていたのだ。その中の一番の目玉が、このパレードだった。
近隣諸国から招かれた踊り子や楽士たちが行列の先頭を進み、人々を大いに楽しませてくれた。ほとんどの者が国を出たことがないため、見るものすべてが珍しく、動物たちの芸に驚き、華やかな衣装に身を包んだ踊り子に歓声を上げる。
そのせいか、裏通りなどには人の姿はなく、たまに通るのは警備兵や行列を追いかける子供たちだけだ。そっと姿を見せたアイソリュースは、注意を払いながら大通りに向かう。
彼女の名は有名だが、その姿を知るものはもう生きてはいない。しかしその容貌は他人の視線を集めるには十分すぎるほどで、アイソリュースは出来るだけ目立たぬように俯き加減で歩く。
人混みに紛れ、パレードを見られる位置に移動すると、後は気配を消してじっと待った。
(すっかり変わってしまった)
賑わいを観察しながら、アイソリュースは思う。
かつてのこの地は、希望など見出せない場所だった。人々はただ死を待つばかりで、祈りすら届かぬほど悲しみに満ちていた。それを変えたのが、ゼーマンなのだ。
彼の夢は叶った。そして、彼が築いたものは尊いものである。少なくとも自分の感傷に比べれば――アイソリュースはなんだか、可笑しかった。
(感情的になった方が負けね)
不意に、アイソリュースは悲しくなった。そっと視線を巡らせ、知っている顔を探してみる。とは言っても、彼女が知っているのはイーリーだけだ。
どこかにいる……姿は見えないが、彼女にはわかった。本当に自分を止めるつもりなのだろうか。敵わないと分かっていながら、戦いを挑んでくるのだろうか。
会いたい、けれど会いたくない。くじけそうになる心を、アイソリュースは奮い立たせた。
「イーリー……」
ぎゅっと自分の腕を抱く。その時、ファンファーレが国王の登場を告げた。
白の豪華な馬車に乗ったのは、警備兵を除いて三人だった。まず中央に、善政で国民の信望も厚い、三十八歳の若きシュタルク・ハイデル国王が座し、右隣にはシュタルク王の友であり王国一の勇士、レマー・ヘインス将軍、そして左隣にはすでに三百歳を越えていると噂される、宮廷大魔導師チャンドラー・アトウートが居た。
三人の登場に、これまで以上の歓声が人々からあがる。滅多にその姿を見る機会がないため、誰もがその姿を目に焼き付けようと興奮していた。
イーリーも思わず、身を乗り出す。視線は自然と、チャンドラーのところで止まった。
「あの人が……」
しかし、聞いていた話とは違う気がした。厳しさの中にも優しさのある人物だと言われているが、その顔は笑顔であるものの、目の奥にある光は殺意のように鋭い。まるで、獲物を探す獣のようだ。
その目が一瞬、イーリーを捉えた気がした。彼は背筋が凍り付く。
(気のせい……だよな?)
チャンドラーが自分を知っているわけはない。そう自分に言い聞かせるイーリーだったが、嫌な予感がした。
悲鳴が上がったのは、その時だった。民家の屋根に居た人々が服を脱ぎ捨て、黒装束の集団に姿を変え、国王の馬車めがけて襲いかかったのだ。その数は数十名にも上った。
「国王を守れ!」
レマー・ヘインスの怒号を合図に兵士が動き出し、人々は迷走した。一瞬で周囲は混乱して、イーリーは人混みの中で押されたり突き飛ばされたりしながら、アイソリュースの姿を探した。この混乱に乗じて、国王を狙うに違いなかった。しかし小さい彼の身体は、逃げまどう人の流れに逆らいきれずに、大通りからどんどん離れていく。
一方のアイソリュースは、すでに馬車まで迫っていた。まるで激流を割る岩のように、人々が彼女を避けて走って行くのだ。気配を消してそっと近づく彼女に、チャンドラーが気付いた。
「やはり来たか。封印が解かれたことは、すでに承知していた」
不気味な笑みを浮かべるチャンドラーに、アイソリュースは眉をひそめた。
「二人きりで話をしようじゃないか」
「断ったら?」
「反逆罪で、一人の少年がその首を大通りで晒されるだけだが……ふふふ」
チャンドラーがそっと目を閉じるとその背中に透明な翼が現れ、彼はそのまま猛スピードで一直線に上昇して行った。アイソリュースは舌を打ち鳴らし、同じように【常駐魔法】で翼を出現させ後を追った。
遙か数百メートルも上空、王都を見渡せるほどの高さだ。
「さほど時間もあるまい。単刀直入に言おう。アイソリュース、私に協力しろ」
顔色も変えずに、彼女は黙ったままチャンドラーの話を聞いた。
「私の願いは、魔法による世界の安定だ。拮抗するパワーバランスは、魔導師によって保たれる。だが若い者はそれがわからん。目に見える力に頼りがちなのだ。これまでハイデルが安泰だったのは、すべて魔法のお陰だというのに、シュタルク王は養成所の廃止を検討している。これは、大きな問題だ。そこでだ、王に魔法の必要性を肌で感じてもらうため、お前に協力して欲しいのだ。なに、適当に暴れるだけで構わない。私と戦い、頃合いを見計らって退散するだけだ。奪った金品はそのまま持ち帰ってもよい」
「金品が欲しいなら、何もあなたの許可は必要ないでしょ? 力ずくで奪うだけだもの」
「私を侮るなよ。ならばここで、名も知れぬ女の屍となるがいい。残るのは、魔女が復活したという事実のみ。それだけで十分だ――!」
チャンドラーは左手の指輪をかざす。装飾された漆黒の魔石は強大な魔力を孕み、押し込められた殻を破るように溢れだした。そして人の顔をした獣の姿が重なり、その咆哮は雷を呼び出したのだ。
空を切り裂く雷はアイソリュースに襲いかかった。身をよじって直撃はかわしたが、脇腹をかすめた鋭い痛みに彼女の顔は歪む。
「高位の呪文を封じた魔石だ。お前が生きた時代には、このような物はなかっただろう」
得意そうな顔でさらに攻撃を仕掛けようとするチャンドラーに、アイソリュースは反撃を開始する。
「嘆きの詩人、鎌手のロウホーストよ――」
呪文を詠唱するアイソリュースは、だが、異変に気付いて口を閉ざした。その直後、白い触手のような物体がチャンドラーの左腕に巻き付いたのである。その触手は、王都を覆い隠すほど溢れた白い雲のような物体から延びていた。
「なんだあれは!」
驚いたチャンドラーは巻き付いた触手を外そうと試みるが、逆に締め付けられて骨が軋んだ。
「お前の仕業では…なさそうだが……いったい何だ……?」
「……おそらく、魔法陣よ。強大な魔力に反応するようね。私も攻撃は出来ないけど、その指輪がある限りあなたは逃れることは出来ない。どうする?」
「魔法陣だと……まさか……」
チャンドラーは歯を剥いて獣のように呻くと、右手にはめた指輪を左肩にあてがった。瞬間、小さな爆発とともに彼の左腕は吹き飛ばされてしまう。そしてすぐさま、チャンドラーは右手の指輪を口で外すと空中に吐き捨てた。
白い触手は新たな獲物にも襲いかかり、チャンドラーそれを横目で見ながらは傷口を押さえ落下してゆく。アイソリュースもまた、飛翔の魔法を解除して、白い物体の中へ落ちて行った。