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第五章 一話

 アイソリュースの復活から数日が過ぎたある日、プリムと母リアナは老騎士ボルン・ディラックと共に、ピーモ族の医者を捜して旅立つことになった。イーリー・シュレイガーが事情を正直に話し、説得をしたのだ。

 最初はリアナがプリムと二人だけで街を出ると主張したが、ボルンの根気に負けて同行することが決まった。

 朝日の白い光が世界を包み、鳥のさえずる声が耳に心地よい、目覚めにはまだ早い時間、荷物をまとめたボルンが現れる。見送りに出たイーリーの手を取り、力強く握りしめた。言葉はなくとも、好々爺の優しい笑みが感謝を表す。子のないボルンにとって、リアナは娘のようであり、プリムは孫のようだった。

 そのプリムがリュックを背負って飛び出してくると、イーリーの姿を見つけて抱きついてきた。

「お兄ちゃん……」

 小さく鼻をすすり、涙声で呟く。

「元気でね、プリム」

 頷く少女の頭を、イーリーは優しく撫でた。少女はそっとイーリーから体を離し、涙のたまった目で彼を見上げたが、たまらずボルンにしがみついて低く嗚咽を漏らす。プリムにとってイーリーは、初めて出来た友達であり、兄であり、そして初めての別れなのだ。

 ボルンがプリムを連れて少し離れると、まだ少しやつれた顔のリアナが旅支度を整えそっと姿を現した。

「本当に、お世話になりました」

 ゆっくりとした動作で頭を下げたリアナに、イーリーは照れたように笑う。

「リアナさんを助けたのはアイサさんです。僕は何も……」

「いいえ。あなたの決断がなければ、アイサ様は今もなお暗闇にあり、私はかけがえのないものを残し無念の死に襲われるところでした。あなたの聡明さにこそ、感謝すべきなのです」

 目を細めて、柔らかな笑みを浮かべるリアナに、イーリーはどんな顔をすれば良いのか少し困った。

「これから、どうするのですか?」

 リアナの問いに、イーリーは首を振る。

「まだ、決めていません。いえ、街を出るつもりはありませんが、残ってどうするのかは……。ただ、ボクは何としてもアイサさんの復讐を止めたいんです」

「復讐……そう、確かにそれは復讐なのかも知れません。けれどイーリーさん、アイサ様はこれまで自分のために戦ったことは一度もないのです。なぜ、ピーモ族にとってアイサ様が英雄なのか知っていますか?」

「……いいえ」

 彼女が魔法を習得し、多くの仲間を救ったことは知っているが、それが英雄と呼ばれる所以だとは思えなかった。

「ゼーマン王はアイサ様を封じた後、彼女の故郷を襲撃しました。ここの書庫にある本は、すべてその時に奪ったものです。魔法に関する知識が何もなかったこの国の人々にとって、アイサ様のコレクションはどうしても欲しかったのでしょう。激しい戦いを予期して送り出された数千の兵士が到着した時、しかし村にはわずかな老人ばかりでした。封印されてもなお同胞を守ろうとしたアイサ様は、忌まわしき暗黒のしもべ、【ヴィディ・ブドゥル】と契約をしたのです。ヴィディ・ブドゥルの名は生ある者にとって禁忌でしたが、アイサ様の契約によりピーモ族だけは呪われません。彼の者は使者となり、村人を安全な場所まで避難させたのです」

 少し疲れた様子で呼吸を整えたリアナは、さらに続けた。

「多くの村人を救ったアイサ様でしたが、その代償はあまりにも大きかった。ヴィディ・ブドゥルは別名『生の始まりを喰らうモノ』と言います。アイサ様は女にとって大切な、子を宿す器官を差し出したのです。それがどれほどの苦痛なのか、私はプリムを宿した時に知りました」

 慈しむような眼差しで、リアナはプリムを見た。少女はまだ、老騎士に抱きついて泣いている。

「あの子がもし居なければ、私の一生は何の光を浴びることもなく、ただ、暗い小道のように続くばかりだったでしょう。小さな手を握りしめた時の、胸に沸き上がる希望は、何物にも代え難いのです。あの子のいない生活など想像も出来ないし、きっと自分のような弱い女は、生きていくことなどできません。妻であること以上に、母であることの誇りは、女を強くするのですから」

「……」

「ピーモ族の女はアイサ様を忘れません。彼女のしてくれたすべてを、語り継ぎます。たとえ男たちが忘れようとも、女たちはその身体にアイサ様の夢を受け継ぐのです」

「アイサさんの夢って?」

「――愛する人の子を産み、静かに暮らすこと。ただ、それだけのこと。女として、特別でも何でもない、ささやかな夢。けれど、それすらもアイサ様は奪われてしまった」

 そっと目を閉じたリアナの瞼から、涙が一条こぼれた。

「どれほど傷ついても、苦しめられても、誰かのために戦い続けた。あの方の戦いはいつだって、自分の欲とは無縁のものです。今回の戦いも、きっと足手まといだからと村に残り、やってきた兵士によって無惨に殺されてしまった老人たちのためではないでしょうか」

 リアナはイーリーの手を取る。

「街を離れる私が頼むのは虫がよすぎるかも知れませんが、どうかお願いします。アイサ様を助けてあげてください。あの方はもう、自分の幸せだけを考えて生きてもいいのです」

 イーリーは黙って、しかし力強く頷いた。リアナは彼の額にくちづけをし、もう一度深く頭を下げた。

「あなたで良かった。プリムの最初の友達が、人間のあなたで」

 そう言ってリアナは、白い光に照らされて微笑んだ。その笑みがあまりにも母親の愛に満ちていたから、イーリーは涙がこぼれるのを堪えるのに必死だった。



 西側の正門を抜けると、身を隠すものなど何もない一面の草原が広がる。しかし街道を百メートルほど進んだ所に、樹齢を重ねた古木が一本だけ生えていた。枝を大きく伸ばし、青々とした葉を繁らせている。イーリーはその根元にある直径三十センチほどの石のそばに立ち、コンパスを確認した。

 その場から真東を向き、一歩前に進み出る。彼の両足はロープで結ばれ、一定の距離しか開くことが出来ないようになっていた。そのまま王都の外壁にぶつかるまで歩き、その足下に太い釘を突き刺す。

「これでよしと……」

 イーリーは再び古木の所に戻って、根本の石の前でしゃがみこむ。そしてナイフで指先を少し切り、血で石に何かを描いた。二重の円と、レプトン語で『解』を意味する言葉だ。

 指を簡単に手当し、足のロープを解くとイーリーは王都を眺めた。

 プリム親子を見送ってから今日まで、イーリーはアイソリュースを助ける手立てを考え、実行に移していた。それは賭に近い行為で、成功する保証はない。また、成功しても最悪の結果を免れるに過ぎないこともわかっていた。それでも彼は、この王都に巨大な魔法陣を描いたのである。

 描くといっても、本当に描いたわけではない。魔法陣は、魔力の流れる道筋なのだ。さながら一筆書きで描かれた、円形の模様であった。

 空砲の音が、式典の開始が近いことを知らせる。イーリーは正門へ急ぎ、門番をしていた兵士に頭を下げた。その兵士は、以前に黒装束の情報をくれた男だった。

「さっきから、何をしていたんだい?」

 男の問いに、イーリーは笑って答えた。

「おまじないです。式典が無事に終了しますように――」

 感心する兵士の声を聞きながら、彼は正門をくぐった。

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