第9話:神様の餞別
真っ白な空間に、重い沈黙が落ちた。
俺が怒りに任せて睨みつけていると、丸く縮こまっていた神の光が、少しの間を置いて、決意したように強く輝き始めた。
『……掟破りだが、一つだけ手がある』
「なんだよ、もったいぶらずに言え」
神の横に、空中に浮かぶスクリーンのようなビジョンが映し出された。
そこには、中世ヨーロッパのような石造りの街並みと、巨大な城がそびえ立つ美しい世界の風景が広がっている。
『先に送った十七歳の彼……あちらのシューバ皇国という世界では、既に「十年」の歳月が流れている』
「十年!? こっちは数か月だぞ!」
次元間の時間軸が異なるということか。
羽奈も涙を拭い、不思議そうにビジョンを覗き込んだ。
「わぁ……!」
『彼はその十年で、見事魔王を討伐し、「勇者マコト」としてシューバ皇国に君臨している』
ビジョンの中には、成長して逞しい大人の体躯になり、立派な騎士の鎧をまとった二十七歳の彼の姿があった。
民衆から歓声を浴び、自信に満ちた顔で手を振っている。
それを見た羽奈が、パァッと顔を輝かせて俺の袖を引っ張った。
「お兄ちゃん! 病室で言ってたの、本当だったんだね! 本当に魔王を倒す勇者様になってたんだ!」
「……ああ。お前のお兄ちゃんは、すげえ奴なんだよ」
俺は優しく羽奈の頭を撫でながら、神に視線を戻した。
『その世界で、つい先ほど命を落とした「若い姉弟」の肉体がある。そこへ、お前たち二人の魂を移す』
「別の肉体に入れるのか?」
『ルール違反の極みだ。後で私が上層部から大目玉を食らうだけだ』
やれやれというように光を揺らす神を見て、羽奈は俺の手に自分の小さな手を重ねた。
「お兄ちゃんと一緒なら、私、どんな体でもいいよ!」
その言葉に勇気づけられ、俺は神に向かってニヤリと笑った。
「へっ。あんたも少しは人間臭くなってきたじゃねえか。恩に着るぜ」
『だが、問題がある』
神のトーンが真剣なものに戻る。
『その姉弟が死んだ場所は、勇者のいる国から遥か遠く離れた魔境だ』
「魔境……」
俺は羽奈を庇うように抱き寄せた。ファンタジーにおける魔境なんて、ろくな場所じゃない。
『加えて、他人の肉体に入る以上、種族も外見も全く違うものになってしまうぞ』
「構わねえ」
俺は迷いなく、力強く頷いた。
「遠かろうが姿が違おうが、俺は絶対にあいつのところに羽奈を連れて行く」
そこでふと、俺は重要なことを思い出して神を指差した。
「そうだ、俺の『交換の権能』! あれは向こうでも使えるのか?」
『うむ。権能は魂に刻まれている。そのまま使える』
俺は、社畜時代に培った悪巧みをする大人の顔になった。
「……逆に聞くぜ。向こうの世界で狩りをして、魔物の死体に値段が付けば、現代地球の物と交換できるんだな?」
『肯定だ』
「よしっ、勝てるぞ!」
俺は力強くガッツポーズをした。
「ちなみに、俺が身に着けてた財布の中のキャッシュカードの金、残高四十万は?」
『残高は引き継がれている。そのままチャージ済みだ』
「!!!ッシャアアア!! これで初動の物資はどうにでもなるぜ!」
俺が飛び上がって喜んでいると、羽奈が不思議そうに神を見上げた。
「ねえねえお兄ちゃん、さっきから話してるこのピカピカした人は?」
「あ、ごめん。こっちは神様だよ、ご挨拶して」
羽奈は、ピカピカ光る幾何学模様に向かって、ペコリと綺麗なお辞儀をした。
「こんにちは! いつもお兄ちゃんがお世話になってます!」
『……礼儀正しくて、かわいいな』
神の光が、ポワッとピンク色っぽく温かく光った気がした。
「だろ?」
俺は自分のことのようにドヤ顔で胸を張った。
神は、羽奈の目線に合わせて少し低い位置に降りてきた。
『羽奈と言ったな。君はもし、魔法が使えたら何を使いたい?』
「うーんと……」
羽奈は指を口に当てて、一生懸命考えてから答えた。
「怖いのから隠れられたり、病気を治したりしたいかなあ」
『どうしてだい?』
「だって、痛いのや怖いのは嫌だし、お兄ちゃんが怪我したら治してあげたいから!」
満面の笑みで言い切る羽奈。
「尊いなあ、可愛いなあ、俺の妹が世界一可愛い件について!!」
俺は胸を撃ち抜かれたように悶えた。
『うむ。では、君の願い通り「絶対隠蔽の権能」を与えよう』
「絶対隠蔽? どんな敵からも隠れられるってことか? 無差別攻撃からはどうなんだ?」
『攻撃事象からも隠蔽される。例えば龍のブレスを撃たれても、妹の周りだけ認識できないから、熱すら干渉できない』
ただのステルスじゃない。
「すーっげー! 完全防御じゃん!」
『そしてもう一つ。あちらの世界に治癒魔法はないが、君が使った薬の効果を跳ね上げる「効果増幅」を妹に付けておいた』
「それって、俺が俺の力で現代の薬を出すんじゃダメってことか?」
『例えば、お前が怪我をしてテーピングや痛み止めを使えば、ただの治療だ。だが――』
神の言葉とともに、奇跡のような回復のイメージ映像が脳内に浮かぶ。
『妹が同じように処置すれば、手足がバキバキに砕けていても時間を巻き戻したように治る。痛み止めを飲ませれば、腕が千切れていても完治するレベルだ』
「ヤバすぎだろ……それ、ゲームバランス崩壊してねえか?」
俺がドン引きしていると、神は満足げに光を落ち着かせた。
『まあ、私からの最後の餞別だ。どうせ私は神じゃなくなるだろうからな。権限の使い納めだ』
俺は神に向かって、少しだけ真面目な顔で笑いかけた。
「……すまんな、色々。あんた、いい奴だよ。石ころ管理の仕事、頑張れよ」
『あちらでも仲良くな。……では、良い人生を』
神の横に、巨大な転生のゲートが開いた。
俺は、羽奈の小さな手としっかりと繋いだ。
「行くぞ、羽奈! あの勇者様のところに殴り込みだ!」
「うん!」
俺たちは、まばゆい光のゲートの中へ飛び込んだ。
待ってろよ、十七歳の俺。
今度は絶対に、三人で笑い合ってやる!




