第2話:理不尽な死と、真っ白な空間での譲り合い
神代真。三十二歳、バツイチ独身。職業、しがないウェブデザイナー。
三日連続の徹夜明け、デスクで冷え切った栄養ドリンクをあおった直後だった。
唐突に、心臓を万力で締め上げられたような激痛が走った。
「あ、がっ……」
声も出せず、キーボードに突っ伏して倒れる。
次に気づいた時、俺の意識はフワリと宙に浮いていた。
天井付近から、動かなくなった自分の肉体と、慌てふためいて騒ぎ立てる同僚たちを見下ろしている。
まるで質の悪い夢を見ているような気分だった。
遠くから救急車のサイレンが近づいてくる。やがて慌ただしく駆け込んできた救急隊員から、『心不全』という単語がはっきりと耳に届いた。
「……あっけない幕引きだ」
三十二年間の人生。
俺は、死んだ。
▽ ▽ ▽
無機質なコンクリート造りの火葬場。
高い煙突から、灰色の空へ向かって一筋の煙が立ち上っている。
参列者に身内の姿はない。両親はとうに他界しているし、元妻が来るはずもなかった。
来ているのは、会社の上司と同僚が数人だけだ。
「よりによって、納品前のデスクで死ぬことないだろ……」
喪服を着た上司が、忌々しそうに吐き捨てる。
「明日から神代の担当分、誰に振り分けるんですか。マジで迷惑っすね」
同僚も同調して、これ見よがしなため息をついた。
空の上から聞いていれば散々な言われようだが、不思議と怒りは湧かなかった。
「逆なら、俺も絶対行かないもんな」と、我ながら乾いた笑いが出る。俺と奴らの関係なんて、所詮その程度のものだ。
やがて、誰かがふと思い出したように口を開いた。
「……そういえば彼のタバコって、銘柄なんでしたっけ?」
「あ、一応来る前にコンビニで買ってきてますよ」
「じゃあ後で棺に入れてやろう……たばこ、好きだったもんな」
その言葉だけは、冷え切った心にほんの少しだけ温かく響いた。
▽ ▽ ▽
「……」
俺は火葬場の裏手で、無意識にスーツの胸ポケットへ手を伸ばした。
だが、半透明になった指先は空しく空を切るだけで、布地に触れることはできない。
「……マジかよ。死んだら最後の一服もできねえのか」
透けた自分の手のひらを、何度か握って、開く。
空気の抵抗すらない。完全に幽霊だ。
火葬はもう終わった。自分の葬式の顛末も見届けた。
それでも俺の意識は消えることなく、こうしてこの世に留まり続けている。
「成仏って、自動でできないもんなんだな」
自嘲気味に呟き、空を仰ぐ。
未練なんてない。こんな乾ききった人生、いつ終わってもいいとすら思っていた。
それなのに、どこへ向かえばいいのかすら分からない。
ふと、足元が淡く発光し始めた。
見下ろせば、アスファルトの上に冷たい光を放つ魔法陣のような幾何学模様が浮かび上がっている。
「おっ? やっとお迎えか?」
次の瞬間、視界が強烈なフラッシュを焚かれたように白く染まり、景色が唐突に切り替わった。
上下左右の感覚が一切ない。
果てしなく広がる、無機質で真っ白な空間へと放り出されていた。
「……は? どこだここ」
戸惑う俺の目の前に、先ほどの魔法陣と同じ、冷たい光を放つ巨大な『幾何学模様』が浮かび上がった。
『謝罪する。手違いが生じた』
一切の感情を感じさせない、滑稽なほど事務的で淡々とした声が、頭の中に直接響く。
「……手違い? あんた、神様か何かか?」
俺が怪訝な顔で睨みつけると、幾何学模様の光がゆっくりと明滅した。
『いかにも。私は魂の管理を司る存在。そして、お前の魂を抜いたのは私のミスだ』
あまりにもあっさりとした宣告だった。
「ミスで殺されたってのか? 冗談じゃねえぞ」
理不尽すぎる死因に、思わず凄んだ。
三十年以上、歯車のようにすり減って生きてきて、最後のオチが「神様のミス」だなんて笑えないにも程がある。
だが、神を名乗る幾何学模様は、微塵も悪びれる様子を見せず、あくまで事務的なトーンで事実だけを告げてくる。
『同姓同名ゆえの誤認だ。神代真。本来死ぬべきだったのは、お前ではない』
「……はい?」
思いがけない言葉に、俺は間抜けな声を出して固まった。
俺じゃない?
じゃあ、本当は誰が死ぬはずだったというんだ。
神の横の空間が、陽炎のようにぐにゃりと揺らいだ。
そこにゆっくりと姿を現したのは、うつむいた一人の少年だった。
『本来この時間に回収される運命だったのは、あちらの「神代真」だ』
俺は無意識に足を踏み出し、少年に近づいた。
学ラン姿で、なぜか全身がずぶ濡れになっている。
十七、八歳くらいだろうか。まだあどけなさが残る顔立ちの少年は、生気がなく、ただ静かに目を閉じている。
「同姓同名……って、おい、ずぶ濡れじゃねえか」
半透明の彼を観察しながら、俺は神に向かって問いかけた。
「こいつ、どうして死んだんだよ」
その瞬間。
俺の脳裏に、全く知らないはずの『映像』が強烈なフラッシュバックとして流れ込んできた。
――凄まじい勢いで濁流が渦巻く、雨に打たれた増水した川。
――その茶色い泥水の中で。小さな幼児を岸へ向かって力一杯放り投げ、直後に濁流に飲み込まれていく、ずぶ濡れの少年の姿。
「……っ」
ほんの一瞬のビジョンだった。
だが、彼がどうやって命を落としたのかを理解するには、十分すぎた。
なんで、こんないい奴が。
ただ惰性で生きていただけの俺じゃなく、未来あるこの少年が死ななければならなかったのか。
理不尽な手違いから始まった俺たちの運命は、ここから大きく狂い出していく。




