第13話:魔獣の値段
先ほどのわちゃわちゃとしたじゃれ合いが終わり、俺は焼け焦げた地面に座り込んで大きくため息をついた。
「……はぁ。とりあえず、新しいズボンを出さねえと尊厳がマジで死ぬな」
俺の下半身は、今やすっぽんぽんである。
いくら中身が三十二歳のオッサンとはいえ、見目麗しいエルフの美女(中身は妹)の前に下半身を晒し続けるわけにはいかない。とりあえず、近くに生えていた巨大なシダ植物の葉っぱをむしり取って、股間を隠している状態だ。
俺は虚空に向かって右手を伸ばし、神からもらった『交換』のスキルを使おうと念じた。
「とりあえず、軍用のタクティカルパンツを……って、あれ?」
脳内のインターフェースに表示されるはずの『購入可能』の緑色のサインが出ない。
代わりに、赤色の文字で『残高不足』という無慈悲なエラーメッセージが点滅していた。
俺の顔から、サーッと血の気が引いていく。
「やべえ。さっきのRPGと医療キットで、四十万全額使い切ってる……!」
三十二歳のしがないウェブデザイナーの全財産。それが四十万円というのも悲しい話だが、とにかく俺の生命線である口座残高がゼロになっていたのだ。
「お兄ちゃん、葉っぱ似合ってるよ! 原住民みたい!」
葉っぱ一枚で股間を隠している俺を見て、ハナが口元を押さえてクスクスと笑っている。
だが、こっちはそれどころではない。
「笑い事じゃねえ! 金がなきゃ、現代の物資が一切引き出せねえぞ!」
俺は焦って周囲を見回した。
ここは凶悪な魔獣がうろつく魔境のど真ん中だ。弾薬も、食料も、水も、現代の物資がなければ一晩たりとも生き延びることはできない。
何か金になるものはないか。前世みたいに、不法投棄された鉄くずや家電なんて都合のいいものは落ちていない。
視線を彷徨わせた俺の目が、ピタリとある場所で止まった。
さっきRPGで口の中から吹き飛ばし、半分黒焦げになった巨大魔獣の死体だ。
「……待てよ。この世界の魔物の素材って、ファンタジーの王道なら高く売れるんじゃないか?」
俺は葉っぱを片手で押さえながら、魔獣の死体に恐る恐る近づいた。
「半分消し飛んでるし、原型留めてないから安いかもしれないけど……背に腹は代えられない」
刃物のような鱗。微かに熱を持っている牙。
俺は意を決して、血まみれの魔獣の巨体に手を触れ、気合を入れて叫んだ。
「交換!」
次の瞬間。
俺の目の前に、脳内インターフェースの巨大な数字がポップアップした。
そこには、俺の三十年以上の人生で、自分の口座では一度たりとも見たことがない桁の数字が並んでいた。
『査定額:48,000,000円』
「…………よんせんはっぴゃくまんんん!?」
俺は目玉が飛び出そうなほど驚き、そのまま後ろにひっくり返った。
葉っぱがズレるのも構わず、もう一度数字を数え直す。一、十、百、千、万、十万、百万、千万。
間違いない。四千八百万円だ。
「嘘だろ!? こいつ、そんなにヤバいレアモンスターだったのかよ!」
よく考えれば、この辺りのヒエラルキーの頂点にいるようなバケモノだ。その素材の希少価値は、現代地球の純金やプラチナなんて目じゃないほどの価値があるのかもしれない。
ひっくり返った俺の顔を、ハナが不思議そうに上から覗き込んできた。
「どうしたの? お金、いっぱい入った?」
「……ふふ、ふはははっ!」
俺の顔に、社畜時代には絶対に見せなかった、ギラギラした大人の悪い笑顔が浮かぶ。
「いっぱいなんてもんじゃねえ! 大富豪だ! これで当分の物資は使い放題だぜ!」
俺は立ち上がり、空に向かって両手を広げた。
手から溢れる光とともに、現代の物資がドカドカと地面に出現していく。
「まずはタクティカルパンツ! それから軍用のサバイバルキットに、防刃ジャケット、コンバットブーツだ!」
俺はあっという間に、葉っぱ一枚の原住民スタイルから、現代の特殊部隊のようなスタイリッシュな装備へと着替えた。
迷彩柄のシャツに、機能的なタクティカルベスト。サイズも俺の念じた通り、今の十二歳の身体にピッタリとフィットしている。
「よし、これで尊厳回復!」
「わぁ、お兄ちゃんカッコいい!」
完璧な装備でキメた俺を見て、ハナが目を輝かせた。
だが彼女は、すぐに自分のボロボロになった服――火傷はチートで治っているが、服自体は魔獣の炎で黒焦げになり、あちこち破れている――をモジモジと掴んだ。
「えーっと、あのね、お兄ちゃん……」
ハナは、少し恥ずかしそうに上目遣いで俺を見た。
「ハナも、新しいワンピースほしいな……」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の脳内に、元の世界での十一歳の羽奈の記憶がフラッシュバックした。
あれは、スーパーの服売り場を通った時のことだ。
羽奈は可愛い花柄のワンピースを見つめて足を止めたが、値札の『三千円』という文字を見た瞬間、スッと目を逸らし、「行こ、お兄ちゃん」と無理して笑ったのだ。
あいつは、叔父さんや俺に気を使って、自分の欲しい服なんて一度もねだったことがなかった。
(……そういやこいつ、元の世界じゃずっと我慢ばっかりしてたんだよな……)
俺は、急に目頭が熱くなるのをごまかすように、わざとらしく鼻をすすった。
残高は四千八百万もある。ここで妹を甘やかさなくて、いつ甘やかすんだ。
「……おう! いいぞ! 好きなのいくらでも買ってやる!」
俺は右手を振りかざし、次々と現代のブランド物のワンピースや服を出現させた。
「遠慮すんな! 今日は甘やかし放題だ! 着せ替え人形の如く着倒せ!」
そこから、血生臭い魔境の森のど真ん中で、謎のファッションショーが始まった。
ハナは嬉しそうに飛び跳ね、まずは真っ白なワンピースに着替えてクルッと回ってみせた。
「どうかな?」
「似合ってる! 清楚でエルフっぽさが出てるぞ。次、これ着てみろ!」
俺は腕を組みながら、ドヤ顔で頷く。
次にハナは、フリル付きのブラウスと膝丈のスカートに着替えてきた。
「えへへ、これも可愛い!」
「おお、それもいいな! 十一歳の羽奈の元気な感じが残ってる!」
次から次へと服を着替えるハナ。
だが、今度は少し体のラインが出る、大人っぽい黒のドレス風の服を着てきた時、俺は息を呑んだ。
二百歳のエルフの抜群のプロポーションが、ぴったりとした黒い布地に強調されている。スリットから覗く白い太ももが、あまりにも刺激的すぎた。
「じゃあ、これは?」
「お、おう……!」
その圧倒的な破壊力に、俺は思わず顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「それは……露出が多いのは森じゃ虫に刺されるし、危ないから却下だ!」
「えー? お兄ちゃん、顔赤いよ?」
ハナは俺が照れているのを見て、ニシシと悪戯っぽく笑いながら顔を覗き込んできた。
「うるせえ! ほら、さっさと動きやすい迷彩服に着替えろ!」
散々服を買い与え、ハナも俺と同じようなコンバットシャツとタクティカルパンツの装備に着替えたところで、俺ははたと我に返った。
「……いや、それより今後どうするかだよ。俺たち、魔境のど真ん中でファッションショーなんかやってる場合じゃないだろ」
周囲を見回して、俺は首を傾げた。
「そういえば、さっき出した大量の服、どこやった?」
「ん? ここにしまったよ」
ハナが、何もない空間に手を差し込む。
すると、そこだけポッカリと黒い穴が開き、俺が買い与えた服がスルスルと吸い込まれていったではないか。
「……ハナ、お前それ」
「え? ……えっ!?」
指摘されて、ハナ自身もきょとんとした後、自分の両手を見つめて驚きの声を上げた。
「あ、なんか……この体のもとの人が使える魔法は、私にもそのまま使える気がする……!」
ハナが指先をピンと伸ばすと、ボワッ!と小さな炎が灯った。
「出た! 火が出たよお兄ちゃん! さっきのはアイテムをしまう『収納魔法』みたい!」
「マジか」
ハナは今度は空中に水球を作り出し、「見て見て! 水も出せるよ!」とはしゃいでいる。
俺は驚きつつも、ワクワクしながら自分の体内の感覚を探ってみた。
「じゃあ、俺も……ああ、なんとなく感覚でわかる」
手のひらを握ったり開いたりしてみる。
腹の奥底に、得体の知れないエネルギーの塊のようなものを感じた。
「収納魔法は使えるな。身体強化もいける」
俺は手のひらに魔力を集め、青白い光の球を浮かび上がらせた。
「火とか水みたいな属性魔法はダメみたいだけど、魔力を集めて弾くことくらいはできる……と」
俺が指を弾くと、魔力の弾丸が空気を切り裂き、近くの岩を「ドゴンッ!」と粉砕した。
「おっし。これなら自衛には困らねえな」
神様からのチート権能だけじゃなく、この異世界の肉体に備わっていた魔法まで手に入ってしまった。
俺は笑いながら、再び『交換』のスキルを発動させ、現代の最高級キャンプ用品を次々と取り出した。
「ひょんなことで魔法まで手に入った。安全の確保もできそうだ。じゃあ、今日はここでキャンプだな!」
凶悪な魔境の森の一角に、場違いなほど立派な現代風のドームテントと、周囲を明るく照らすLEDランタンが設置される。
俺は焚き火台の上に網を置き、一キロ数万円は下らないであろう高級な分厚いステーキ肉を並べた。
ジュージューと、食欲をそそる脂の焼ける音と匂いが立ち込める。
血みどろのサバイバルから一転、現代チートを駆使した快適なキャンプ生活の始まりだった。
「よし、焼けたぞ。食べようハナ」
「ん〜っ! お肉柔らかくて、すっごく美味しい!」
目を輝かせてステーキを頬張るハナを見ながら、俺は冷えたコーラを流し込んだ。
四千八百万の軍資金と、反則級の魔法とチート。
これなら、どんな世界だって生き抜いていける。俺は確かな手応えを感じていた。




