第14話「マコとハナ」
豪華なキャンプ飯を食べ終えた後。
周囲の森からは魔獣の気配も消え、俺たちのキャンプ地には、焚き火のパチパチとはぜる音だけが静かに響いていた。
俺は淹れたてのドリップコーヒーの入ったマグカップを両手で包み込み、炎の揺らめきをぼんやりと眺めていた。
「……ねえ」
隣で膝を抱え、同じように焚き火の炎を見つめていたハナが、ポツリとこぼした。
「私、まだ『お兄ちゃん』って呼んでいいのかな」
俺はコーヒーを飲む手を止め、マグカップを口から離してハナを見た。
炎に照らされた彼女の横顔は、大人の女性の色気を纏ったエルフの美貌でありながら、どこか不安げな十一歳の少女の危うさを同居させていた。
「どういう意味だ?」
「だって……」
ハナは、真っ直ぐに俺を見つめ返してきた。
そのエメラルドグリーンの瞳には、複雑な感情が入り混じっている。
「今の私たちは、元の神代兄妹でもないし、この世界のエルフのお姉ちゃんと鬼人の弟でもないんでしょ?」
「……まあ、色んなものが混ざり合ってるからなぁ」
俺は戸惑いながら頭を掻いた。
三十二歳の社畜と、十七歳の高校生と、十二歳の鬼人の少年。
十一歳の妹と、二百歳のエルフの姉。
魂も、記憶も、年齢も、ごちゃ混ぜになっている。もはや自分たちが何者なのか、一つの言葉で定義するのは不可能に近かった。
「それにね」
ハナは少し前のめりになって、俺の顔にぐっと近づいてきた。
焚き火の光が、彼女の潤んだ瞳をキラキラと反射している。
「私たち、元々血も繋がってないじゃない?」
ギクッとして、俺は思わず視線を逸らした。
「お、おう。そうだな、血は繋がってない」
俺は倫理観という名のブレーキを全力で踏み込み、社畜時代の上司のような説教モードに入って抵抗を試みた。
「でもな! 俺の中身のベースは三十二歳のオッサンで、お前のベースは十一歳だぞ!? 犯罪的な年齢差だろ!」
俺が力説すると、ハナはニヤリと、今までの妹時代には絶対に見せなかったような色っぽい笑顔を見せた。
「でも、今の体の年齢は、私が二百歳で、お兄ちゃんが十二歳だよ?」
「ぐっ……!」
痛いところを突かれ、俺は言葉に詰まった。
向こうが年上ですけど文句ありますか、と言わんばかりのロジックだ。
「だから、私のほうがうんと年上のお姉さんなんだから、問題ないよね?」
ハナはさらに畳み掛けてくる。
俺は必死に頭をフル回転させ、新たな抵抗のロジックをひねり出した。
「いや、ダメだ! 俺は、本物のお兄ちゃんである『勇者マコト』に、お前を守れって託されたんだ! 俺はお前の兄貴の代わりなんだよ!」
俺はハナをビシッと指差して言い放った。
「だから、ちゃんと兄貴のところへ行って、アイツに合わせるまでは、俺は代理の『お兄ちゃん』としての責任があるんだよ!」
完璧な理屈だ。俺がどうこうという以前に、託された男としての矜持の問題である。
しかし、ハナはその言葉を聞いた瞬間、パァッと顔を輝かせて、俺の手を両手でギュッと握りしめてきた。
「わぁ! じゃあ、勇者のお兄ちゃんに会えれば、私はもう『ただのハナ』で良いんだね!」
「…………へ?」
俺は完全に論破され、顔を真っ赤にしてフリーズした。
ハナはニコニコしながら、固まっている俺の顔を至近距離から覗き込んでくる。
「エルフのハナも、本当はマコナル君のこと好きだったみたいだし……私も、ずっとお兄ちゃんのこと……ううん、なんでもない!」
わざとらしく口を噤み、恥ずかしそうにモジモジしてみせるハナ。
俺は頭を抱え、天を仰いだ。
(くそっ……中身の年齢が混ざって、絶妙に頭の回る厄介な女になっちまいやがって……!)
素直で大人しかった十一歳の羽奈はどこへ行ってしまったのか。
だが、その強かさも、過酷な世界を生き抜くためには必要なものかもしれない。
俺は大きく深呼吸をして、ハナの手を握り返し、真面目な顔で彼女に向き直った。
「……わかったよ。お前の言う通りだ。俺たちはもう、ただの兄妹じゃない」
ハナは少しドキッとしたように息を呑み、俺の次の言葉を待った。
俺は空いているほうの手をハナの頭にポンと置き、三十二歳の男としての、まっすぐな瞳で告げた。
「これからは『マコ』と『ハナ』だ。ただの兄妹じゃなく、一緒に勇者のところまで行く、対等の相棒だ」
それは、庇護する者とされる者という関係からの卒業だった。
互いの背中を預け合い、この理不尽な異世界を共に生き抜くための、新しい契約。
ハナは、俺の言葉の響きを噛み締めるように目を瞬かせた。
「マコ……」
そして、これまで見たどの笑顔よりも眩しい、これ以上ないほど美しい満面の笑顔を咲かせた。
「うんっ! よろしくね、マコ!」
「……おう。さっさと寝るぞ、明日は早いからな」
その笑顔の破壊力があまりにも眩しすぎて、俺は思わず照れ隠しでそっぽを向いてしまった。
マグカップの残りのコーヒーを一気に飲み干す。
バグった相棒との冒険は、どうやら俺の心臓に悪いものになりそうだ。
▽ ▽ ▽
翌朝。
魔境の森に、眩しい朝日が差し込んでいた。
俺たちはドームテントを収納魔法で片付け、出発の準備を整えた。
「準備はいいか、ハナ」
「バッチリだよ、マコ!」
俺たちは、サイズぴったりの現代のタクティカル装備――迷彩のコンバットシャツ、アサルトベスト、バックパック――でビシッとキメていた。
背中にHK417アサルトライフルを背負い、太もものホルスターにはハンドガンを装備した小さな鬼人の少年。
そして、同じく重武装でキメた長身のエルフ美女。
二人の顔には、もう昨日のような絶望や悲壮感はない。
頼もしい、異色のバディの誕生だった。
俺たちは、鬱蒼とした魔境の森を力強い足取りで進んでいく。
道中、何度か魔獣の気配を感じたが、ハナの絶対隠蔽と俺の火力で、何とか退け、隠れて進む。
「身体強化に取り寄せたMTBを使えば、えらく速いな!」
「エルフの体って、すごく身軽で動きやすいの!」
驚異的なスピードで森を駆け、やがて木々の隙間から強烈な光が差し込む場所が見えてきた。
「マコ、光が見えるよ!」
「森を、抜けた?いや、崖か」
俺たちは森を抜け、強い風が吹き抜ける崖の上に立った。
足元から視界がパッと開け、俺とハナは同時に息を呑んだ。
「わぁ……!」
眼下には、見たこともないような広大で美しいファンタジー世界が広がっていた。
果てしなく続く緑の平原。曲がりくねった大河。そして遥か遠くには、高くそびえ立つ防壁に囲まれた巨大な城塞都市が見える。
息を呑むような、大自然と魔法の世界のパノラマだった。
俺は絶景を見下ろし、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ここが、俺たちの新しい世界か」
ハナは俺の隣で、風に長い髪をなびかせながら、力強く頷いた。
「うん。すごく綺麗……」
俺は、遥か遠くに見える城塞都市を指差した。
「まずはあそこの街を目指すぞ。アイツ――勇者の情報も集めないとな」
「うん! どこまでも一緒に行こうね」
ハナは嬉しそうに俺の顔を見た。
俺は、ハナに向けてスッと右手を差し出した。
「……行くぞ、ハナ」
ハナは差し出された俺の手を見つめ、少しだけ頬を赤く染めた。
そして、最高の笑顔で、俺の手をしっかりと握り返した。
「うん、マコ!」
青空と広大なファンタジー世界を背景に、しっかりと手を繋いで歩き出す。
四千八百万のチートと魔法、そして少々バグった関係の相棒。
俺たち二人の新しいロードトリップが、今ここから始まるのだ。
【第一章・完】




