第11話:恐怖
「おらよ! 現代チートのお出ましだ!」
俺の右腕から放たれた強烈な光の中から、ズシリとした重みのある物体が二つ、地面に転がり落ちた。
一つは、カーキ色の近代的なタクティカルバッグ。
そしてもう一つは、緑色の無骨な金属の筒――対戦車ロケットランチャー、RPG-7だった。
俺が震える手でRPGを構えた瞬間、脳内にシステムメッセージのようなものがポンッと浮かび上がり、セーフティの解除から装填、発射までの手順が完璧に理解できた。
「なるほどな、使い方はバッチリ頭に入ってくるってわけか」
さすがは神様のチートだ。
俺は後ろを振り返らず、俺を庇うように立っているハナ(今はエルフの姉だが、あえてこう呼ぶ)に向かって叫んだ。
「羽奈! そのバッグの中の消毒薬と痛み止めを出して、俺の腹にかけてくれ! それから自分にも塗って、隠れてろ!」
「う、うん! これね!」
ハナは慌ててタクティカルバッグを開け、現代の強力な消毒薬と鎮痛剤を取り出した。
ボタボタと血を流す俺の腹の傷口に、彼女は躊躇なく消毒薬をジャバジャバとぶちまけた。
「ぐっ……!」
激痛に耐えかねて呻き声を上げたその時、ハナの両手が淡い緑色の光を放ち始めた。
神様が彼女に与えた餞別、『効果増幅』のチートが発動したのだ。
「治れ、……治れっ!」
シュワシュワッ!
まるで炭酸水をかけたような激しい音を立てて、致命傷だったはずの俺の腹の傷が、細胞分裂を早回しにしたような速度で塞がっていく。
裂けていた筋肉が繋がり、皮膚が再生し、痛みすらも嘘のように消え去った。
「……っふー。すげえな、マジで完治しやがった」
俺は腹の血を拭い、ゆっくりと立ち上がって首をポキッと鳴らした。
その様子を見て、ハナはへたり込みながらホッとした表情を見せた。
「よかった……本当に死んじゃうかと思った……」
「うん。あとは俺に任せて、お前は隠れてな」
俺はハナの頭にポンと手を乗せ、RPGを構え直した。
だが、ハナは俺の背中を見て、バグった姉の本能からか、慌てて手を伸ばしてきた。
「だめよ真! お姉ちゃんが……」
「今は、俺が兄ちゃんだ」
俺は振り返り、三十二歳のオッサンとしての、鋭く厳しい目つきで彼女を制した。
「ちゃんと薬塗って、大人しくしてろ」
ドクンッ、と。
ハナの鼓動が跳ねる音が聞こえたような気がした。
彼女は頬を真っ赤に染め、両手で口元を覆って小さく呟いた。
「なにこれ……見た目は子供のお兄ちゃんなのに、中身は大人の男の人みたいで……ドキドキする……」
「……あ?」
「……うん。気をつけてね」
ハナは素直に一歩下がり、もう一つのチート『絶対隠蔽』を発動させた。彼女の姿が、背景の森の景色に溶け込むように完全に消滅する。
よし、これで守るべきものの安全は確保した。
俺は再び、炎を纏う魔獣と正面から対峙した。
「グルルル……」
魔獣は全身の刃物のような鱗を逆立て、低い唸り声を上げている。
俺は冷や汗を流しながらも、社畜時代に培った冷静な観察眼で相手を分析した。
(なんだお前? すぐに襲ってこないで、待ってたのか?)
魔獣は、ニィと嗤うような、ひどく人間臭い表情を作った。
俺は舌打ちをする。
「……いや、猫がネズミをいたぶる知能でももってやがるのか」
あの鱗は近づくだけで肉がスパスパ切れるだろうし、隙間から噴き出している炎は、ハナの身体をあそこまで焼き焦がした原因に違いない。
知能も高く、戦闘力も桁違い。間違いなく、この辺りのヒエラルキーの頂点にいる敵だ。
「この辺じゃ敵なしってか」
俺の口から、引きつった笑いが漏れた。
RPGの重みを確認するように、グリップを強く握りしめる。
視線を下ろすと、俺の細い両膝は、ガクガクと激しく、無様に震え続けていた。
「あー……怖い。三十二年生きてきて、こんなバケモノと対面するのは初めてだ。ちびりそうだぜ……」
営業先のクレーマーや、怒り狂う社長の比じゃない。純粋な『死』の化身が目の前にいるのだ。
だが、俺は震えを抑え込むように、無理やり口角を吊り上げた。
「でも感じる。俺はこいつを倒せる。あの時、俺は『アイツを殺せる武器を出せ』って願った」
だから、俺の全財産と引き換えに出てきたこいつで、必ず通じるはずだ。
あとは、俺の度胸の問題だ。
「笑え、俺。いつも怖い時は、愛想笑いで乗り切ってただろ……!」
俺はRPGを肩に担ぎ、スコープ越しに魔獣の眉間をピタリと捉えた。
「食らえっ!」
引き金に指をかけた、まさにその瞬間だった。
「ガァァァァッ!!!」
魔獣が空気を震わせ、鼓膜が破れるほどの大咆哮を上げた。
あまりの風圧とすさまじい音圧に、俺はビクッと大きくのけぞってしまった。
「うわっ!?」
バランスを崩した俺の指が、意図せず引き金を引いてしまう。
ドゴォォン!と火を噴き、RPGのロケット弾が発射された。
だが、弾頭は魔獣の横を大きく逸れ、遥か遠くの木々に着弾して大爆発を起こした。
魔獣は、後方で起きた爆発を一瞥し、鼻で笑うようにフンッと息を吐いた。
「……うそ、だろ」
顔面蒼白になる俺。
やらかした。唯一の必殺の武器を、ビビって外してしまった。
魔獣は、絶望する獲物をいたぶるように、ズシン、ズシンとゆっくり歩み寄ってきた。
「くそっ! 早く! 早く入れ!」
俺は完全なパニックに陥りながら、慌てて次弾の装填作業に入った。
だが、手がガタガタと震えて、うまく弾頭が筒にハマらない。
「焦るな……入れ、入れっ!」
魔獣との距離、約十五メートル。
サイほどの巨体が迫ってくる。まだ距離があるのに、鱗から立ち上る炎の熱気が俺の肌をジリジリと焼く。
生物としての圧倒的な格の違い。死のプレッシャー。
俺はついに腰が抜け、地面にへたり込んでしまった。
「あ……あ……」
股間がじわりと温かくなる。恐怖のあまり失禁し、ポタポタと地面に液体が落ちていた。
三十二歳の大人が、怪物を前に小便を漏らしてへたり込んでいるのだ。情けなくて、怖くて、もう感情がめちゃくちゃだった。
「怖い怖い怖い怖い怖いっ!」
泣き笑いのような限界の表情を浮かべる俺の前で、魔獣はついに距離十メートルで立ち止まった。
そして、俺を丸呑みにしようと、灼熱の炎が渦巻く大口をゆっくりと開いた。
「死ぬっ!」
俺は、ギュッと目を瞑った。




