53 父と子
「ローちゃん! 怪我はない⁉」
水の球体から解放されて落下するロウェルを、すんでのところでキャッチした。素早く全身を確認し、目立った怪我がないことにホッとする。
「良かったよぉ、ローちゃん……」
「まま-!」
ぎゅうっと小さな体を抱きしめると、ロウェルも私にしがみついた。
火魔法の練習をした時、魔力が強すぎて桶の水を蒸発させてしまったことのあるロウェル。ロウェルの火魔法なら、もしかしたら水の球体を内側から破れるのではないかと期待したのだけど、期待以上だった。
「ローちゃんの魔法すごかったね! んもう、うちの子、天才っ!」
「くふふ~」
柔らかい黒髪に思いっきり頬ずりすると、ロウェルが嬉しそうに身を捩った。
「……いったいなんなのよ……ほんと意味わかんない……」
ブツブツと呟く声に、ハッと振り返る。長い髪が顔の前に垂れ、俯くリリアナの表情は窺えない。
私はロウェルを抱っこしたまま、そろそろと後ずさる。
「……なんであたしの邪魔ばっかりするのよ……脇役のくせに……悪妻ロザリンドと異物のくせに……!」
キッとリリアナが顔を上げ、私を睨みつけた。
「もういい! アンタたちは今すぐ退場して!」
リリアナが血走った目で私達に向かってくる。奇声を発しながら、右手に持ったナイフを振り上げる。
ロウェルを抱えて逃げ出そうとした、その時だった。
「ヒョワッ⁉」
突然リリアナが体勢を崩し、その場に盛大な尻もちをついた。手からナイフがすっぽ抜け、用水路にポチャンと沈む。
すぐに立ち上がろうとしたリリアナだったが、つるりと滑り、再び尻もちをついた。
「ちょっと、なによこれ!? わっ、たっ……ふぎゃっ!」
何事かと思って見れば、いつの間にかリリアナの足元がスケートリンクのように凍り付いていて、リリアナは真っ赤な顔で、立ち上がろうとしてはつるりと転ぶのを繰り返している。その動きは、本人には申し訳ないけれど、まるでコントのように滑稽だった。
そんなリリアナを見て、ロウェルがきょとんと目を瞬く。
「あのおねーしゃん、なにちてるの?」
「あー。たぶん、あれはね……」
その時、リリアナをつるりん地獄に陥れた張本人が私を呼んだ。
「ロザリンド! 無事か⁉」
「アドルファス!」
駆け寄ってくるアドルファスの顔を見た瞬間、胸に安堵が広がった。
彼の後に続いてやってきたナサニエルと数人の騎士が、素早くリリアナを拘束しに向かう。
「何すんのよ! 離してよ! 離しなさいったら!」
リリアナは暴れて抵抗しようとしたが、つるつる滑る上に数人の騎士に囲まれては為す術もない。
あっという間に後ろ手に縛り上げられると、今度は哀れっぽく眉を下げ、うるうると桃色の目を潤ませてアドルファスに縋りつこうとした。
「アド様、違うの、誤解なのっ! アド様と結ばれるべきなのは本当はあたしなの! なのに悪妻ロザリンドが邪魔ばっかりするから退場してもらわなきゃと思って、アド様のためにあたし――」
「黙れ」
凍り付きそうなほどに冷え冷えとした声が、リリアナの言葉を遮った。
「お前の世迷言を聞くつもりはない。彼女を我が妻と知っての所業、相応の罰を覚悟してもらおう。牢に繋いでおけ」
「ヒッ」
リリアナが青褪め、ガタガタと震えだす。私の位置からは見えなかったが、アドルファスはよっぽど怖い顔をしていたらしい。
それ以上は何も言葉を発することなく、リリアナは騎士たちに連行されていった。
「それでは閣下、私もお先に」
ナサニエルが意味ありげなウィンクを残して去ると、その場には私とロウェル、そしてアドルファスの三人だけが残った。
私に抱っこされたロウェルを見て、アドルファスが目を見開く。唇がわなわなと震えた。
「ロザリンド……その子が……」
「はい。ロウェル、です」
ついにこの時がきてしまった。
アドルファスの反応にドキドキしながら、ロウェルを紹介する。
「もしかしたらとは思っていたが、その子はやはり……」
その時、私の腕の中でロウェルが身を乗り出した。ちっちゃな手を精一杯のばし、アドルファスの頭を、そして顔を指差す。
「あちゃま……おめめ……。ろーちゃと、おしょろい……?」
ロウェルは不思議そうな顔でアドルファスを見上げている。アドルファスもまた、瞬きも忘れてロウェルを見つめている。
私は深呼吸を一つして、ロウェルに微笑みかけた。
「あのね、ローちゃん。この人がローちゃんのパパなんだよ」
「ろーちゃのぱぱ……?」
ロウェルが、アドルファスと同じ青の目をパチクリと瞬く。
頷いて見せると、ロウェルの顔がパァァと輝いた。
「ろーちゃのぱぱ!」
ロウェルは私の腕の中でぽよんぽよんとはしゃいでから、にこにこ笑顔でアドルファスに両手をのばした。
「抱っこ……してやってくれませんか?」
「あ、あぁ……」
ぎくしゃくとぎこちない動きで、アドルファスがロウェルを抱き上げる。そんなアドルファスを見上げ、ロウェルがにこーっと笑いかけた。
アドルファスの顔の強張りがほどけ、青の目が優しく細められる。
「はじめまして、ロウェル。君の……パパだよ」
「ぱぱ! ちゅよくてかっこいいろーちゃのぱぱ!」
ロウェルがアドルファスにぎゅーっと抱きつく。おずおずと小さな頭を撫で、アドルファスが目を潤ませた。
「ロザリンド……思ったとおり、ロウェルはあなたによく似ているな」
「えっと、どちらかというとパパ似だと思うんですけど……?」
「笑顔があなたにそっくりだ。とても……とても、可愛い」
少し掠れた、アドルファスの声。その言葉を聞いた途端、ツンと鼻の奥が痛くなった。
我が子として受け入れてもらえるのか、可愛いと思ってもらえるのか。ずっと不安だったのだと、初めて自覚する。
「……良かったね、ローちゃん。やっとパパに会えたね。嬉しいね……」
ちょっぴり震える声で言うと、ロウェルが「うん!」と元気いっぱいにうなずいた。
「ままもよかったねー! だいちゅきなぱぱにあえたねー!」
「ろ、ローちゃん、その話は……」
「あのねー、ままはぱぱのことがだいちゅきなんだよー! まま、ろーちゃにおしえてくれたもんねー?」
「あわわ……いや、そ……」
(そ、その通りなんだけど、本人の前で暴露されるのは恥ずかしいといいますか……!)
真っ赤な顔であわあわする私。アドルファスはそんな私を優しい目で見つめ、それからロウェルに微笑んだ。
「実は、パパもママのことが大好きなんだ」
「ろーちゃもままだーいちゅきよ! おしょろいね!」
「ああ、お揃いだ」
夕暮れに染まる路地裏に、父と子の楽しげな笑い声が響く。
目尻に浮かんだ涙をこっそり拭い、私はその幸せな光景を目に焼き付けたのだった。




