50 ずっと
「どうして、私のためにそこまでしてくれるの……?」
アドルファスが青の目を細める。
「必ず守ると約束しただろう?」
「……それは、私が聖女だから?」
「聖女であってもなくても……あなたは俺にとって、誰よりも大切で――愛おしい人だ……」
一言、一言、確かめるように、アドルファスが言葉を紡ぐ。
(アドルファスが、私を……?)
そんなことがありえるのだろうか? ヒーローであるはずのアドルファスが、悪妻ロザリンドを愛するだなんて……。
けれど私を見つめる優しい青の瞳が、私を抱きしめる腕の温もりが、その言葉が嘘ではないと告げていた。
(だけど、いつから……?)
そんな私の疑問を察したかのように、アドルファスが言葉を続ける。
「あなたは覚えていないかもしれないが、六年前に一度だけ、王宮で言葉を交わしたことがある」
人気のない王宮の廊下。跪いてハンカチを差し出す若い騎士の姿が、鮮明に脳裏に甦る。
「……覚えてます。あなたは親切に、ハンカチを貸してくれた……」
忘れるはずがない。あのたった一度のやり取りで、私はこの人に恋をしてしまったのだ。
アドルファスは、「覚えていてくれたのか」と嬉しそうに目尻を下げた。
「あの時に思ったんだ。この手であなたを守りたいと。それから三年かけて武功を挙げ、あなたを妻に迎えたいと国王陛下に願い出た」
初めて聞く話に、私は目を見開く。
「まさか、そんなこと……。この結婚は、父が無理矢理あなたに押し付けたものとばかり……」
「俺が望んだことだ。……あなたの気持ちも考えずに」
アドルファスの声が沈む。すっと視線が逸らされた。
「あなたが出て行った後も、ずっと探していたんだ。どうしても諦めきれなかった。あなたがそれを望んでいないと分かっていても……」
アドルファスが自身の胸元に触れる。つられて目で追った私は小さく息をのんだ。
シンプルな銀のネックレス、その先にあるのは、緑の石がはまった結婚指輪――。
「見つけ出すことができたなら、無理にでも連れ帰るつもりだった。嫌われても憎まれても、二度と逃げられないよう屋敷の奥に閉じ込めておこうと……。ようやくこの町で再会して、ロジーとして活き活きと過ごすあなたの姿を目の当たりにして、一度は考えを改めた。あなたを自由にすべきだと。それがあなたの幸せなのだと、自分に言い聞かせた。……だが」
アドルファスの目が再び私を捉える。青の瞳が揺れた。
「共に時間を過ごし、ますますあなたに惹かれてしまった。そしてさっき、あなたを永遠に失うかもしれないと思った時、耐えられないと自覚した……」
アドルファスが私の手を取り、手の甲に額を押し当てる。
「ロザリンド……どうか戻ってきてほしい。あなたは強い……俺に守られる必要などない人だ。この町とあの店が、あなたにとって大事な場所だということもわかっている。それを捨てて俺を選んでくれというのは、ただの俺の欲で……きっと愛ではない。それでも……あなたが俺を必要としなくても……それでもあなたに、俺のそばにいてほしい……」
切なく私を見つめる青の瞳。祈りを捧げるような声はかすかに震えている。
あぁ……。この人に、これほどまでに心を捧げられたら私は……。
握られていない方の手でシャツの一番上のボタンを外し、胸元からネックレスを――そこに通した結婚指輪を取り出す。石と同じ青の瞳が大きく見開かれた。
「持っていてくれたのか……」
「名前も身分も、全てを捨ててこの街に来たんです。だけど、これだけはどうしても手放せなかった……」
推しグッズだとか、お守り代わりだとか、自分に言い訳をしていたけれど、本当は分かっていた。アドルファスとの縁を密かに感じていたかったのだと。
ドキドキと忙しない胸を押さえ、小さく深呼吸する。
決して伝えることはないと思っていた。告げることは許されないのだと……。
だけどもう、伝えずにはいられない。
溢れる想いを微笑みに乗せて、まっすぐにアドルファスを見つめた。
「私もあなたが好きです、アドルファス。ずっと好き」
アドルファスが息をのむ。その顔が泣き出しそうに歪んだ。
「俺は、あなたに嫌われているのだと……だから何も言わずに出て行ったのだと……」
「私の方こそ、あなたに嫌われていると思っていたんです。愛されることはないって。だから離縁してあなたを解放しなきゃって――」
「あなたを嫌うなんてありえない!」
語気鋭く否定した次の瞬間、アドルファスはしゅんと項垂れた。
「……いや、俺が悪い。あなたに拒絶されるのではと怖気づいて、結婚式当日まで会いに行けなかった俺のせいだ。そのためにあなたを不安にさせてしまった。本当にすまない……」
手をのばし、放っておけばいつまでも沈み込んでいそうな彼の頭をそっと撫でる。
「いいえ、私も同じでしたから。あなたと話をするべきだったのに、勝手に思い込んで……」
自分は悪妻ロザリンドだから愛されるはずがないのだと、そう思い込んでいた。アドルファスの気持ちを勝手に決めつけていた。
「これからは、ちゃんと話をしましょう。ね?」
「……これからのことを、考えてくれるのか」
はい、と答えた途端、強く抱きしめられた。
「ありがとう、ロザリンド、好きだ……!」
私も、と言葉にする代わりに、アドルファスの胸に頬を寄せた。
トクトクと速い鼓動がくすぐったい。彼の温もりと匂いに包みこまれ、胸がいっぱいになる。膨れ上がって弾けそうな幸福感を逃すように、ほぅと吐息を漏らした。
「だけど……今の私にとっては、リコリス亭もかけがえのない――家族のような存在なんです。だから、もう少しだけ考える時間をもらえませんか……?」
「ああ、今はその答えで十分だ。いつまででも待つ。もし俺を選んでくれるなら、あなたの子ども、ロウェルのことも我が子として慈しむつもりだ。本当の父親と引き離すことになるのは申し訳ないが――」
そうだった! ロウェルのことをまだ打ち明けていなかった!
「あっ、いえあの、ロウェルのパパは……」
「フィリップ・バロウなのだろう?」
「ち、違いますよ! 若様とは特別なことは何も……」
「だが薔薇の花束を贈られてプロポーズされたと」
「え~と、それはまぁそうなんですけど……でも最初からお断りするつもりでしたし!」
「そうなのか。てっきり彼と恋仲なのかと……」
「もうっ、言ったでしょう? ずっとはずっとです!」
私はむむっと唇を尖らせる。ちょっぴり頬が熱い。
「そ、そうか、ずっとか」
照れたように目元をほんのり染めてから、アドルファスは「ん?」と小さく首を傾げた。
「では子どもの父親は――」
その時、遠くで人の声がしたような気がした。耳をすませば、「閣下ー! 聖女様ー! ご無事ですかー?」と、私達を探す声が聞こえる。
「ナサニエルだ!」
アドルファスが声を弾ませる。
「良かった! 助けに来てくれたんですね!」
心から安堵した次の瞬間、半裸で抱き合う自分たちに気づいてハッとなった。
「ちょ、ちょっと待って! 助けが来たのは嬉しいけど、この格好は無理ー!」
なんとか絞り出した火魔法で二人分の服を乾かして着込み、私達は無事、魔の森から救出されたのだった。




