46 森の中
森に入った途端、頬に触れる空気がひやりと冷たくなった。背の高い木が生い茂り、日の光を遮っているため、朝の時間帯だというのに森の中は薄暗い。
それに、これは私にしか感知できないことだけれど、これまでとは比にならないくらい瘴気が濃い。漂う瘴気のせいで、頭から黒い薄布をかぶったかのように視界が悪くなる。正直、息を止めていたくなるくらい、空気が悪い。
私達は馬に乗り、隊列を組んだまま森の中を進む。てっきり道なき道を進むのかと思っていたが、意外にも森には人馬が踏み固めてできた道があった。これまでも守備隊や冒険者が討伐で森に入ることがあったからだろう。
私は相変わらずアドルファスと一緒の馬に乗り、守られるように隊の真ん中のあたりにいるけれど、いつ暗がりから魔獣が飛び出してくるかと思うと緊張でドキドキしてしまう。
(聖魔法で辺りを照らせればよかったんだけどなぁ……)
父や兄が式典で披露していた、光がキラキラと舞う魔法。あれが使えたら蝋燭いらずで便利だよね~と思い、聖魔法に目覚めた後に試してみたのだが、なぜかちっともうまくできなかった。
時々魔獣と戦闘しながら隊は進み、やがて森の半ばで道は途切れた。
「ここから先は徒歩で進むことになります」
先導する騎士の指し示す先を見れば、下草の生い茂る中、かろうじて獣道のような道が続いている。道の先は暗く、奥まで見通すことはできない。
私達は馬を降り、必要最小限の荷物を背負い直す。
『核』の棲み処にかなり近付いているということで、ここで一旦、怪我人を治癒し、全員に浄化魔法をかけて瘴気を祓った。
「聖女ロジー、決して俺から離れないように」
アドルファスに手を引かれ、徒歩で森を進む。
昨日、『核』と遭遇した討伐隊は、撤退しながら目印をつけていたらしい。よく見ると木の幹などにバツ印が刻まれている。これを辿って進むというわけだ。
藪を足で払い、飛び出てきた虫にビクリとし、倒木を乗り越えながら森の奥へ進む。少し隆起した地形らしく足元はわずかに傾斜していて、緩やかな山を登っているような感じだ。どこか近くに川があるのだろうか、水の流れる音が遠くに聞こえる。
時々魔獣と遭遇したが、騎士や冒険者が危なげなく倒してくれて、危険な目に遭うことなくしばらく進んだ頃、見慣れない物が視界に入るようになった。
上を見上げると大きな木が枝を広げており、その枝の下側になにやら丸い物が連なってくっついている。色はやや青みがかった白。
周りをよく見渡してみれば、その白い球体はあちらこちらにあった。太い木の幹に、苔むした倒木の上に、草の葉の下に、生い茂った草の根本に。南天の実くらいのものから、バスケットボールくらいのものまで、大きさは様々だ。
通りすがりの木の幹に、ピンポン玉くらいの大きさの球体が十個くらい寄り集まるようにくっついていたので、近寄ってみる。
間近で見ると、表面はつるっとしており、色は白というより半透明のようだ。例えるなら、大きさは違うけれど、蛙の卵のような感じだ。
「あの~、これって何ですか?」
前世も含めて初めて目にする物体だが、私以外の騎士や冒険者は気にした様子もないので、この森では特に珍しい物ではないのだろう。
水まんじゅうのように弾力がありそうに見えるけど、実際のところどうなのだろうか。人差し指でツンツンしようとしたとき――。
「それは魔獣の卵だ」
「卵⁉」
私はギョッとして、出しかけた手を引っ込めた。半透明の球体の中で、何やら黒っぽいものがぞろりと蠢く。
(ぎゃー! 卵のような、って本当に卵だった! しかも、いっぱい集まってる! きもっ!)
少し離れたところでリリアナが、「きゃっ! ごめんなさい、あたし、こういうの駄目なの……」と可愛らしい悲鳴を上げる。リリアナちゃんとはどうも気が合わないが、今回ばかりは全力で同感だ。
ゾワゾワと鳥肌が立ち、思わずピョンと後ずさってよろけたところを、すかさずアドルファスが支えてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いや。こういった物は、苦手な者は苦手だろう」
「そうですね、卵の大集合はちょっと……」
自分で自分を抱きしめるようにして、鳥肌の立った二の腕をさする。ちなみに私は魚卵が大好物の一つだが、それはそれこれはこれである。
「便宜上、卵と呼んではいますが、魔獣の素と呼んだ方が正確ですね」
横からナサニエルが説明してくれたところによれば、魔獣は各個体の繁殖によって増えるのではなく、瘴気から直接生みだされるらしい。空気中の瘴気が集まって卵のような固体になり、徐々に大きくなってやがて魔獣が生まれるのだそうだ。
卵は大きさは様々だが、色と形は全て同じに見える。その卵からどのようにして多種多様な魔獣が生まれるのか、そのあたりについてはまだ解明されていないらしい。
「魔獣の生態は、分かっていないことが多いのですよ」
「なるほど……。ところでこれ、卵のうちにどうにかするわけにはいかないんでしょうか?」
卵状態のうちに潰してしまえれば魔獣の増加を防げるのではないかと、単純な発想で考えたのだが……。
「見るのが早いだろう」
言うが早いか、アドルファスは短剣を鞘から抜き、木の幹にくっついた卵を鋭い動きで突いた。しかし剣先はぼよんと卵に沈み込むだけで通らない。両手でぐっと力を込めてもそれは変わらず、卵は割れることも傷つくこともなかった。
続いてアドルファスは魔法で氷の刃を放ったが、結果は同じだった。別の騎士たちが魔法で炎や雷を浴びせたが、やはり卵を傷つけることはできなかった。
「この通り、卵は武器も魔法も通さないんだ。魔獣が生まれてから駆除するしかない。これまではそうだったんだが……。聖女ロジー」
アドルファスが何かを思いついた顔で私を見る。その意図を察し、私は頷いた。
「やってみます! 浄化魔法でどうにかできるか」
……と請け負ったものの。
私は幹に集合する卵を半目で見る。
(これ、素手で触るのやだなぁ……)
さらっと固い卵ならまだしも、ねっちょりぷるんとしたのはちょっと……。
(あっ、そうだ。火魔法みたいにできないかな)
ロウェルと焼き芋をした時に出した小さな火球。あんな感じのを、聖魔法でもできないだろうか。
(魔法は妄想力……じゃなかった、イメージ力が大事! 初めの頃よりレベルアップしてるはずだし、今ならできる気がする! そう思うことにする!)
両足を肩幅に開き、両手を胸の前に構える。むんっと気合いを入れて、聖属性の魔力を両手の間に集めることをイメージすると、ボッという音と共に林檎くらいの大きさの金色の炎が現れた。
(おおっ、できたかも? これを卵に向かって……エイッ!)
ボールを投げるイメージで両手を前に突き出すと、金の炎はビュンと飛んで卵の集団にぶつかった。
卵に触れた瞬間、金の炎が燃え上がり、卵を包み込んだ。キラキラと輝く炎の中で、魔獣の卵の輪郭が崩れていく。やがて卵は溶けるように黒い靄と化し、蒸発するように跡形もなく消えた。
周囲で見守っていた隊員たちから「おぉっ!」とどよめきが起きる。
「いやはや、武器も魔法も通じない魔獣の卵を消滅させてしまうとは……。さすが、聖魔法は別格ですね」
ナサニエルが感嘆の表情を浮かべた。アドルファスが頷く。
「ああ。聖女ロジー、あなたの力は本当に素晴らしい」
「いや~、どうもどうも……」
真正面から褒められると照れてしまう。
「この調子で、他の卵も浄化しちゃいます?」
卵のうちに消すことができれば魔獣の被害がぐっと抑えられるはずだ。それに、卵だらけのこの光景、かなり気持ち悪いし……!
そう思って提案してみたが、アドルファスは「いや」と首を横に振った。
「それは帰りに余力があれば、ということにしよう。あなたの力は、何よりも怪我の治癒のために温存しておいてほしい」
「それもそうですね」
ごもっともなご意見なのであっさり了解し、卵はひとまず無視して先に進むことになった。
それから幾度か魔獣との戦闘を挟み、太陽が真上に昇った頃、私たちの前に、ぽっかりと洞窟の入口が姿を現した。




