45 魔の森へ
翌朝、いまだ薄暗いディウドの街の門前に、装備を整えた討伐隊が集っていた。防具の触れ合う音と軍馬の嘶き。早朝のひやりとした空気の中、皆の顔には緊張感が漂っている。
隊長であるアドルファスと秘書官のナサニエルを中心に、出発前の最終確認が行われている。衛生班の中には、リリアナの姿もある。
私はいつものスカートではなく、女性ものの騎士服を借りて身につけている。護身用の短剣を装備させてもらったら、女騎士気分でテンションが上がった。
ちなみに詰襟の騎士服の下には、いつもと同じように銀のネックレスに通した結婚指輪を身につけている。これはもうお守りみたいなものなので、持っていないと落ち着かないのだ。
門の外まで見送りにきてくれた若様は、「僕も一緒に行ってロジーを守りたかったよ……」と大袈裟にため息をつき、「どうか無事で」と私の髪を一房手に取り口付けを落とした。とんだ不意打ちにアワアワしてしまう。
「ちょ、ちょっと若様、こんな人前で……!」
というかアドルファスの前で、気まずいんですけど!
当のアドルファスをちらりと見上げると、不愉快そうにわずかに眉を顰めている。
(そうですよねー! 離縁が決まっているとはいえ、妻が他の男の人からこんな求愛みたいな……)
いや、「みたいな」じゃなくて、私は若様から正式にプロポーズを受けたんだった!
決して忘れていたわけではないのだけど、色々なことがありすぎて、つい返事を後回しにしてしまっていた。
(うぅ……結婚してるのにそれを隠して他の男の人から求婚されて、それもはっきり断らずにズルズルと返事を引き延ばしてるって、悪妻っていうより悪女じゃん……!)
悪妻として断罪されることを回避する。それを第一の目標に掲げていたはずなのに、意図せず悪女状態に陥っていることに気づいて愕然とする。
(この討伐から戻ったら、若様にちゃんとお返事しよう……)
密かにそう心に誓っていると、若様がアドルファスの前に立ち、真剣な表情で右手を差し出した。
「デュアー将軍、ロジーを頼みます」
アドルファスは一瞬だけ眉間の皺を深くしたが、真正面から若様の視線を受け止め、その手を握り返した。
「……必ず無事に戻す」
大規模な討伐になるということで、冒険者ギルドからも腕の立つ冒険者が十名ほど参加していた。
その中にリコリス亭の常連であるジェイクさんの姿を見つけ、嬉しくなって手を振った。
「ジェイクさーん!」
「お~、ロジーちゃん。騎士の制服、なかなか様になってるじゃねぇか……って⁉」
片手を上げてニコニコと歩み寄ってきたジェイクさんは、私の隣のアドルファスに気づいてギョッと足を止めた。
「おいおいおいおい……ロジーちゃん、その人ってまさか、ロー坊……」
しまった! ジェイクさんはロウェルの顔を知ってるんだった!
慌てて人差し指を立てて唇に当て、ブンブンブンと首を横に振る。ジェイクさんは私の意図を察してくれたようで、両手で口を覆ってウンウンとうなずき、「ロジーちゃん、またな~」と言い残してそそくさと去っていった。
「……あなたはこの街でずいぶんと人気者のようだ」
ジェイクさんの後ろ姿を見送り、なにやら険しい顔でアドルファスが呟く。
「いや~、あはは、どうでしょうかね……」
引き攣った笑顔で応じながら、討伐から帰ったらロウェルのことをちゃんと打ち明けようと、改めて決意したのだった。
まもなく日が昇り、私達は魔の森に向けて出発した。
それぞれ騎乗して隊列を組み、常歩で進む。
……のだが、いきなり問題が発生した。
私、馬に乗ったことない!
練習する暇はない。馬車では機動力に欠ける。
で、どうなったかというと……。
「……怖くはないか?」
「ふえっ⁉ は、ひゃいっ」
アドルファスの声が耳元で響き、私は噛みまくりながら返事をした。
真っ黒で艶やかな毛並みのとてもかっこいいお馬さんに跨る私。そのすぐ後ろからアドルファスが私の腰を支えるように両腕を回し、手綱を操っている。
そう……誰かの馬に二人乗りするしかあるまいという話になり、アドルファスの馬に乗せてもらうことになったのである。
気まずすぎるので、「デュアー将軍のお手を煩わせるわけには~……」と遠慮してみたのだが、「今はまだ、あなたは俺の妻だ。他の者にこの役目を譲るつもりはない」と囁かれ、受け入れるしかなかった。
予想以上の高さ、揺れ、そしてアドルファスとの距離の近さにドキドキが止まらない。だってこの体勢、まるで後ろから抱きしめられているみたいなんだもん!
「目線は遠くに。体の力を抜いて、馬の動きに逆らわないことだ」
「は、はいぃ」
「絶対にあなたを落としたりしない。安心して身を委ねてほしい」
アドルファスが喋る度に吐息が耳をくすぐり、頬が熱を帯びる。速い鼓動が背中越しに伝わってしまいそう。
(いやいやいや、集中! 集中して! 馬の動きに合わせる……!)
邪念を振り払い馬の動きに集中するうちに、少しずつコツが掴めてきた。恐怖心が薄らぎ、景色を楽しむ余裕も出てきた。
「なかなか筋がいいな」
「デュアー将軍が支えてくれているおかげです」
「っ……! そうか」
実際、後ろからしっかりと支えられている安心感は大きかったと思う。
落ち着いたら乗馬を習うのも楽しいかもしれないな~なんて、のんびりとそんなことを考えていられたのは、森に近づくまでの間だった。
森に近づくにつれ、魔獣と遭遇するようになった。
巨大なトカゲのような魔獣や、鋭い爪と牙を持つすばしっこいネズミのような魔獣だ。すかさず先鋭の隊員たちが向かい、武器や魔法で倒すが、魔獣の数は徐々に増えていった。
鷲くらいの大きさの鳥型の魔獣が十匹ほどの群れで接近してきた時は、アドルファスも魔法で応戦した。
左腕一本で私の腰を支え、小さく呪文を唱えると、空中に無数の氷の矢が出現する。アドルファスがサッと右手を横に払うと、氷の矢が一斉に放たれ、魔獣たちを一匹も逃さず撃ち落とした。こうかはばつぐんだ!
「かっ……かっこいい~!」
一度はこの目で見たいと思っていたアドルファスの戦闘シーンに、ついついミーハーな歓声を上げてしまった。
「……たいしたことではない」
背後から聞こえるアドルファスの声はクールだったが、私の腰を支える腕にぐっと力がこもった。
そんな小さな戦闘を繰り返しながら進み、やがて、こんもりと茂る森が目前に迫った。黒い靄に覆われたその禍々しい姿に、私は息をのんだ。
「うわぁ……」
「どうした?」
思わず漏れた呟きを、アドルファスが拾った。
「いや、瘴気がすごいなって……」
毎日討伐隊の皆さんが瘴気まみれで帰ってきていたのも納得だ。これからこの中に入るのかと思うと気が滅入る。
「魔獣の数も多いんでしょうね……」
「そうだな。だが、あなたのことは必ず守る」
私の手ごと手綱を握るアドルファスの手に、力がこもる。
「私も、あなたを守りますからね」
武器を手に戦うことはできないけれど、瘴気を浄化したりいざという時に怪我を治したり、私にできることはたくさんあるはずだ。
密かに気合いを入れていると、頭上からふっと笑みが降ってきた。
「……本当にあなたには敵わないな。必ず、無事に戻ろう」
「はい。必ず、一緒に」
そして私達は、いよいよ魔獣の棲む森に足を踏み入れた。




