31 あなたの幸せは①(アドルファスside)
アドルファス視点の三人称です。
「いや……いったい何しに行ったんですかアナタ……」
ため息交じりのナサニエルの声。呆れの籠ったその視線の先には、妻欄記入済みの離縁届を前にずーんと項垂れるアドルファスの姿がある。
リコリス亭でロザリンドから離婚届を受け取ったアドルファスは、その後、何事もなかったような顔で淡々と仕事をこなした。地形の把握も兼ねて町周辺の見回りをし、日が暮れてからは王都から持ち込んだ書類を黙々とさばいた。
そして夜、一日の仕事を終えて寝泊りしているバロウ男爵邸の客室に引き揚げるやいなや、糸が切れた人形のようにソファに座り込み、動かなくなったのだった。
「フィリップ卿の求婚を受けたのかどうか、それを奥方様に確かめに行ったはずでは?」
「聞いた……。求婚を受けたと言っていた……」
「は? いやいやいや。アナタちゃんと聞いていないし、奥方様もそんなこと言ってませんよね!? アナタ、求婚を~だの重婚は~だのと呻いていただけでしょうが」
「だが離縁届を渡された。これで再婚できると。それが彼女の答えだ……」
「は〜……。やれやれ。戦場であれほど勇猛果敢な御方の言葉とは思えませんね。ただのヘタレですよ、ヘタレ」
「う……」
「何度も死にかけながら黒狼将軍の異名を取るほどの戦果を挙げたのは何のためか、忘れたとは言わせませんよ。私はそれにお付き合いしたんですからね」
「忘れてなどいない。あの人を……ロザリンド王女を妻に迎えるために、俺は……」
拳を強く握り締めるアドルファス。その脳裏には、儚く微笑むロザリンド王女の姿が鮮明に浮かんでいる。
ロザリンド王女に初めて会ったのは、今から六年前、アドルファスが十八歳、王女が十五歳の時のことだった。
当時のアドルファスは、その剣の腕と見目の良さを買われて近衛隊に抜擢され、王宮で王族の警護を担当していた。
その日は王女達が王宮内のサロンでお茶会を開くということで、アドルファスは数名の近衛騎士達と共に会場の警備にあたっていた。
お茶会を主催したのは、第三王女エメライン。正妃の産んだ唯一の王女であり、当時、未婚の王女達の中で最年長だった彼女は、王女達の中心的存在だった。
第四から第七まで四人の王女が先に集い、満を持して主催者であるエメライン王女がゆったりと現れてもまだ、第八王女であるロザリンドの姿だけがなかった。
空席に目を留めたエメライン王女が柳眉をわずかに寄せる。他の王女達もそれに倣うように顔を顰めた。
「どういうつもりかしら。エメラインお姉様のお茶会に遅れるだなんて」
「礼儀がなっていないにもほどがありますわ」
「あの子に礼儀を説いても無駄よ。所詮は平民の娘ですもの」
「こうやってあたくし達の気を引こうとしているのだわ。他に何もないものだから」
「本当に浅ましいことね」
エメラインを除く王女達が口々に末の王女を非難する声は、壁際で置物のように控えるアドルファスの耳にも届いた。
第八王女ロザリンド。
近衛として王宮に出入りするようになって半年になるアドルファスだったが、公式の場にあまり姿を見せないロザリンド王女と相見えたことはなかった。
ただ、耳に入ってくるロザリンド王女の噂は、どれも好意的とは言えないものばかりだった。
女優上がりの愛妾を母に持つロザリンドは、王族らしい金の髪も聖属性の魔力も持たない不出来な王女。
それゆえに父からも母からも愛されず、すっかり捻くれた性格に育った。
王宮の隅の離宮に引きこもり、勉強も公務も放棄。
貴婦人達との社交からも逃げ回り、そのくせ見目の良い若い男には色目を使い、母親譲りの美貌を使って擦り寄る――。
噂話になど興味のないアドルファスの耳にまで入ってきたくらいだから、噂は相当広まっていたのだろう。
そんな噂話を聞いてはいたものの、アドルファスはロザリンドにこれといった悪印象は持っていなかった。逆に、個人的な関心もなかった。
近衛騎士として守れと命じられれば守る。ただそれだけのことだった。
まもなく、ロザリンド王女の到着を待つことなく王女達のお茶会が始まった。
会は和やかな雰囲気の中で進み、女官達が二杯目の紅茶を給仕し始めた時だった。
豊かに波打つ赤髪と緑色に輝く瞳を持つ、目の覚めるような美少女が会場に姿を現した。
それがロザリンド王女だった。
入室したロザリンドは、他の王女達の冷たい視線を受けてビクリとその場に立ち竦み、戸惑った様子でおろおろと視線を彷徨わせた。
「随分と仕度に時間がかかったのねぇ。もう来ないものと思っていたわ」
第四王女が棘のある声音で言う。
「え、あの……」
ロザリンドは声を震わせ、マントルピースの上の置時計に目をやった。それから扇子の陰でニヤリと口の端を歪めた第七王女を見て、さっと顔を青褪めさせた。
瞳を揺らして口を開きかけたロザリンドだったが、きゅっと唇を引き結び、表情を隠すように深く腰を折った。
「エメラインお姉様、皆様。遅れて申し訳ありませんでした……」
謝罪を述べる、か細い声。それに応えたのは、この茶会の主催者であるエメライン王女のため息だった。
「いいから座りなさいな。いつまでもそこに立っていては落ち着かないわ」
エメライン王女は閉じた扇子で空いた席を指し示す。ロザリンドはもう一度小さく頭を下げ、俯いたまま示された席についた。
そうしてお茶会は再開されたが、いつまで経ってもロザリンド王女の前に紅茶は提供されなかった。
室内には何人も女官がいて、他の王女のティーカップが空になればすかさずおかわりを注いでいる。王女達も気づいているだろうに、誰も何も言わない。
ロザリンドは居心地が悪そうにしていたが、意を決した様子で、ティーワゴンの近くにいた女官に「紅茶を」と声を掛けた。
言われた女官は不愉快そうに眉を寄せつつも、給仕に動き出す。その女官を第七王女が呼び止め、扇子の陰で何事かを囁いた。
小さく頷いた女官は、ロザリンドの前にティーカップを置いてポットの紅茶を注ぎ――それをロザリンドのドレスにぶちまけた。
きゃっ、とロザリンドの隣の席の王女が小さな悲鳴をあげた。
女官は顔色一つ変えることなく「失礼致しました」と言ってカップを下げる。第七王女は扇子の陰で笑いをこらえている。
当のロザリンドは声をあげることもなく、紅茶色に染まったドレスで呆然と座っていた。




