32 あなたの幸せは②(アドルファスside)
引き続き三人称アドルファス視点です。
「……ロザリンド、着替えておいでなさいな。今日はもうそのまま休むといいわ」
淡々としたエメライン王女の言葉は、このお茶会からの追放を意味していた。
ロザリンドの緑の瞳が、今にも泣き出しそうに大きく揺れる。けれど彼女は涙を見せることなく立ち上がると、汚れたドレスで美しい礼をして、一人静かにサロンを出て行った。
アドルファスは咄嗟に動いた。
出入口に立つ先輩騎士に、「王女殿下をお部屋まで送り届けて参ります」と小声で告げると、返事も聞かずにロザリンドの後を追ってサロンを出た。
衝動的にそんな行動を取ったのは、義憤からだった。
遅れてやって来たロザリンドの驚きと戸惑いに染まった顔。おそらく誰かが、お茶会の開始時刻を故意に誤って伝えたのだ。意地の悪い笑みを浮かべていた第七王女あたりの差し金だろうか。
女官達までもがロザリンドを軽んじ、彼女にだけ給仕もせず、挙句の果てに紅茶をひっかけた。派手に紅茶がかかったというのに、誰一人としてロザリンドを案ずることもせず、お茶会から追い出した。
(なんだ、あれは!)
よってたかって年若い王女に嫌がらせをする王女と女官達に苛立ちと嫌悪感が募る。ロザリンドの悪評がどこまで真実かは知らないが、たとえ全て本当のことだとしても、あんな嫌がらせをしていい理由にはならない。
(性格が捻くれているのはどちらだ!)
アドルファスは怒りに燃えながら大股で廊下を進む。すぐにロザリンド王女のか細い背中に追いついた。
「ロザリンド王女殿下」
声を掛けると、ロザリンドはビクリと肩を震わせて立ち止まった。振り返ったロザリンドの顔を目にしたアドルファスは、小さく息をのんだ。
少女らしいあどけなさを残す、美しい顔。
わずかにつり上がった大きな緑の瞳に涙の膜が張っている。アドルファスを映したその瞳は驚いたように見開かれ、森の奥深くに隠された湖のように神秘的に輝いた。
「どうぞこれをお使いください」
アドルファスは王女の傍らに跪き、白いハンカチを差し出した。
ロザリンド王女は迷うように少しの間無言でハンカチを見つめていたが、おずおずと白い手をのばした。
「……ありがとう」
消え入りそうな声で言ったロザリンドは、おそらく微笑もうとしたのだろう。顔を歪めた拍子に朝露のような涙が一粒こぼれ、白い頬を伝った。
「あっ……」
ロザリンドは恥じ入るように目元を赤くすると、パッとアドルファスから顔を背けた。そのまま小さく会釈をし、逃げるように踵を返した。
ロザリンドが無事に離宮に帰り着くのを見届け、アドルファスは持ち場に戻った。無断で持ち場を離れたことで上司から厳重注意を受けたが、後悔は微塵もなかった。
その日以来、アドルファスの脳裏に、ロザリンド王女の面影が焼き付いて離れなくなった。
他の王女達からの嫌がらせに涙を堪えて耐える姿。臣下から差し出されたハンカチに礼を述べる律儀さ。涙を見られたことを恥じらい、逃げるように立ち去った華奢な後ろ姿。
(噂とはまるで違うではないか……)
男好きで捻くれた性格の王女だと噂されていたが、アドルファスにはむしろ真逆に思えた。
アドルファスは幼馴染にして優秀な従者であるナサニエルに指示して、ロザリンドのことを調べさせた。
その結果分かったのは、生母の身分が低く、金の髪と聖魔法を持たないがゆえに、王宮内で冷遇されているロザリンド王女の姿だ。悪い噂のほとんどは、根も葉もない作り話か、事実を歪曲し、あるいは誇張したもののようだった。
他の王女や女官達が嫉妬で流した噂に違いないと、アドルファスは推測している。なぜなら、ロザリンドは金の髪こそ持たないものの、他のどの王女よりも――いや、社交界のどの貴婦人よりも美しいのだ。少なくとも、アドルファスの目にはそう見えた。
(あの健気で美しい人をこの境遇から救い出したい。俺の手で幸せに……笑顔にして差し上げたい)
アドルファスがそう思うようになるのに時間はかからなかった。色事に疎い男の、初めての恋だった。
だが当時のアドルファスは、ただの伯爵家の嫡男にすぎなかった。悪評にまみれた妾腹の王女とはいえ、降嫁を願い出るには身分が足りない。王女との結婚を周囲に認めさせるだけの何かが必要だった。
そこでアドルファスは、自ら願い出て近衛隊から魔獣討伐隊へ異動した。
近衛は家柄と容姿に優れた者のみが抜擢され、騎士団の中でも最も栄誉ある隊とされているが、目立った手柄を挙げることは難しい。
武功をあげるには危険と隣り合わせの魔獣討伐部隊が最適だと考えた。
それから三年、アドルファスは汗と血にまみれ、死に物狂いで魔獣と戦い続けた。
実際に死にかけたことも何度もある。その度にロザリンド王女の美しい涙を思い出し、絶対にあの方のもとに帰るのだと自らを奮い立たせ、奇跡のように危機を乗り越えてきた。
そんなことをしている間にロザリンド王女が他の誰かと婚約してしまうのではないかと気が気ではなかったが、アドルファスにとっては幸いなことに、ロザリンド王女に婚約話は浮上しなかった。おそらくは、王女の悪評と父王の無関心ゆえに。
普段は王国各地で魔獣との戦闘に明け暮れているアドルファスだったが、ごく稀に王宮の舞踏会に参加することもあった。真っ先に探し出したロザリンド王女は、いつも一人ぽつんと壁の花と化していた。
話しかけたい。あわよくばダンスに誘いたい。何度そう思ったかわからない。
だが目覚ましい活躍を見せるアドルファスの名声はうなぎ上りで、優れた容姿も相まって社交界で注目を浴びるようになっていた。
そんなアドルファスがロザリンド王女に近づけばどうなるか。ロザリンド王女がアドルファスに色目を使ったと、心ない陰口を言われるのは目に見えていた。悪評を流す人々にとっては、真実などどうでもいいことなのだ。
それが分かっていたからこそ、不用意にロザリンド王女に近寄ることはできなかった。アドルファスは貴婦人達に囲まれながら、歯がゆい思いで遠くからロザリンド王女を見つめるしかなかった。
そうして三年後、アドルファスは、わずかな手勢で魔獣に包囲された町を救い出した英雄として、魔獣討伐隊の隊長に抜擢されると共に、国王から直々に褒賞を賜る栄誉を得た。
何か欲しい物があるかと問われたアドルファスは、迷うことなくロザリンド王女の降嫁を願い出た。この三年、まさにそのために死に物狂いで武功を挙げ続けたのだ。
若き英雄が悪評まみれの王女を望んだ。周囲は大いに驚き、いったいどんな裏があるのかと訝しんだ。考え直せと助言してくるお節介な輩もいたが、アドルファスは一切耳を貸さなかった。
国王は英雄の願いを聞き届け、褒賞としてロザリンド王女の降嫁を決めた。
アドルファスは歓喜に震えた。あの健気で美しい人を必ず幸せにするのだと、決意を新たにした。
だがその直後、ふと不安がよぎった。
彼の人ははたしてこの婚姻を歓迎しているのだろうか、と。
アドルファスはロザリンド王女と結婚するために命を賭して魔獣と戦ったが、それはアドルファスが勝手にやったことだ。ロザリンド王女に一方的に想いを寄せ、必ずや妻にするのだと思い込んで、一人で突っ走っただけだ。
ロザリンド王女と何か約束をしたわけではない。それどころか、言葉を交わしたのもあのお茶会の日の一度きりだ。たった一言、言葉を交わしただけの近衛騎士のことなど、王女は覚えてすらいないに違いない。
ロザリンド王女にしてみれば、突然、面識もない男に嫁ぐよう命じられたことになる。それも、魔獣の血にまみれた野蛮な騎士に、褒賞として。おまけに王女の降嫁先としては身分の低い、伯爵家。立場の弱い王女の後ろ盾になることも期待できない。
ロザリンド王女はどんなに失望し、屈辱を感じたことだろう。恨まれてすらいるのではないか――。
そう気付いてしまったら、ロザリンド王女と顔を合わせるのが怖くなった。
ちょうど同じ頃、アドルファスは父からデュアー伯爵位を継ぐことになった。魔獣討伐隊隊長の仕事に結婚準備、そこに慣れない当主の仕事が加わり、アドルファスは多忙を極めた。
忙しさを言い訳にロザリンド王女との顔合わせを先延ばしにしているうちに、あっという間に結婚式の日になった。




