30 離縁届をあなたに
「お待たせしました~! 唐揚げ定食でーす!」
どうぞ、とアドルファスの前にトレーを置く。
「これがカラアゲ……」
大きめのプレートの真ん中にこんもり盛り付けられた唐揚げを、アドルファスがしげしげと見つめる。
揚げたての唐揚げはこんがりきつね色。ピチピチじゅわ~っと輝き、香ばしい匂いにグゥとお腹が鳴りそうになる。
主役の唐揚げを引き立てる付け合わせは、シャキシャキの千切りキャベツに真っ赤に熟れたスライストマト、それからしっとりクリーミーなマッシュポテト。これに大盛りの白ご飯と日替わりスープが付いている。
冒険者や職人など、よく食べるお客さんが多いので、リコリス亭のメニューはボリューム満点なのだ。
やがてアドルファスはナイフとフォークを手に取ると、唐揚げを器用に切り分け口に運んだ。
もぐ、と噛んだ瞬間、青の目がわずかに見開かれる。さらにもぐもぐと咀嚼し飲み込んだアドルファスの口から、「旨い……」という呟きが漏れた。
密かにドキドキしながら見守っていた私は、ホッと胸を撫でおろす。
「お口に合ったようで良かったです」
「本当に旨くて驚いた。フライドチキンとは形も味も全く違うのだな」
「調理法が違うんです。この辺りでよく食べられているフライドチキンは衣に味を付けるんですが、この唐揚げは鶏肉自体に下味を付けるんです。衣もパン粉は使わず、小麦粉と片栗粉を混ぜたもので」
「なるほど……。それに形が丸っこいからか、肉の旨味がしっかり感じられる気がする」
「そう! そうなんですよ!」
よくお気づきで、と嬉しくなる。
アドルファスはもう一つ唐揚げを頬張り、添え野菜のキャベツを一口、さらにマッシュポテトを口にしたところでピタリと動きを止めた。
青の瞳が私を見上げる。
「……もしや、このポテトはあなたが?」
予想外の指摘に、私は目を瞬いた。
「えと……確かにこのマッシュポテトは私が調理したものですけど……どうして分かったんですか?」
開店前に作り置きしていたマッシュポテトが途中で売り切れてしまい、急遽私がレンチン魔法で作ったのだ。
もしかして、味がイマイチだったのだろうかと心配になったのだけど……。
「ほんのわずかだが、あなたの魔力が感じられた」
「えっ。そんなの分かるものなんですか⁉」
私は自分では分かりませんが……。
ナサニエルも、マッシュポテトを一口食べて首を傾げたので、たぶん感じ取れていないのだろう。
「俺には分かる。優しい味で……今まで食べたどのマッシュポテトよりも美味しかった」
「ど、どうも……」
アドルファスの微笑みから、私はそっと目を逸らした。
(そんな優しい顔で褒めるとか、決意が鈍るからやめてほしい……)
鈍る前に、やるべきことをやらなければ。
「あの。この後、少しでしたらお時間作れます。私も、お話ししたいことがあるので……」
そう告げると、アドルファスはナイフとフォークを置き、「分かった」と神妙に頷いた。
食事を終えたアドルファスを、リコリス亭の裏庭に案内する。
ここなら他のお客さん達の目を気にせずに話ができる。ナサニエルは「私はこちらでお待ちしていますよ」と、私達から少し距離を取った。
裏庭の物干し竿では、タオルやシーツと並んでロウェルの小さな服とズボンが風に揺れている。アドルファスはそちらを見るともなしに見ているようだったが、私が「デュアー将軍」と呼びかけると、顔を私に向けた。
「……名前で呼んではくれないのか」
「そういうわけには……。あなたとの関係を人に知られるわけにはいきませんし」
それに、もうすぐ離縁して他人になるのだ。リリアナから釘を刺されるまでもなく、彼を名前で呼ぶつもりはなかった。
「……私に聞きたいことというのはそれですか?」
「いや。その……求婚を……」
「え……」
言いづらそうに発せられた「求婚」の言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。
「重婚は認められていない。あなたはそのことを理解しているのか?」
責めるような、険のある目つきでアドルファスが私を見る。
(あ、そっか。そういうこと……)
アドルファスはいよいよリリアナに求婚するつもりなのだ。
だけどリリアナと結婚するためには私との婚姻関係が邪魔になる。
「……分かっています。だからこれを……」
私はポケットから折り畳んだ紙を取り出した。裏庭に案内する前に、大急ぎで部屋に戻って持ってきたのだ。
「離縁届です、捨てたとおっしゃったので、改めて書きました」
昨日の夜、ロウェルを寝かしつけた後、薄暗いランプの灯りのもとで書いた離縁届。
なぜか三年前に書いたときのようにサラサラとは書けず、五回も書き直した。
あとはアドルファスが署名すれば、離縁届は完成する。
「王都に戻ったら王宮に提出してください。そうすれば、再婚できるようになりますから」
広げて見せた離縁届を、目を伏せたまま差し出すと、頭上でアドルファスが小さく息をのむ音が聞こえた。
「本気、なんだな……」
私は俯いたまま、黙って頷く。彼が今、どんな表情をしているのかは分からない。分からないままでいい。たとえどんな表情だとしても、間近に彼の顔を見てしまったら、きっとまた昨日のように情緒がおかしくなってしまうだろうから。
「……分かった。これは預かっておく」
しばらくの沈黙の後、アドルファスの大きな手が離縁届にのびた。軽く引かれ、離縁届はカサリと小さな音を立てて、私の手を離れた。
「……ではまた詰所で」
「はい」
アドルファスが踵を返す。草を踏みしめる足音が遠ざかってから、ようやく私は顔を上げた。すでに小さくなっていた後ろ姿は、じきに建物の陰に隠れて見えなくなった。
(よかった、これで本当に退場できる……)
私は何度も口の中で、よかった、よかったと繰り返す。
安堵の気持ちは、不思議と寂しさに似ていた。




