16:理性と感情のジレンマ
ある日の午前中、アイリは困り果てていた。
いや、困り果てていると思っているのは本人だけで、周囲の者には困っているようには全く見えないのだが…
何せ顔はにやけ、顔を赤らめ、それはまるで「恋する乙女が胸をときめかせている」ようにしか見えなかったからだ。
それでも彼女は、真剣に困っていた。
執務室を埋め尽くす、リアンから贈られてきた大量のプレゼントボックスの山に。
なぜこんなことになっているのか…話は簡単である。これは作戦の一つなのだ。
作戦というのはもちろん、国家転覆を目論むあの作戦である。決行当日に必要なものを隠す必要があるため、カモフラージュとしてリアンが大量の品をアイリに送りつけている。それがこのプレゼントの山の正体だった。
カモフラージュと言っても、中身は手を抜いていない。内容は大小さまざまで、貴金属の類から町で流行りのお菓子や有名な珍味、豪華なドレスに、果てはテーブルやクローゼットなどの家具調度品まで、多種多様なラインナップであった。しかも、どれもアイリに似合うもの、アイリの好きな食べ物、アイリの好きな色、好きな服、好みのテイストに合わせているという念の入れようだ。
なぜならこのプレゼントの山が、作戦であると気づかれてはいけないからだ。中身に凝っているのは、「ユリウスは聖女に惚れ込んでいる」と思わせるためのリアリティ演出の一環なのである。ちなみに、なぜ彼女の趣味をリアンが知っているのかといえば、ひとえにジジの働きのたまものだった。
まぁそうはいっても、リアンがアイリに惚れているのは事実だし、作戦内容にリアンの私情が多大に反映されているのは言うまでもないだろう。それに気付いていないのは、いまとなっては聖女本人くらいなものである。
とはいえ、聖女の男遊びの噂はすでに城の中では有名だ。プレゼントが山のように届いたところで、彼女にはそれが日常であるだろう。今更どうとも思うまい、と誰もが考えていた。
ところが…
「ジジさんどうしよう!?うれしい!」
どうやら、全然そんなことはなかった。
作戦だとわかっているのに、なぜだかこの箱の山を見て気分が高揚してしまう。初めておもちゃを買ってもらった少女のように、アイリははしゃぐ気持ちが抑えきれずにいた。
隣の部屋で掃除をしていたジジに、わざわざ「ママー見て見てー」のテンションで報告しに行ってしまうくらいにウキウキルンルンしているのである。本日何度目かもわからないこの報告に、ジジはため息交じりに返事をした。
「良かったですねぇ」
「良くない!」
「良くないんですか」
「え…、良くない…の?」
「知らんわ」
まぁ、言いたいことはなんとなくわかる。作戦だってわかってるのに喜んでしまうのが不謹慎だとか、たぶんそういうことだろう。アイリはふざけているようでいて、根は真面目である。ジジは侍女として仕えたこの数か月で薄々感づいていた。
しかし、だ。
この調子で仕事の邪魔をされたのではたまったものではない。ジジは侍女として働きながら、城の中で情報収集をしなくてはいけない密偵としての任務もある。加えてアイリ(+イーヴ)との協力体制が敷かれてからは、アイリの護衛のフォローにも回っている。いくらイーヴが席を外している間だけといっても、時間などいくらあっても足りない。ジジは今、多忙を極めていた。
そういうわけで、文句の一つも言いたくなって当然だった。
「ちょっとイーヴ、この急性思春期聖女様なんとかしてくれない?掃除進まないんだけどぉ!」
だが矛先を向けられたイーヴは「俺も困ってる…」という顔をするだけで、壁にもたれかかったまま動かない。彼もジジと同じく、今朝から何度もアイリのはしゃぎっぷりに付き合わされていたし、彼はぶっきらぼうで無愛想な男である。「こんな時どうしたらいいのかわからない」と、こちらもこちらで困っているのだ。
「っていうか、散々あれだけ男遊びしておいておかしくないですか?慣れてるでしょこんなの」
イーヴに言っても仕方がないと見るや否や、今度は矛先をアイリに向けた。保護者に言ってダメなら、本人に直接言うしかなかろうと。
しかし、当の本人は顔を赤らめ照れ照れモジモジ言い訳をする。
「ううん…貢ぐのは慣れてるけど、貢がれるのは慣れてないですもん…」
そう。
アイリの男遊びというのは、主にホストごっこである。
城を駆け巡る噂は、悪いところに尾ひれがつくものだ。だから世間は「聖女様の男遊び」を、「男に貢がせて遊ぶ魔性の女」のように解釈していた。
しかし実態はその反対で、貢ぐのはアイリの役割だった。彼女が男を侍らしていたのは、対価を払っていたからにすぎないのだ。対価というのは必ずしも金銭ではなく、例えばサボりに目を瞑るとか、貰ったお菓子を譲るとか、そういう内容もあったが…何にせよ、ホスト遊びは貢いでなんぼである。
つまり彼女は、男に貢がれた経験がない。
それどころか親にすらまともに構ってもらえず育ってきたのだ。プレゼントをもらったのなんて、下手をすればこれが生まれて初めてかもしれない。いや彼女の記憶の限りでは、これが確かに初めてもらうプレゼントだった。それも自分の趣味に合ったものばかり…少女のようにはしゃいでしまうのも、無理はないのである。胸はドキドキしっぱなしで、顔が赤らむのは自然の成り行きなのだ。
だが、そんな事情はジジの知ったところではなかった。
「あーもーほんと邪魔。ちょっと散歩でもしてきてください!」
我慢の限界が来たところで、ジジはアイリの首根っこを掴んでひょいっと部屋の外へつまみ出してしまった。
突然のことでろくに受け身も取れずに、アイリは廊下で尻もちをついた。硬い床である。乱暴に放り投げられて、彼女はそれなりにダメージを受けてしまった。
アイリは「ジジさん酷い」とぐちぐち言って、腰をさすりながらノロノロ立ち上がる。
すると
「おや、これは聖女様」
「リ!?…あ…ユリウス、さん…」
聞きなれた声が近づいてくるのが分かった。リアンである。
もっとも、今は気取った話し方をしていた。これが“ユリウス”としての彼のキャラクターづくりなのだろう。どこで誰が聞いているかもわからないので、アイリもとっさに名前を言い直す。
本音を言うとアイリは今、リアンに会いたくなかった。ただの作戦なのに、浮かれてしまう自分が恥ずかしかった。それになぜか、リアンに会うと体温が上がる気がした。気の所為だと自分に言い聞かそうとすればするほど、顔に集まる熱さを感じてしまう。
「こんにちは。ちょうどご挨拶に伺うところでした。どこかへお出かけですか?」
「いえ、その…えっと、プレゼント、ありがとうございます…」
「とんでもない!むしろお気に召したか気になって、こうして馳せ参じてしまいました。いかがです?何か気に入ったものはありましたか?」
「あの…!」
気まずかった。
理性は「これは作戦なんだから、喜ぶのはおかしい」と思いつつ、感情は「プレゼント!嬉しい!」と喜び叫んでいる。
アイリは知っているのだ。建前を真に受ける奴ほどめんどくさがられる者はない、と。少なくとも、彼女が生きてきた社会はそういう価値観で動く世界だった。「お前何マジになってんの?」「社交辞令って知ってる?」と何度言われてきたことか…だからできるだけ、彼女は平静を装いたい。
しかし…
(っていうかそもそも、何でリアンさんに物をもらったくらいで私は喜んでるの!?しかもリアンさんに対してまでなんか変な反応になるし…そりゃたしかにリアンさんはイケメンだしイケボだしかっこいいし、スラッとしていてイーヴさんほどじゃないけど背も高い。けど、別に今まで普通に接してたじゃん…あ。きっとあれだ、つり橋効果だ。一緒に走って心臓がバクバクしたからだ。そう、絶対にそう!だから頭バグって錯覚起こしてるだけで、これは決して嬉しいとかそういうんじゃない!ない、ないのに…ああ何でこんなに顔が熱いの!!)
ということでこのジレンマ、嬉しさのほうが圧倒的に優勢だったし、なんならリアン自身に対して意識し始めているのだが、それに全く気づかないほどパニックを起こしているのだった。
ただ、これ以上嬉しいことが起きたらメンタルが持ちそうにないことだけは、アイリにもわかった。だから抗議というか、せめてもう少し何でもないプレゼントならいいのに、と考えた。
アイリが「あの…!」と発した声のあと、頭の上に?マークを浮かべてリアンは次の言葉を待っている。
「…やりすぎ、です」
「やりすぎ?」
「ありがたいんですけど、その…凝りすぎ、というか…もっとその…適当なものでいいというか、困るんですけど…」
「うーん」
リアンはたどたどしく抗議する声に首を傾げる。何か不満げなのは分かるが、何が不満なのか、彼にはいまいちわかりかねていたからだ。少し考えてから、ふと何かに思案に至った。視線だけを素早く左右に動かして人がいないのを確認して、それでも念のため顔をアイリの耳元に寄せてから、ぼそっと尋ねる。
「作戦行動なんだから、もう少し手を抜いたプレゼントでいいってこと?」
耳元のイケボほど心臓に悪いものはない。急に至近距離から聞こえる声に心拍数が跳ね上がるのを感じながら、アイリは必死にコクコク頷いた。
その様子をふむ、と眺めてから、リアンは改めて
「ははは、ご冗談を。このユリウス、聖女様のためなら夜空に瞬く星すら手に入れてみせましょう!」
と芝居がかって言ってみせた。「遠慮でもしてるのかな?」と思ったのだ。確かに膨大な量のプレゼントだし、それも一つ一つ選り抜いて贈っている。萎縮してしまうのは当然かもしれなかった。とはいえ、作戦の一環なので手を抜くわけにもいかない。なので「大丈夫だよ、気にする必要ないよ」と伝えたかったのだが…
しかしこれにアイリはがくんと肩を落としたので、リアンは「おや?」と眉毛をひそめる。「これって本当に困ってるのか?」とここでようやくはじめて気がついたのだ。
「…まぁ、でもそうですね。困らせるのも本意ではありません。よかったら、どんなものがお気に召したか教えていただけませんか?さぁ、庭でお話でも…」
そう言ってウインクひとつ、手をアイリの背中に回して移動を促す。実際、彼は話があるから、わざわざ彼女の執務室までやってきたのであったし、アイリは彼のウインクを見てそれを察した。「この人、合図する時にウインクするのが癖なのかな…」なんて思いながら。
廊下を歩き出そうかとしたとき、二人の後ろから扉の閉まる音がした。
音の主はイーヴである。今まで彼なりに気を遣って扉越しに二人のやりとりを聞いていたのだが、移動する様子があったので出てきたのだ。
これにリアンは明らかに顔をしかめ、手でシッシと追い払うようなジェスチャーをする。しかしイーヴは無言で首を横に振るばかり。リアンは分かりやすく「チッ」と舌打ちをした。
二人の様子を見て、アイリは気安い関係を羨ましく思ってクスクス笑った。
プレゼントの内容云々については、庭までの道すがら決着がついた。アイリは言いくるめられるしかなかったのだ。
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