警察
「すまないね。今日は忙しくて朝から何も食べてなかったんだ」
磯貝はその威圧感漂うガッチリとした体から出たとは思えない丁寧な口ぶりで一言入れてから惣菜パンを口に運ぶ。彼の仲間である他三人も思い思いに腹を満たしていく。
ちなみにこれらは“魔法背嚢”に入りきらなかった物であり、お詫びとしてでなくとも勝手に持って行っていいと言ったにも関わらず彼らは断固として「ここを攻略したのは君たちなのだからそこにあるものを勝手に持っていくことなど出来はしない」という俺からしてみればよく分からない意見を曲げなかったがため、情報提供のお礼としてこちらが食料を提供するという運びとなった。
少々こちらが貰いすぎているように思うが、これで俺たちは情報を、彼らは食料を互いに提供し合うという双方にとって好都合な関係となったわけだ。
もう三つ目のパンを開封し始めた磯貝はモゴモゴと口に物を含み、咀嚼しながら続けて言葉を紡ぐ。
「そういえば、君たちはこれからどうするつもりなんだい?」
「これからですか? ……さっきまでは警察に頼ろうって話してましたけど」
「警察、警察かぁ……」
何故だか磯貝の表情は硬い。現実問題、警察やら自衛隊やらを頼るのが一番だと思っていたんだけど。
「警察は、やめておいた方がいい」
「……それはまた、何故です?」
未だに磯貝は難しい顔をしてうーん、と眉間に皺を寄せて腕を組む。
「ここに来る途中で警察官を何人か見たんだけど……俺にはあいつらが正義の心を持っているようには見えなかった」
ポツリポツリと嫌悪感すらも滲ませたその声音が空間に響く。彼の話を聞いた他の男たちも嫌なことを思い出した、と言わんばかりにその顔を歪めた。
「何が、あったんですか?」
ゴクリ。シン、と静まった空間で生唾を飲む音がやけにクリアに耳を通った。
「平時であれば、考えられないようなことだよ。仮にもこの国の平和を守る警察という職業に就いていながら、あいつらは嬉々として幼い――それこそ十歳かそこらの子供をいたぶって、最後には笑いながら、罪悪感なんて微塵も無いような顔で……殺したんだ。……今もまだ俺の耳には、あの子供の泣き叫ぶ声が嫌ってくらい残ってる」
苦虫を噛み潰したような苦渋に満ちた表情で彼――否、彼らは遠くを見つめる。怒りと後悔と、そしてとびきりの侮蔑を込めて。
「そ、そいつらは……?」
「殺してやりたい、とは思ったさ。けど、やらなかった……いや、出来なかったの方が正しいかな。向こうは警官っていうこともあって銃を持っていたし、今の俺たちじゃあどうあがいても勝てないっていうのは分かっていたからね」
力さえあれば人を殺すことも厭わなかった。彼らはそう、言ったのだ。果たして俺は、目の前でそんな光景を目にしたとして同じように思えただろうか。怒りで頭に血が上ったとしても一瞬の迷いもなしによし殺そう、だなんて決心がつくだろうか。
分からない。……今の俺には、分からない。藤宮も俺も、人を殺したことはない。普通はそうだ。この日本に生きるほとんどの人間は殺人なんてしたことがない。
人間として、してはいけないことだ。犯罪だ。と長年にわたって刷り込まれてきたその考えは容易く変えられるものではないわけで、やろうと思ったらからといってやれるようなものではないのだ。
極限状態に陥った時、どうしてもやらなければいけない、そうしなければ死んでしまうという場面になれば、殺人という一線も踏み込んでしまえるのかもしれないが。
今の、この状況が続くのであれば、俺たちはいつかは人を殺すという問題に直面するだろう。それがいつになるかは誰も分からないことで、もしかしたら今日かもしれないし、明日かもしれない、一年後や二年後、一生訪れない可能性だって捨てきれない。
罪を咎められない環境、実行の物理的ハードルが低い、といった犯罪を助長する環境さえ整っていれば人間、簡単に誰だって人を殺すことはできるのだから。
――さて、それなら俺は、いつ、どこで、なぜ、どんふうに人を殺すのだろうか。どんな時、どんな状況なら俺は人を殺せるのだろうか……
瞑目する俺を視界に収めつつも彼は静かに、しかし力のこもった声を向ける。
「警察官が全員そういうクズだとは言わない。むしろマトモな人の方が多いくらいだろう。でも、彼らの持つ銃という武器は恐ろしい凶器だ。引き金一つ引くだけで簡単に人の命を奪い去る。よっぽどレベルが高くて能力値が耐久特化なら銃弾も防げる可能性は……なくもないけれど、オススメはしないな。まあ、これを聞いてもまだ警察を頼りたいというのなら別に止めはしないけど、十分気をつけた方がいいだろうね」
おどけたように磯貝は破顔する。ペリッと四個めの菓子パンの封を切ると、少しばかり荒っぽく、かぶりつく。もぐもぐ口を忙しなく動かしながら、ああ、と再び口火を切った。
「そういえば、君たちにもう一つ、言っておかなければいけないことがあったんだ」
パンに噛り付きながら、しかし彼の瞳は鋭く輝いていた。




