第5話 チャンスって……お前
翌朝、ひなたは俺を迎えに来なかった。
それでも、俺は目覚ましの音で起きられた。二度寝もせずに身支度を済ませ、家を出る。
きっと俺は、ひなたが起こしに来てくれることに甘えていたのだろう。
登校するのも、いつもの三人ではなく、家の前で待っている紗奈と二人になった。
「先輩、今日はひな先輩と一緒じゃないんですかぁ?」
隣を歩く紗奈が、俺の顔を覗き込む。
「……そうだな」
「あれぇ? もしかして、ひな先輩に愛想を尽かされたんですかぁ?」
紗奈はにやりと笑う。
いつもなら気にならないからかいが、今は妙に胸に刺さった。
「やっぱり捨てられたんですねぇ。今、どんな気持ちですかぁ?」
けれど、俺が黙ったままでいると、紗奈の笑みが少しずつ薄れていった。
「もしかして、本当に……?」
声から、からかうような響きが消えていた。
紗奈はためらうように視線を泳がせ、それから俺を見上げた。
「ひな先輩がいないなら……私、本気で狙ってもいいですか?」
「狙うって……お前、それ――」
紗奈ははっとしたように目を見開き、頬を赤くした。
「だ、だっさ! すぐ期待したような目しちゃって! ひな先輩に捨てられた途端、別の女ですか? 本当に節操がないですね」
ひなたを失ったばかりの俺には、冗談として受け止める余裕がなかった。
「お前……そんなこと言ってると、友達いなくなるぞ」
紗奈の表情が凍りついた。
「先輩には……関係ないでしょ」
ひどく冷たい声だった。
登校してからも、その言葉がずっと耳に残っていた。
◇◇◇◇◇
教室で授業を受けていても、どうにも気分が晴れなかった。
昼休みになり、気分転換に廊下へ出たところで、近くにいた生徒たちの話し声が聞こえてきた。
「知ってる? 一年生の女子が、女子トイレで何人かに囲まれて、水をかけられたんだって」
「えっ、怖い」
「前からいじめられてた子らしいよ」
「そうそう。通りかかった上級生が止めて、先生を呼んだみたい。もう学園でも問題になってるって」
ずいぶんむごい話だ。
ふと、紗奈の顔が頭をよぎった。
まさか、紗奈がいじめの主犯ってことはないよな。
あれだけ人を小馬鹿にするような言動が多い。弱そうな相手をいじめていても、おかしくはない気がした。
もちろん、ただの憶測だ。
今度、本人にそれとなく聞いてみるか。
しかし、その噂を聞いた日を境に、紗奈が朝、俺の家の前で待つことはなくなった。
一度連絡してみようかとも思ったが、俺たちは朝に約束をしていたわけじゃない。それに、連絡したところで、きっとまた煽られるだけだ。
そう思って、俺は紗奈に連絡を取らなかった。
それから数日後。廊下を歩いていると、聞き覚えのある声がした。
「洸先輩って、いつも一人じゃないですか? 友達いないんですかぁ?」
「紗奈ちゃんに会いに来るときは、二人きりで会いたいから」
「はあ? 二つも下の女子に下心丸出しとか、キモぉ」
「下心か……。あながち間違ってないかもね」
「認めるんですかぁ? はっず!」
紗奈は楽しそうに笑っていた。
一緒にいる男子生徒には見覚えがない。二つ下と言っていたから、三年生なのだろう。からかわれているのに、嫌がる様子は一切なかった。
「紗奈ちゃんに会いたいのは本当だから。元気そうでよかった」
「……はぁ? 全然よくないし……」
紗奈の声が小さくなる。頬も、ほんのり赤くなっていた。
そのとき、紗奈がこちらに気づいた。
「あ、和真先輩。おはようございます」
いつものように俺をからかうこともなく、紗奈は礼儀正しく頭を下げた。
「お、おう。おはよう」
けれど、紗奈の視線はすぐに洸先輩へ戻る。
「紗奈ちゃんのお友達?」
「あれぇ? もしかして嫉妬しちゃってますかぁ?」
「いや、紗奈ちゃんにも友達がいてよかったと思って。三年の御手洗です。和真くんだったっけ?」
「あ……どもっす」
「それじゃ、僕は戻るよ。紗奈ちゃんも、また何か困ったことがあったらすぐに言うんだよ」
御手洗先輩はそう言い残し、廊下の向こうへ歩いていった。
「紗奈、なんか久しぶりだな」
「あ……そうですね」
紗奈は、さっきまでとは打って変わった、静かな声で答えた。
「そうだ。一年の女子のいじめの話を聞いたよ。紗奈が関わってないか、心配してたんだ」
「先輩のところまで噂が広まってるんですね……」
紗奈は気まずそうに視線を逸らした。
「え……まさか紗奈が、いじめに加担してるのか?」
「あはは……そう思いますよね」
紗奈は小さく笑ったあと、少しだけ間を置いた。
「水をかけられたのは……私なんです」




