第15話 オタク友達
歩久が部屋を出ていくと、乃亜は漫画から顔を上げた。
「歩久って、すごくいいやつだよね」
「……そうだな」
「ゲームもうまいし、漫画の話もできるしさ。あたし、和真と歩久といるの、すごく楽しい」
乃亜は何気ないことのように笑った。
胸の奥が、ざわついた。
乃亜と趣味の話ができたのは俺ひとりのはずだった。なのに今は、歩久が必ず話に入ってくる。
このままでは、乃亜を取られる。
「でもさ……歩久には、あんまり気を許さない方がいいんじゃないか」
「え……?」
乃亜の笑顔が消える。
「ほら……あいつ、女の子に慣れてなさそうだろ。平気な顔してるけど、乃亜のこと、いやらしい目で見てるかもしれないぞ」
「歩久が?」
乃亜は手にしていた漫画を閉じた。
「そんなふうに見えないけど」
「もし俺がいなかったら……漫画を貸す代わりに、変なお願いとかしてきたかもしれないだろ」
自分でも、ひどい言いがかりだと思った。
乃亜は黙って俺を見つめていた。さっきまでの楽しそうな表情は、もうない。
「なにそれ? 和真、マジで言ってんの?」
声には、戸惑いと不快感が滲んでいた。
「あんまり言いたくないけど、歩久も男だし……乃亜には危機感を持ってほしくて」
「はぁ? 意味わかんない。歩久が何かしたわけじゃないじゃん。なんでそんなふうに言うの?」
返す言葉が見つからない。
歩久はいいやつだ。乃亜に変なことをするようなタイプじゃないだろう。
ただ、二人が仲良くなるのが嫌だった。
「……ごめん。変なこと言って」
「ふうん」
乃亜は視線を漫画に戻した。けれど、さっきまでのような楽しそうな雰囲気ではなかった。
部屋の外から足音が近づき、歩久が飲み物を持って戻ってきた。
「お待たせしました。麦茶でよかったですか?」
「ありがとね、歩久」
「悪いな」
乃亜はコップを受け取ると、不機嫌そうにすぐに漫画へ視線を戻した。
「……あの、何かありました?」
「べっつにー。和真があたしでエロい妄想したってだけ」
「お、おい」
乃亜は明らかに嫌味っぽい口調で言った。歩久は俺と乃亜を交互に見て、困ったように笑う。
「あはは……」
気まずさをごまかすような笑い方だった。
「それよりこの漫画、アニメと絵柄が全然違うね」
乃亜は話を切り替えるように、手元のページを歩久に見せるために身を寄せた。
「そ、そうなんですよ! 原作を知っていると、最初は『原作の良さが出てない』と思ったりもしたんですけど……アニメはアニメで、すごくよかったです」
「なにそれ。歩久は原作マウント取りたいわけ?」
「そ、そんなつもりじゃないです! 気に障ったならすみません」
「あはは! 冗談だよ。ほんと歩久って面白いね」
乃亜は声を上げて笑い、歩久の肩を軽く叩いた。
歩久もほっとしたように表情を緩め、二人はまた漫画の話を始める。
俺だけが、さっきの気まずい空気を引きずっていた。
しばらく漫画を読んでいるうちに、窓の外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
「そろそろ帰ろっか」
「もうそんな時間ですか?」
乃亜は名残惜しそうに漫画を閉じ、歩久に向き直る。
「また漫画を読みに来てもいい?」
「もちろんです。いつでも言ってください」
「やった。じゃあ、また来ようね、和真」
「あ、ああ」
歩久に礼を言い、俺たちは家を出た。
◇◇◇◇◇
帰り道、乃亜は珍しく黙って歩いていた。さっきのことを気にしているのだろう。
しばらくして、乃亜がぽつりと口を開いた。
「和真さ」
「……ん?」
「さっきの話だけどさ。歩久は、やっぱりそんなやつじゃないよ」
乃亜の声に、先ほどの怒りはなかった。むしろ、少し寂しそうだった。
「歩久は確かにちょっと変わってるけど、嫌なことをするやつじゃない」
「……そう、だな」
「あたし、和真と歩久といるの、ほんとに楽しいんだよ。二人とも大事なオタク仲間だしさ」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。
「だから、歩久をそんなふうに言うのやめてほしい」
乃亜は前を向いたまま言った。
「……悪かった」
「うん。分かってくれたならいいよ」
少し間を置いて、乃亜は俺の方を見た。
「また三人でゲームしよ!」
「ああ。もちろん」
乃亜は笑っていた。
また、三人で。
俺は乃亜と二人で過ごしたいのに、彼女は歩久も一緒にいることを望んでいる。
乃亜にとって俺は、歩久と同じ「オタク仲間」の一人に過ぎないのかもしれない。
そう思うと、ますます焦りが募った。




