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第8話 何者だ?

 村を出てから、どれくらい歩いただろう。


 先頭を行くヴァルハイドさんは、ほとんど足を止めない。


 その少し後ろをレティシアさんが歩き、僕は二人から離れないようについていく。


「……関所都市って、まだ遠いんですか?」


「歩きなら何日かかかるわねぇ」


「何日……」


 思わず足元を見る。


 まだ初日なのに、もう足が重い。


「なに? もう疲れた?」


「だ、大丈夫です」


「無理しなくてもいいのに」


「大丈夫です!」


 前を歩いていたヴァルハイドさんが足を止めた。


「休むぞ。ちょうどいい場所がある」


 街道を外れ、風を遮る大きな岩陰へ向かっていく。


 レティシアさんが僕の顔を覗き込んだ。


「よかったわねぇ、ソータ」


「……別に僕のためじゃないと思います」


「ふぅん? べっつにー?」


 岩陰に腰を下ろすと、一気に脚の力が抜けた。


 レティシアさんが革袋を漁り、固まりを一つ取り出す。


「はい」


 放り投げられたものを両手で受け取った。


「……パン?」


「そ。食べときなさい」


「ありがとうございます」


 両手で挟んで割ろうとする。


「…………」


 割れない。


 さらに力を込める。


「…………硬っ」


 レティシアさんが吹き出した。


「ちょっ……これ、本当にパンなんですか? 岩じゃなくて?」


「旅の携行食などそんなものだ」


 ヴァルハイドさんが平然と言った。


「口に含んで柔らかくしてから噛め」


「最初に教えてくださいよ……」


 恐る恐る端をかじる。


 か、硬い。


 それに、口の中の水分を全部持っていかれる。


「…………」


「そんな顔しないの」


 レティシアさんが笑いながら腰の小瓶を取り出した。


「ほら、ソータ。ちょっと貸して」


「え?」


 パンを渡すと、瓶から琥珀色の液体がとろりと垂らされた。


「これ……ハチミツ?」


「正解。わたしの宝物」


 返されたパンをもう一度かじる。


「…………あ」


 口の中に甘さが広がった。


「美味しい……」


「でしょ?」


 レティシアさんが得意そうに胸を張る。


「感謝しなさい。ヴァルにはあげないんだから」


「いらん。甘いものは歯に障る」


「…………」


 思わずヴァルハイドさんの兜を見る。


「なんだ」


「いや……ヴァルハイドさんでも、そういうの気にするんだなって」


「悪いか」


「いえ……」


 隣でレティシアさんが肩を震わせている。


「レティ、笑うな」


「だって……歯って……!」


「黙って食え」


 レティシアさんの笑い声を聞きながら、もう一口パンをかじった。


 やっぱり硬い。


 でも、さっきよりずっと食べやすかった。


 休憩を終え、再び街道を歩き始めた。


 さっきまで隣で笑っていたレティシアさんが、不意に足を止める。


「……ヴァル」


 声の調子が変わった。


 ヴァルハイドさんも立ち止まる。


「分かっている」


「え……?」


 二人の視線の先を追う。


 街道の向こうから、白い甲冑を身に纏った男たちが何人も歩いてきていた。


 胸元には、見覚えのない紋章が刻まれている。


「ソウタ。下がってて」


「レティシアさん?」


「いいから」


 口元には、さっきまでの笑顔が残っていた。


 けれど、声は笑っていなかった。


 男たちも僕たちに気づき、その足を止める。


「…………」


 先頭の男がヴァルハイドさんを睨みつけ、次にレティシアさんへ視線を移した。


「……ヴァルハイド。レティシアも一緒か」


 知り合いなのだろうか。


 僕が尋ねる間もなく、男たちが一斉に武器へ手をかけた。


「教会の兵士よ」


「教会……?」


「構えろ!」


 先頭の男が剣を抜く。


 後ろの兵士たちも次々と武器を構えた。


 十人以上いる。


 僕は思わず半歩下がった。


「……あの、話を――」


「ふん、無駄だ」


 ヴァルハイドさんが背中の大剣を引き抜く。


 男たちの顔が強張った。


「ここで仕留める!」


 男が剣を突きつける。


 ヴァルハイドさんは何も答えない。


 隣でレティシアさんがレイピアを抜いた。


「ソータ」


「は、はい」


「もう少し下がっててね」


 いつもの声だった。


 レティシアさんがくすりと笑う。


「すぐ終わるから」


 次の瞬間、ヴァルハイドさんが地を蹴った。


「来るぞ!」


 教会兵たちが一斉に武器を構える。


 振り下ろされた大剣を、先頭の男が剣で受けた。


「ぐっ――!?」


 その身体ごと横へ吹き飛ばされる。


「なっ……!」


 二人目が槍を突き出す。


 ヴァルハイドさんは止まらない。


 大剣で槍を弾き、そのまま踏み込む。


 一撃。


 白い甲冑が地面を転がった。


「囲め! 一人で相手をするな!」


 兵士たちが左右へ散る。


「右から行け!」


「分かって――」


「遅いよ」


「え?」


 兵士のすぐ横で、レティシアさんが笑っていた。


「――っ!」


 男が慌てて剣を振る。


 レティシアさんの身体が半歩ずれた。


 剣先が空を切り、レイピアが男の脇腹へ滑り込む。


「がっ……!」


 引き抜く。


 男が崩れるより先に、レティシアさんは次の兵士へ向かっていた。


「こ、この女!」


 槍が突き出される。


 レティシアさんはその横をすり抜けた。


 銀色の髪が揺れる。


 振り返った兵士の肩へ、レイピアが突き込まれた。


「そこじゃない。こっち」


 もう一度。


「ぐあっ!」


 兵士が膝をつく。


 レティシアさんは楽しそうに笑っていた。


「…………」


 僕は何も言えなかった。


 村で笑っていたときと、同じ顔だった。


 なのに。


「レティ! 遊ぶな」


 ヴァルハイドさんの声が飛ぶ。


「遊んでないわよ。ちゃんとやってるでしょ?」


 レティシアさんが刃についた血を振り払う。


 その向こうでは、二人の兵士が同時にヴァルハイドさんへ斬りかかっていた。


 大剣が横に薙がれる。


 二人の身体がまとめて地面を転がった。


「くそっ……!」


「なんなんだ、こいつら……!」


 さっきまで揃っていた兵士たちが、じりじりと後ろへ下がっていく。


「ひ、怯むな!」


 誰かが叫ぶ。


 それでも足は止まらなかった。


 レティシアさんが楽しそうに一歩前へ出る。


「次は誰?」


 その笑顔を見た教会兵たちの顔が引きつった。


「む、無理だ……!」


 一人が剣を落とした。


「こんなの、聞いてない……!」


 背を向けて走り出す。


「お、おい! 待て!」


 もう一人も続いた。


 二人の教会兵が、来た道を逃げていく。


 ヴァルハイドさんは追わなかった。


 レティシアさんも、逃げていく二人を見ただけだった。


「くそっ……!」


 背後から低い声がした。


 振り向くと、倒れていたはずの教会兵が一人、よろめきながら立ち上がろうとしていた。


 その目が、真っ直ぐ僕を捉える。


「っ……!」


「せめて……お前だけでも!」


 男が剣を構え、そのまま僕へ向かって走り出した。


 逃げなきゃ。


 そう思ったのに、足が動かない。


「ソウタ!」


 レティシアさんの声が聞こえる。


 剣が迫る。


 怖い。


 身体が固まる。


 それでも、剣は止まらない。


 その瞬間――。


 カチ。

「……え?」


 頭の奥で、何かが噛み合った。


 身体が沈む。


 目の前を剣が通り過ぎた。


 考えるより先に、一歩踏み込んでいた。


 腰の手斧を抜く。


 男の腕を避け、その内側へ入る。


 手斧が首筋へ食い込んだ。


「がっ……!」


 男の身体が崩れる。


「…………」


 何をしたのか、自分でも分からなかった。


 手斧を握ったまま、倒れた男を見る。


 まただ。


 僕がやった。


 でも――今の動きは、僕じゃない。


「……小僧」


 ヴァルハイドさんの声に、身体が強張った。


 振り返る。


 大剣を握ったまま、ヴァルハイドさんが僕を見ていた。


 その視線が手斧へ落ちる。


「今の動きはなんだ」


「……分かりません」


「誰に習った?」


「誰にも……」


 本当に分からない。


 僕だって知りたかった。


「…………」


 レティシアさんを見る。


 さっきまで教会兵を相手に笑っていた。


 その笑顔が消えていた。


「……ソウタ?」


 レティシアさんの視線が、僕の胸元へ落ちる。


「レティシアさん?」


「…………」


 彼女は何も返事をしてくれない。


 ヴァルハイドさんの手が、大剣の柄を握り直した。


 低い声が落ちる。


「答えろ、小僧! お前は、何者だ?」

End_is_Zéro_Project

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