第9話 明日、話したかったこと
ヴァルハイドさんの大剣の切っ先が、僕の喉元へ突きつけられた。
「答えろ。……その動き、どこで身につけた?」
「…………」
分からない。僕だって知りたかった。
さっきの動きも、その前も、考えるより先に身体が勝手に動いていたのだ。
「……分かりません」
「誰にも習っていないと言ったな」
「……はい」
刃がわずかに前へ進む。
「っ……!」
首筋に冷たいものが触れ、直後、つうっと温かいものが皮膚を伝った。
全身の血が引いていく。
ここで殺されるのか。
息が詰まり、声がまともに出ない。
「……僕は……ごめん……なさい……っ」
「ねえ、ヴァル?」
レティシアさんの声が響いた。
助けてくれるのかと一瞬期待したが、彼女は大剣を止めようとはしなかった。
「…………」
村で見せていた笑顔のまま、僕の首元と手斧をじっと見つめている。
「ヴァル……この子、ちょっと変わってるかもね」
「…………」
ヴァルハイドさんの目が、兜の奥で細められた。
しばらくして、大剣がゆっくりと僕の首元から離れていく。
「……まあいい」
ようやく肺に空気が戻ってきた。
「こちらに刃を向ければどうなるかくらいは、理解できるだろう」
「……はい」
ヴァルハイドさんは大剣を背負い直した。
「行くぞ。モタモタしていれば、関所都市の宿に間に合わん」
「はーい」
レティシアさんが何事もなかったかのように、その背中を追っていく。
僕は震える手で首筋を押さえた。
指先についた血を制服の裾で拭い、離れていく二人の背中を追いかけた。
それからしばらく、三人で無言のまま街道を歩いた。
ヴァルハイドさんもレティシアさんも、さっきの出来事には触れない。
僕も何も聞けなかった。
歩くたび、首筋に残る小さな痛みが気になった。
「ソウタ」
前を行くレティシアさんが振り返る。
「ほら。見えてきたよ」
「え?」
顔を上げると、薄い霧の向こうにいくつもの橙色の灯りが揺れていた。
丘を越えると、目の前に巨大な灰色の城壁が姿を現した。
「……でか」
思わず声が漏れた。
村を囲んでいた木柵とは比べものにならない。
遥か高くそびえる石壁が左右へ伸び、その向こうにはいくつもの屋根が連なっている。
「関所都市だ」
ヴァルハイドさんが低く呟いた。
近づくにつれて、人の行き交いが増えてくる。
荷物を積んだ馬車。大きな袋を背負った商人。腰に剣を下げた男たち。
足元の感触も、いつの間にか踏み固められた土から荒い石畳へと変わっていた。
(やっと……街に……)
死にかけたり、人を殺したり、いろいろありすぎたけれど。
(まるで異世界ファンタジーだな……)
今さらそんな当たり前のことを考えて、少しだけ息を吐いた。
街へ近づくほど、人の数は増えていった。
城門の前には馬車や旅人が列をなし、重装の兵士が一人ずつ通行人を確認している。
「……ヴァルハイドさん」
「なんだ」
「普通に入って大丈夫なんですか?」
さっきの教会兵との戦闘が頭をよぎる。
ヴァルハイドさんは城門へ目を向けたまま答えた。
「問題ない」
「……そうなんですか?」
「行くぞ」
それ以上は何も教えてくれなかった。
列に並び、自分たちの番を待つ。
前の馬車が通り抜け、僕たちの番になった。
ヴァルハイドさんが兵士と二、三言交わす。
何を話しているのか聞こうとしたが、後ろからレティシアさんに肩を押された。
「ほら、ソウタ。行くよ」
「あ、はい」
分厚い城門をくぐる。
石造りの暗がりを抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
「うわ……」
思わず足が止まる。
道の両側には何階建てもの石造りの建物が並んでいた。
行き交う人々の声。石畳を転がる馬車の車輪音。店先から漂ってくる香辛料の利いた肉の匂い。
村の静けさとは何もかもが違っていた。
「ソウタ! ちょっといい?」
「はい?」
レティシアさんが僕の前に回り込んできた。
「わたしたちは、あなたを受け入れてくれる施設がないか探してくるから」
「僕も行きます」
「だーめ。連れ回しても疲れるだけでしょ?」
「でも……」
「あそこのお店で待ってて」
レティシアさんが道の向かいにある店を指さした。
「はい、これ」
僕の手のひらに、何枚かの硬貨が落とされる。
「……お金?」
「何か食べてきなさい」
「いや、でも……」
「いいから」
レティシアさんがいつもの調子で笑った。
「ちゃんとおとなしく待ってるのよ?」
「……はい」
「よし」
レティシアさんは満足そうに頷くと、先を行くヴァルハイドさんへ駆け寄っていった。
人混みの中へ消えていく二人を見送る。
手のひらには、見たこともない紋章が刻まれた硬貨が何枚か残されていた。
「…………」
僕一人で、本当に大丈夫かな。
レティシアさんに指さされた店へ向かう。
木製の扉の前で立ち止まり、もう一度手のひらの硬貨を見つめた。
当然だけど、見たこともないお金だ。
(まさか異世界に来て、一人でお店に入ることになるなんてな……)
少しだけ変な気分になる。
(そういえば金田の奴、こういうファンタジーの街並みが好きだったっけ……)
あいつがここを見たら、どんな顔をするだろう。
そんなことを考えながら、店の中へ足を踏み入れた。
店内には数台の木製のテーブルが並び、奥から香辛料の利いた匂いが漂っている。
壁にはいくつもの木札が掛けられ、料理名らしき文字が書かれていた。
「…………」
読めない。
会話が当たり前のように通じていたせいで、今まで気づかなかった。
書かれている文字が、一つも分からない。
(どうしよう……)
適当に頼んで見当違いな料理が出てきても困る。
そもそも、手元の硬貨がいくらなのかも分からない。
店の中を見回していると、奥から声がした。
「いらっしゃいませ~」
「あ、すみません。えーと……僕、字が読めなくて……」
声のしたほうへ顔を向ける。
「どれが良いで――」
僕の言葉が、途中で止まった。
「…………え?」
そこにいた女の子も、僕を見たまま動かなかった。
「…………」
見間違えるはずがない。
何度も見てきた顔だった。
「……美桜?」
女の子の目が大きく見開かれる。
「…………蒼汰?」
「え……」
僕の名前。
確かに、僕を呼ぶ声だった。
「美桜……なんで……」
「蒼汰……」
美桜が一歩、僕へ近づいた。
「なんで蒼汰が、ここにいるの……?」
「それは……こっちの台詞だよ……」
頭の中が真っ白になる。
何が起きているのか、理解が追いつかない。
どうして美桜が、こんな異世界の店にいるんだ。
「美桜、お前――」
「あのね、蒼汰」
美桜が僕の言葉を遮った。
その表情を見た瞬間、あの日の記憶が蘇った。
橋から落ちる直前。
スマホに届いていた、あの短いメッセージ。
『明日話したい』
美桜が、ゆっくりと口を開く。
「あたし、あの日――」
一度、言葉を止めた。
僕の目を真っ直ぐに見つめる。
「蒼汰に話したかったことがあるの」
【第一章 それでも、生きたい】 完
Episode 1、最後までお読みいただきありがとうございました。
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