第6話 救った手
翌日。
昨日ガイルさんと釣った魚を思い出しながら、僕は畑へ向かっていた。
「ソウタ兄ちゃーん!」
聞き覚えのある声に振り返ると、ベルが少し離れた場所から手を振っていた。
「おはよう。今日は釣りじゃないぞ」
「分かってるよー!」
ベルが笑いながら駆けてくる。僕も手を振り返して、そのまま前を向いて歩き出した。
「ソウタ兄ちゃん、待ってよー!」
「走ると転ぶぞ」
「大丈夫だって!」
背後から元気な足音が追いかけてくる。
道の先に、小さな川を渡る古い木橋が見えた。
橋を渡りかけたところで、何気なく後ろを振り返る。
「……おい!! 足元!!」
「え?」
ベルの足が、橋の端の腐った板を踏み外した。
「危ないっ!」
身体が勝手に動いた。
直後、小さな身体が視界から消える。
「うわああっ!」
橋の縁にしがみついたベルの指先が見えた。
その下を川が流れている。水面から突き出した大きな岩が目に入った。
落ちたら――。
「ソウタ兄ちゃん! こわいよぉ!」
身体が震えた。
橋。
遠ざかる景色。
母さんの顔。
美桜の届かなかった手。
(母さん……美桜……僕は……)
気づいたときには地面に這いつくばり、男の子の両腕を必死に掴んでいた。
「ソウタ兄ちゃん!」
「大丈夫! 絶対に離さない!」
握った細い腕が震えている。
僕の手も震えていた。
「ベル、下を見ちゃダメだ! 僕だけを見てろ!」
「う、うん……!」
それでも、この手だけは絶対に離さない。
「ソウタ兄ちゃん……腕、痛い……」
「もう少しだけ我慢して!」
身体を後ろへ引く。
思ったより軽い。
(大丈夫だ……この軽さなら、僕でもなんとかなる!)
「いくぞ! せーのっ!」
力いっぱい腕を引いた。
ベルの身体が橋の縁を越え、そのまま僕の胸へ飛び込んでくる。
「うわっ!」
二人で橋の上を転がった。
「いった……」
すぐに身体を起こして、ベルを見る。
「大丈夫!? 怪我してない?」
「う、うん……」
腕や足を見ても、大きな怪我はなさそうだった。
「……よかった」
息を大きく吐いた。
「何とかなった――」
そう思った瞬間、立ち上がったはずの身体から力が抜けた。
「あれ……」
踏ん張ろうとしても、足に力が入らない。
張り詰めていた何かが、切れた。
視界が揺れる。
身体が傾いた。
まずい――今度は僕が落ちる。
倒れかけた身体を、横から伸びた腕が受け止めた。
「……ヴァル?」
いつの間に来たのか、ヴァルハイドが僕の腕を掴んでいた。
「しっかりしろ! 立てるか」
「……分かんない」
自分でも変な返事だと思った。
でも、本当に分からなかった。
「ソウタ兄ちゃん……」
ベルが僕の前に立つ。
さっきまで泣いていた顔をぐしゃぐしゃにしたまま、それでも笑った。
「ありがとう」
「…………」
胸の奥が詰まった。
僕は自分の手を見る。
まだ、小さく震えている。
数日前、人を殺した手。
昨日、魚を掴もうとした手。
そして今、この手で――。
「……よかった」
声が震えた。
「ほんとに……よかった……」
頬を何かが伝った。
一度こぼれると、もう止められなかった。
「ソウタ兄ちゃん……?」
「ごめん……大丈夫だから……」
大丈夫。
さっきはベルにそう言えたのに、自分のことになると全然駄目だった。
「ソウタァ!」
声と一緒に、レティシアが駆けてくる。
僕とベルを交互に見ると、大きく息を吐いた。
「もう……びっくりしたぁ。二人とも無事?」
「うん! ソウタ兄ちゃんが助けてくれた!」
「そっか」
レティシアが僕の前にしゃがみ込む。
「よく頑張ったね、ソウタ」
「…………」
その一言で、また涙が溢れた。
「うっ……く……」
「ほらほら。もう大丈夫だから」
レティシアさんが困ったように笑い、僕の背中を軽く叩いた。
その横で、まだ僕の腕を支えていたヴァルハイドが口を開く。
「まったく……この小僧は泣いてばかりだな」
「ヴァル! 今それ言う!?」
「事実だろう」
「うるさいっ……!」
袖で涙を拭いながら睨みつける。
ヴァルハイドさんは何も言わなかった。
ただ、僕が自分の足で立てるようになるまで、その手を離さなかった。
End_is_Zéro_Project




