5話 笑った手
翌朝。
目を覚まして外へ出ると、村はもう忙しく動き始めていた。
家の前では作物の入った籠を抱えた人が行き交い、少し離れた場所では、荷車に荷物を積み込んでいる人もいる。
「おはようございます」
「おお、ソウタ君。よく眠れたかね?」
荷車のそばにいた村長が声をかけてきた。
「はい。あの、それ……運ぶんですか?」
「ああ。畑まで持っていくところだよ」
「じゃあ、僕も手伝います」
近寄って荷車の横にあった重い籠を持ち上げると、村長が慌てて手を振った。
「いやいや、まだ一日目だ。ゆっくりしてなさい」
「いえ! 大丈夫です。これくらいさせてください」
「おや、村長! その子が昨日言ってた子かい?」
通りかかったおばさんが足を止めた。
「ああ。ソウタ君だ」
「へえー。若い子が来てくれたんだねぇ。最近は若い子も少なくてねぇ」
「よかったら、僕も手伝います」
「本当かい? そりゃ助かるよ!」
「こらこら。いきなり働かせるんじゃない」
村長が困ったように笑う。
「本人がやるって言ってるんだからいいじゃないか。ほら、ソウタ君、こっちだよ」
「あ、はい!」
元気よく歩き出すおばさんの後を追いかける。
じっとして余計なことを考えるより、身体を動かしているほうがずっとよかった。
それから二日ほど、僕は村の仕事を手伝って過ごした。
水を運び、荷物を運び、畑の草を抜く。何も考えずに身体を動かしている間だけは、あの血の臭いを忘れることができた。
「ソウタ、そっち終わったか?」
「はい! もう少しです!」
抜いた草をまとめて端へ寄せると、隣の男が感心したように頷いた。
「畑仕事なんてやったことなかったんだろ? 飲み込みが早いな」
「いえ、教えてもらった通りにやってるだけです。それに、身体を動かしてるほうが楽なので」
「そうか。まあ、若い奴がいると助かるよ」
男は満足そうに笑うと、また自分の畑へ向き直った。
作業が終わると、男が籠から採れたての野菜をいくつか取り出し、僕へ差し出してきた。
「ほら。持っていきな」
「え? いや、そんなつもりで手伝ったわけじゃ……」
「いいから持ってけ! 若い奴はいっぱい食べるんだ」
無理やり両腕の中に押し込まれる。
「……ありがとうございます」
「明日も頼むぞ!」
「はい!」
抱えた野菜を落とさないように持ち直して振り返ると、少し離れた道端でレティシアがこちらを見ていた。
「へえー。ボクちゃん、真面目にやってるねぇ」
その隣で、ヴァルハイドが腕を組んだまま低く鼻を鳴らす。
「ふん」
それだけ言うと、ヴァルハイドは背を向けて歩き出した。
「もう。素直じゃないんだから」
レティシアもくすくす笑いながら後を追っていく。
僕は二人の背中を見送ってから、村長の家へ戻った。
翌日の昼過ぎ。
「ソウタ! ちょっと来い!」
家の外から声がして顔を出すと、昨日一緒に畑仕事をしていた男――ガイルさんが、細長い竿を二本抱えて立っていた。
「今日は畑じゃないんですか?」
「午前で終わりだ。川に行くぞ」
「川?」
「働いてばっかじゃ身体がもたん。たまには休め」
断る間もなく木製の竿を一本押しつけられ、ガイルさんは大股で歩き出した。
村を抜けて少し歩くと、木々の間を流れる穏やかな川が見えてきた。
「ここだ。流れも緩いし、よく釣れる」
ガイルさんの真似をして川面へ糸を垂らす。
しばらく並んで待ったが、何も起きない。
「……釣れませんね」
「そんなすぐ釣れるか。黙って待ってろ」
「はい……」
ゆらゆら揺れる水面を眺めていると、背後から賑やかな足音が近づいてきた。
「あっ! ソウタ兄ちゃーん!」
振り返ると、小さな男の子がこちらへ走ってくる。
「兄ちゃん?」
「なにしてるの?」
「見れば分かるだろ、ベル。釣りだよ」
「釣れてる?」
「…………」
「釣れてないんだ!」
「まだ始めたばっかりだから!」
「あははっ! へったくそー!」
「うるさいな!」
ベルは笑いながら僕の隣にしゃがみ込んだ。
「お前、ソウタの邪魔するなよ」
「してないもーん」
ガイルさんに言い返した、そのときだった。
「あっ! ソウタ兄ちゃん! 竿!」
「え?」
「引いてる! 引いてるって!」
手元に伝わる強い手応えに、慌てて竿を握り直す。
「ガイルさん! これ、どうすれば!?」
「引け! そのまま上げろ!」
「ちょっ……結構強い!」
「ソウタ兄ちゃん、がんばれー!」
「分かってるって!」
力任せに竿を引き上げると、水面を割って銀色の魚が勢いよく飛び出した。
「うわっ!」
足元で魚が暴れ回る。慌てて腰が引けている僕の横で、ベルが腹を抱えて転がり回った。
「あはははっ! ソウタ兄ちゃん、魚怖がってる!」
「怖がってない! どうすればいいか分かんないだけ!」
「同じだよー!」
「違う!」
賑やかな笑い声が川辺いっぱいに広がった。
気づけば僕も、子供みたいに一緒になって声を上げて笑っていた。
こんなふうに笑ったのは、こっちに来てから初めてだったような気がする。
「ソウタ兄ちゃん! 魚逃げるよ!」
「あっ、ちょっと待て!」
慌てて魚へ手を伸ばす。
またベルが笑った。
僕もつられて笑いながら――ふと、自分の手を見た。
さっきまで竿を握っていた手。
魚を掴もうとしている手。
数日前、この手で人を殺した。
「……ソウタ兄ちゃん?」
「え?」
「どうしたの?」
「……なんでもない」
もう一度、川へ目を向ける。
光に照らされた穏やかな水面は、何事もなかったようにゆっくりと流れていた。
End_is_Zéro_Project




