3話 生きたいか?
大剣の切っ先が、真っ直ぐ僕の方を向いていた。
助かったんじゃなかったのか。黒い兜の奥から向けられる視線に身体が凍りつき、逃げ出さなければいけないのに足がピクリとも動かない。人を殺してまで生き延びようとしたのに、ここで終わるのか。
男が大剣を大きく振り上げた。
頭上に掲げられた巨大な刃が、今にも僕へ振り下ろされようとする。
「ちょっと待って、ヴァル!」
銀色の髪が視界を横切った。
女の人が踏み込んだ男の脚を真横から蹴り、同時に細い剣を大剣の側面へ滑らせる。
軌道が逸れ、巨大な刃が僕のすぐ横の地面を叩いた。
「ヴァル! その子、山賊じゃないでしょ!」
「ふん。三人も殺しているぞ」
「でも子供なんだし、話くらい聞いてあげないと!」
「…………勝手にしろ」
男は面倒くさそうに大剣を下ろした。
銀髪の女の人が、僕の前にしゃがみ込む。
「大丈夫? ボクちゃん?」
「…………」
声が出なかった。張りつめていたものが途切れ、そのまま地面に膝をつく。うまく息が吸えない。
さっきまで怒鳴り声が飛び交っていた場所には、もう動いている者はいなかった。
転がる死体と壊れた小屋の中を、男だけが歩いていく。ひときわ大きな死体の前で足を止めると、迷いなく大剣を振り下ろした。
首が落ちる。
男はそれを拾い上げ、何事もなかったように袋へ流し込んだ。
僕はただ、膝をついたままそれを見ていた。
「わたしはレティシア。あっちの黒いのはヴァルハイド。ボクちゃんは?」
レティシアと名乗った女性が、僕の顔を覗き込む。
「そ、蒼汰です……」
「ソウタね」
「あ、あの……ここって、どこなんですか? 僕、家に帰りたい……」
母さんの顔や美桜の笑顔が脳裏をよぎる。さっきまで、ただそれだけを思って夢中で逃げていたはずだった。
「ふん。まだ乳飲み子か」
背後から低く吐き捨てるような声が飛んでくる。
「ヴァル! そういう言い方はダメでしょ!」
レティシアが振り返った。
「ほら。やっぱり山賊に攫われてたんじゃない?」
「監禁されていた小僧が、三人も殺せるのか?」
「……っ」
肩がびくりと跳ねた。
三人。
手のひらに、手斧の柄を握った感触が鮮明に蘇る。最初の一人を何度も、何度も切りつけたこと。その直後、知らない記憶が頭に流れ込み、僕の身体が勝手に相手の剣を受け、手斧を突き立てたこと。
自分の手を見る。指先が震えて止まらなかった。
「だから、仕方なかったんでしょ?」
レティシアの声が届く。
そうだ、仕方なかった。死にたくなかった。ただ生きたかっただけなのに。
「……小僧」
声に促されて顔を上げると、ヴァルハイドが大剣を背負い直しながら僕を見下ろしていた。
「生きたいのか?」
「なら立て!」
胸の奥で、何かが弾けた。
「……生きたい?」
その言葉だけが、やけにはっきりと胸に残った。
そして、僕は勢いよく顔を上げる。
「生きたいに決まってるだろ!」
「ちょ、ちょっとぉ……」
レティシアの声が聞こえたが、もう止まらなかった。
「ふ、ふざけんな! 殺したくて殺したんじゃない!」
怖かった。死にたくなかった。だから必死に逃げただけなのに、知らない何かが頭の中に流れ込んできて、勝手に僕の身体を動かした。
「クソッ! じゃあ強かったら何でもありなのかよ!」
立ち上がり、ヴァルハイドの胸へ勢いよく拳を叩きつけた。
硬い。手首まで痺れるような痛みが走る。それでも、もう一度殴った。
「僕だって……僕だって……!」
何が言いたいのか自分でも分からなかった。帰りたい。母さんに会いたい。美桜に会いたい。
好き勝手に生活してきた訳でもない、誰かをいたずらに傷つけてる訳でもない。
美桜と同じ高校に通うために、勉強だって頑張ってきたんだ。
どうして、僕の日常が奪われないといけないんだ。
「チキショウ……! チキショウ……!」
何度殴りつけても、黒い甲冑の男は微動だにしない。
怖かったことも、人を殺したことも、自分の身体が自分じゃなくなったような不気味さも、すべてをぶつけるように拳を叩きつけた。
やがて、指先から力が抜けていく。
最後はただ、黒い甲冑に手を押し当てているだけだった。
「…………」
ヴァルハイドは何も言わない。
レティシアがこちらへ手を伸ばしかけたが、静かに佇むヴァルハイドを一瞥すると、そのままゆっくりと手を下ろした。
僕は冷たい甲冑に額を預け、そのまま泣き崩れた。
「母さん、美桜……帰りたい……帰りたいよ」
ヴァルハイドは、やっぱり何も言わなかった。
End_is_Zéro_Project




