第8話「筋書き通りにいかせない」
作戦会議をしよう——と言っても、参加者は俺一人である。
自室の机に羊皮紙を広げ、インクの匂いを嗅ぎながらペンを走らせる。見出しは「殿下攻略計画・第二段階」。前世のゲーム攻略wiki風にまとめるのが癖だ。社畜の魂は異世界でもスプレッドシート的思考を捨てられない。
第一段階は正直に言って惨敗だった。紅茶を淹れれば「毒か」と疑われ、天気の話を振れば「俺に何を求めている」と睨まれた。好感度が上がるどころか、むしろ下がった疑惑すらある。ゲームだったら画面の端に「好感度 -3」って表示されてるやつだ。
だが学んだこともある。
殿下には日課がある。朝は東棟の自室で紅茶を飲み、午前の講義のあと図書室に寄り、昼は誰もいない中庭のベンチで過ごす。午後の講義を終えると再び図書室、そして夕方は庭の猫に餌をやる。
孤立しているからこそ行動パターンが一定。攻略対象の行動パターン把握は、乙女ゲー攻略の基本中の基本だ。
問題は「何を差し出すか」。
直球のアプローチは全部弾かれている。なら間接的にいく。殿下の行動ルートに先回りして、さりげなく居心地のいい空間を作る。ゲームで言う「好感度が自然に上がる環境整備」。
まず朝。殿下が飲む紅茶の銘柄を調べた。ヴァルトシュタイン家の紋章入りティーセットに合うのは、北方産のベルクミント茶。ほのかに薬草の香りがする、苦めの茶葉だ。嫌いじゃないが特別好きでもない——という微妙な温度感を、ハルトの記憶から掘り出した。
なら好きなやつを用意すればいい。
学園の購買部で茶葉を三種類買い込み、図書室には殿下が好みそうな詩集を司書に頼んで目立つ位置に移してもらい、中庭のベンチ横には風よけの布を張った。下級貴族の小遣いが一瞬で消えたが、命の値段に比べれば安いものだ。
翌朝。
始業の鐘より一つ早い、六の鐘が鳴る頃。東棟の廊下を歩いて、殿下の自室前のテーブルに温かい茶器を置く。ベルクミント茶ではなく、果実の甘みが効いたエルデ茶。陶器の蓋を開けると、蒸気と一緒に林檎に似た香りが立ち上る。
そして全力で逃げた。
角を曲がった先で壁に背中を押しつけ、息を殺す。心臓がうるさい。これ恋愛ゲームじゃなくてステルスゲームになってないか。
しばらくして、扉の開く音。靴がタイルを踏む乾いた足音。間があって、陶器が持ち上げられる、かすかな音。
飲んだ。飲んでくれた——たぶん。
思わずガッツポーズしかけて、壁に肘をぶつけた。痛い。
昼。中庭に先回りすると、いつものベンチにルシアンがいた。風よけの布を一瞥し、何も言わずに座る。本を広げて、そのまま動かない。風が布を膨らませ、殿下の銀髪を揺らしている。
拒絶されなかった。それだけで勝利と言っていい。好感度でいえばプラス1、いやプラス0.5くらいか。小数点の戦いだ。
午後。図書室に入ると、殿下が例の詩集を手に取っているのが見えた。
——よし。
内心でガッツポーズをしていたら、隣の書架から声が聞こえてきた。
「この剣に誓おう」
低く、しかし熱を帯びた声。
書架の隙間から覗くと、レオン・セラフィムが窓辺に立っていた。夕日を浴びて、聖騎士見習いの白い制服が橙色に染まっている。手にした長剣を額の前に掲げ、目を閉じている。
「悪を断つ。それが騎士の本懐だ」
独白だった。練習でも演技でもない、本気の誓い。背筋が伸びた姿は絵画のように美しく——。
ゲーム脳が即座に翻訳する。
レオン・セラフィム。攻略対象の一人。正義属性。ルシアンの母が弑逆未遂犯であることを信じて疑わず、王子を「悪」と断定している男。好感度が上がると「正義とは何か」に目覚めるタイプだが、上がらなければ卒業の儀で王子弾劾の急先鋒になる。
つまりあの剣の向く先は、俺の主人。
「……悪を断つって、殿下のことだよな、それ」
呟きが漏れた。レオンの銀色の目がこちらを射抜く。
「盗み聞きか」
「いや、普通に聞こえた。声でかいよ聖騎士さん」
レオンの眉間に皺が寄る。剣の柄を握る手に力がこもっている。この男、ハルト・ヒースガルドのことを明確に敵視している。悪役王子の取り巻き——それがレオンから見た俺のラベルだ。
「お前に用はない」
「こっちもないよ。図書室は共有スペースだからね」
レオンが剣を鞘に収めて去っていく。白い制服の背中が書架の向こうに消えるまで、俺はその場に突っ立っていた。
羊皮紙に新しい項目を書き足す。
「攻略対象が俺を睨んでくるの、なにこれバグ?」
好感度を稼ぐのは殿下だけじゃ足りない。レオンの敵意もどうにかしないと、卒業の儀で詰む。
でもまずは殿下だ。一つずつ片づけろ。RPGでもボスを倒す前に雑魚を——いや、レオンを雑魚扱いするのは流石に失礼か。あの剣術の腕は中ボスくらいある。
夕方、庭に行くと、ルシアンが猫に餌をやっていた。俺の気配に気づいて振り返る。氷のような蒼い瞳。
「……また来たのか」
「取り巻きですから」
殿下は何も言わずに視線を猫に戻した。猫が餌を食べるカリカリという音だけが響く。
拒絶されてない。今日はそれでいい。
ふと気づくと、殿下の足元に猫がもう一匹増えている。茶トラの子猫だ。見慣れない。新入りか。殿下は何も言わず、黙って手持ちの餌を分けてやっている。味方ゼロの王子の足元に、猫だけが増えていく。なんだこの構図。泣いていいのか笑っていいのか分からない。
筋書き通りにいかせない。そのためにまず、この殿下の好感度をコツコツ稼ぐ。
地道な作業だ。でも前世で推しの限定イベント周回を三百回やった男だ。コツコツには自信がある。
次話:「ヒロイン、現る」




