第40話「誕生日会議(極秘)」
王宮には台帳に載っていない部屋がある。
西棟の三階、階段を上がりきって右へ折れ、突き当たりのひとつ手前。もとは客人の控えの間だったが、改築で動線から外れて以来、鍵をかけたまま忘れられている。掃除の当番表にも載っていない。載っていないから誰も来ない。
前世の会社にも一つはあった。誰も使わないのに鍵だけ厳重な部屋が。王宮ともなると規模が違うが、放置のされ方は同じだ。
その鍵を、マルクスは何も言わずに俺の机へ置いていった。
包みも書き付けもない。鍵が一本、朝の書簡の山の上に転がっている。俺が顔を上げたときには、マルクスはもう廊下の角を曲がっていた。踵の音は今日も響かなかった。
説明ゼロ。いや、いつものことだ。言葉より先に物が来る。
あの一件から、この侍従長は生誕の日の話を一度も口にしていない。こちらに訊きもしない代わりに、こうして鍵が出てくる。
俺のほうが半月動かなかったのは、レオンの帰りを待っていたからだ。べつに義理で呼ぶんじゃない。あいつがいないと、たぶん俺の腹が決まらない。
部屋の窓を開けると、埃が光の中で一斉に浮いた。
冬月に入って、風の匂いが変わっている。乾いて、少し鉄に似た匂いだ。空は高いところだけが白く、雲というより天井に近い。
あの四文字を書いた日から、俺は寝る前にその日までの数を数える癖がついた。数えても減り方は変わらない。それでも数える。前世でこんなに日付を数えたのは、給料日の前くらいだ。
最初に来たのはレオンだった。
約束の刻限より四半刻早く、扉の前で直立している。王都へ戻ったのは一昨日だと聞いていたが、顔の色が学園にいた頃と違う。日に焼けて、頬の肉が落ちて、首がひとまわり太くなった。
名を呼ばれたので、まだ誰も来ていないと返す。
「早く来て困ることはない」
いや、それはそうなんだが。
待たせる側だったはずが、いつのまにか待たされる側にされている。半年で何を食ったらこうなる。首の太さはちょっと引くレベルだ。
レオンは部屋に入ると、まず窓の位置と扉の数を確かめた。癖だ。部屋に入るたび、逃げ道と守り方を無意識に数えている。
次に来たのがフィオーレさんで、両手で抱えた籠から毛糸の端がはみ出していた。
「ハルトさん、お久しぶりです。あの、編みかけなんですけど、間に合いそうで」
「何を編んでるんですか」
「まだ内緒です」
籠を胸に引き寄せる仕草で、見せる気がないことがよく分かった。隠しごとは下手なのに、隠す気だけは本物である。
最後がナシェルだった。約束の刻限を四半刻過ぎてから扉を開け、開けたところで、敷居をまたぐ前に部屋を一巡り見た。
「やあ。埃の積もり方からして、この部屋は4年から5年、人が入っていないね。窓の桟の外側だけ雨で洗われているから、換気は年に一度もされていない。ハルト、君は王宮でいちばん静かな場所を探して、実際にいちばん静かな場所を見つけたわけだ」
褒めているのか、と訊いてみる。
「観察を述べただけだよ」
知ってた。ナシェルは最後まで観察しか言わない。
4人が座ると、部屋はちょうど埋まった。長机も燭台もない。俺たちは埃を払った椅子を寄せて、床に紙を広げた。
窓から入る光が床の上で四角く切り取られている。この部屋には他に明かりがない。日が傾いたら、この会議はそれで終わりだ。日が落ちたら解散の極秘会議というのは、段取りとしてどうなんだ。
俺は3人の顔を順に見た。
「5日後、冬月の20日が、殿下の誕生日だ」
レオンの眉が動いた。フィオーレさんが小さく息を吸う。ナシェルだけがいつもの温度で先を促してくる。
「十年、誰も祝ってない」
誰もすぐには何も言わなかった。
風が窓の桟で鳴って、その音が妙に大きく聞こえる。3人がそれぞれ別のことを考えているのが、顔を見なくても分かった。
「宮廷は、王子の生誕の日に十年何もしないのか」
最初に声を出したのはレオンだった。
「宮内府の書式には項がある。毎年『執り行わず』と書いて出してる。書いてるのは侍従長で、今年は俺が書いた」
「なぜ書いた」
「書かないと、殿下が自分の口で断ることになるからだ」
レオンが口を開いて、閉じた。それから、膝の上で拳を握って、床の一点を見た。
去年まで何を考えていたかは、俺が誰より知っている。悪を断つと誓っていた剣が、断とうとしていた相手の生誕の日が十年空白だったと知る。その計算を、レオンは今この場でやっている。
拳の甲に細かい傷が増えていた。学園の鍛錬でつく傷じゃない。王都を離れてから、こいつはこいつの場所で殴られてきたのだ。
何か言えよ、とは言わない。まあ、待つ。こいつが黙るのは、考えを組み立てている最中だ。
「毎年きちんと項が立ち、きちんと処理されている。事務としては一点の非もない。事実としては最悪だけどね」
ナシェルが紙をこちらへ滑らせながら言った。身も蓋もない言い方が、今日は頼もしい。
「やりましょう。大きなお式じゃなくていいんです。大きくしたら、たぶん殿下はいらっしゃいませんから」
フィオーレさんの声が、思ったよりはっきり響いた。素朴なことを言う人だが、素朴さと的確さは矛盾しない。
俺は段取りを書き出していった。
場所は東庭。夕方、公務が終わってから。天幕は張らない。椅子は運び込むが、庭師には「台帳の点検」と言ってある。飲み物は当然エルデ茶で、これは俺が確保する。二度と切らすなと言われた手前、うちの棚はいま王都でいちばん潤っている。ほんと、何が幸いするか分からない。
「客は誰を呼ぶ」
「ここにいる4人と、侍従長。以上」
少ないな、という顔が3つ並んだ。
並んだところで動かす気はない。ルシアンは人数が増えると壁を作る。壁の内側に何人入れるかは、招く側が決めていい話じゃない。
レオンが紙を覗き込んで、それから、姿勢を正した。正す必要のまったくない場面で正す男である。
「……フィオーレ嬢も、来られるのか」
「来るけど」
「そうか」
ナシェルが顔を上げかけて、俺と目が合って、何も言わずに手元へ戻った。事実を言うのを我慢できない体質のはずが、今日にかぎって我慢したらしい。魔導院で何か新しい修行でも積んだのかもしれない。
というか、今の間はなんだ。
「あと、手土産をひとつ用意する。それは俺が城下で頼んでくる」
中身を訊かれたので内緒だと答えた。
「君、さっきから内緒しか言っていないよ」
最大の問題はそこから先だった。
「で、どうやって殿下に隠す」
3人が黙る。今日いちばん長い沈黙だった。
「レオン。お前、嘘つける?」
「つけん」
即答だった。返事に一拍も要らないのがレオンの長所であり、今日にかぎっては致命傷である。
「私は嘘が下手だ。上官にもそう言われている。隊で伝令を任されないのはそのせいだ」
自己申告まで正確ときた。正直者かよ。
次に、籠を抱えたままの人へ目を向ける。フィオーレさんには一応、期待していた。
「わたし、嘘をつくと顔が赤くなるって、よく言われます」
言いながらもう赤い。証拠のほうが先に出ている。やっぱり隠しごとには向いていない。
残るは一人。そしてこの一人が、いちばん期待できない。
「僕は嘘をつく必要を感じたことがない。事実のほうが面白いからね」
全滅である。
前世でもそうだった。送別会の日取りは、幹事の顔で先にバレる。うちの部署は毎回バレていた。
「で、君はどうなんだい、ハルト」
ナシェルが指を組んで、俺の顔をまじまじと見た。
「君はね、隠しごとをしているとき、歩くのが速くなる。廊下でさっき僕を追い抜いた」
廊下を急いだのは早く着きたかったからだ。断じてそれ以外の理由はない。
反論しようと口を開く。開ききる前に、次が来た。
「それから、片手で襟の内側を確かめる癖がある。この部屋に入ってから6回。中に入っている紙が落ちていないか気になっているんだろう。ついでに言えば、嘘をつくとき君は語尾が丁寧になる」
「やめろ。俺の身体が全部裏切ってる」
「観察を述べただけだよ」
二度目だ。その一言で何でも済ませる気だろ。
レオンが真剣な顔で腕を組んだ。
「ならば、隠すのをやめてはどうだ」
「祝いがバレたら意味ないだろ」
「全部を隠すのではなく、隠していることだけを隠さない。何をしているかは言わない。だが、何かをしていることは認める。嘘をつかずに済む」
俺とナシェルが同時にレオンを見た。
年に何度か、こいつはこういうことを平然と言う。毎日剣を振っていると、何かを悟るものなんじゃないか。
「お前、たまにものすごく正しいこと言うな」
「たまにとは何だ」
窓の光が床から滑り落ちた頃、会議は解散になった。
夕方の執務室に戻ったとき、殿下は書簡の山の向こうにいた。
俺は自分の椅子に座り、何食わぬ顔で日程の写しを広げる。広げて三つ数えたところで、正面から声が飛んできた。
「西棟へ行ったな」
喉が鳴った。口に入れたものは何もない。
「なんでそう思うんですか」
「上着の肩に埃が乗っている。東棟の埃は白い。西棟の古い階は灰色だ」
埃の色で棟を特定するな。
「それから、騎士団の者と会ったな。革の匂いがする。手入れ用の油だ」
学園の頃、レオンの手紙はいつもこの匂いがした。覚えているほうもどうかしている。
「殿下、鼻がよすぎませんか」
「魔導院の封蝋も懐に入っている。角が上着から出ている」
俺は慌てて襟の内側を確かめて——ナシェルの指摘が正しかったことを、いちばん確かめたくない相手の前で証明してしまった。
さっき6回だと言われたばかりなのに、7回目をここでやるか。今さら手を下ろしても遅い。
「昼過ぎには東庭で庭師と話していたな」
「見てたんですか」
「窓から見えた」
ルシアンの執務机は窓を背にしている。背にしているということは、振り向けば東庭が見えるということだ。そして、振り向かないと見えないということでもある。
殿下が羽根ペンを置いた。
紫水晶の目がまっすぐこちらへ来る。逃げ場のない目だ。学園の頃、この目に見据えられて何度も言い訳を組み立て損ねた。
「ハルト」
「はい」
「何を企んでいる」
俺は息を吸って、吐いた。それから、床でも天井でもなく、その目を見返した。
レオンの言った通りにやるしかない。何をしているかは言わない。している、ということだけは隠さない。
「内緒です」
殿下はしばらく、こちらを見ていた。
その時間がやたらと長い。追及の言葉はいくらでもあったはずだ。この人は問い詰めるのが得意で、俺は問い詰められると弱い。それを両方が知っている。
それから、殿下はペンを取った。
「そうか」
書簡の山へ視線が戻る。それきり、何も訊かれなかった。
昔のルシアンなら、こうはならなかった。隠しごとの気配を嗅ぎ取った瞬間に、壁の内側へ引っ込んで扉を閉めていた。今は閉めない。閉めずに、こちらが言うまで置いておく。
俺は写しの束を捲る手を動かし始めたが、しばらく文字が頭に入ってこなかった。
あの一言で引き下がるということが、この人にとってどれだけ重い譲歩なのか。それを知っている人間は、この王宮に俺一人しかいない。
冬月の20日まであと5日。
次話:「十年分の、おめでとう」




