表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役王子の取り巻きに転生したら、殿下が俺にだけデレてくる  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/46

第35話「お忍びと焼き菓子」

王宮の西門で、俺は足止めを食らった。


 殿下が第一王子として引き受ける最初の視察の朝である。行き先は王都の南地区、来春に架け替える橋の周辺。護衛は目立たぬ装いの騎士が二人、記録係が一人、そして俺。


 前世の言葉に直せば出張だ。しかも初回で、しかも上が同行する。前の晩に持ち物を並べて数え直すやつだ。


 馬車は紋章を外した地味なやつで、これを王宮では「微行」と呼ぶらしい。要するにお忍びだ。呼び方を一段格式ばらせると、同じことでも急に正式な行事の顔をしはじめるから面白い。


 その微行の随行名簿を、門衛が指でなぞっている。爪の先が俺の名前の右隣で止まった。


「ハルト・ヒースガルド殿。……役職の記載がございません」


 通れませんか、と訊く。通れません、と返ってくる。前に聞いたとおりの答えを、今度は門衛の声で聞いた。


 いや、分かってた。分かってたけど、こんなに早く実物が来るとは思ってなかった。


 門衛に恨みはない。決められた仕事をしているだけだし、恨むべきはそこを空けたまま放置してきた宮廷そのものである。あとたぶん俺。


「殿下の側近です。半年、毎日ここを通ってます」


「存じ上げております。ヒースガルド殿のお顔は、門衛全員が覚えております」


 じゃあ通してくれ、という顔をしてみる。通じなかった。


「顔では通れません。紙で通るのです」


 その台詞、二回目なんだよな。先日、廊下でまったく同じことを言われた。あのときは廊下の話として聞き流していたのに、今日は実際に足が止まっている。


 馬車の窓が開いた。


 窓の奥から、門衛と俺と、宙で止まったままの指先が順に検分された。それから、殿下の声が短く落ちてくる。


「乗れ」


「乗ったら通していいことになるんですか」


「王子の同乗者だ」


「殿下、それ、力技って言うんですよ」


「早くしろ」


 門衛が困った顔でそれを握りしめている。この人の立場でいえば、王子の命令と規則が正面衝突している。前世の受付にこれをやったら、あとで受付の人が始末書を書く羽目になるやつだ。俺が始末書を書くならまだしも、門衛が書くのは違うだろ。


 救いは廊下の向こうから走ってきた。


 走る、といってもマルクスの走りは早歩きの延長で、上体がまったく揺れない。急いでいるが慌てていない、という一種の技術だ。近づいてくるなり、門衛の手から控えを取り上げ、腰の筆入れから羽根ペンを抜いた。


「東庭掛」


 そう書いて、門衛に突き返す。


「……はい?」


「先日、庭の台帳に欄を新設いたしました。東庭の預かりを管理する者にございます。宮廷の職ではございませぬが、庭師の管轄下に置かれた正式な役目です。よって記載できます」


 通るのかよ、それで。


 猫のために作った枠へ人間を差し込んでくる。侍従長、規則を守る側の人じゃなかったんですか。


「マルクスさん。俺、猫の世話係として王宮の門を通るんですか」


「猫の世話係ではございませぬ。東庭掛です」


「同じ意味では」


「言い方の問題です」


 それ、先日俺が使ったやつだ。


 しかも、王宮は言い方の建物でございます、と言い切ったのもマルクスだ。人の理屈を借りたうえに自分の持論まで乗せてくるの、卑怯だと思う。反論の余地はないけど。


 門衛が書き足された一行を確かめ、深々と一礼して道を空けた。書いてある。ならば通る。それがこの門の全ての理屈だった。


 馬車が動き出してから、俺は窓の外を見ないようにして座っていた。


 猫の名義で城壁を越えている。この年で肩書きが一つ増えた。増え方には納得がいっていない。まあ、通れないよりはいい。よくはないけど、いい。


 そこに「ハルト」と入れさせたのは、顔も上げずに一言で終わらせたルシアンだ。名前のほうは、あのとき一度で済んでいる。


 王都の南地区は市の立つ日だった。


 石の橋のたもとで馬車を降りるとまず水の音が来た。晩秋の川は水量が落ちていて、剥き出しになった川底の砂に日が当たっている。風は川面を渡ってくるぶんだけ冷たく、外套の裾を裏側から持ち上げていった。


 橋の周りを役人の説明つきで一巡する。川底の砂の堆積と堤の補修跡をあらため、住人の話を3軒ぶん聞いた。現場を回って、聞いて、帰る。前世の仕事と手順だけならほとんど変わらない。違うのは、帰ってから書く報告書の宛先くらいだ。


 殿下は終始無言に近い。だが質問だけは的確に短く刺した。去年の増水はどこまで来た。その水位で家に入ったのは何軒だ。壊れた木樋は誰が直した。


 役人は最初たじろぎ、途中から背筋を伸ばして答えるようになる。答えれば必ず最後まで聞く。それを3軒目で相手が理解する。


 視察の予定が終わったのが昼過ぎ。馬車を戻すまで半刻ほど余った。


「殿下。少し歩きませんか」


「予定にない」


「予定にないから歩くんですよ」


 外套の頭巾を目深に下ろした殿下が、意外にも素直についてきた。


 押せば通ることがあるんだよな、この人。押しどころが読めないだけで。


 銀の髪さえ隠れていれば、ルシアンは「どこかの家の三男坊」で通る。背が高く姿勢が良すぎるのが難点だが、通りの人々は市に忙しくて他人の姿勢まで見ていない。


 台に積まれた菜は、もう根菜ばかりになっていた。夏の名残の瓜も豆も見当たらない。泥のついた蕪の山と、縄で括られた葱の束。呼び込みの声が隣の台の声とぶつかって、どちらも譲らずに大きくなっていく。


 足元は前の日の雨で緩んでいて、荷車の轍に水が溜まっている。籠を担いだ女が跨いでいくたび、水面の空が割れた。


 市の通りは匂いが層になっている。手前で焼いた腸詰め、その奥で酢漬けの樽、さらに奥で乾いた麻布と獣脂。前世の商店街もこうだった。数歩あるくたび、鼻が別の店へ移される。


 人と人の隙間を縫いながら歩いていくと、そのどれでもない甘い匂いが鼻に引っかかった。


 砂糖と麦。焼けた縁の、少し焦げた香り。


 俺は足を止めた。


 この匂い、覚えがある。覚えがあるどころじゃない。なんで王都の裏通りで、学園の厨房と同じ匂いがするんだ。


 辿って裏通りに折れると、間口の狭い店があった。窓の桟に木の盆が並び、盆の上に焼き菓子が積まれている。丸くて、縁だけが濃い色をしていて、真ん中がわずかに凹んだ形。


 学園の厨房で、殿下に持っていくために特別に焼いてもらったやつと同じ形だ。


 店の奥から、恰幅のいい年配の女性が顔を出した。目が丸くなる。頬の高いところが持ち上がって、目尻の皺が一気に増えた。この笑い方も知っている。


「あらまあ! 学園の坊やじゃないの」


「お久しぶりです。いつからこっちに」


「春に厨房を辞めたのよ。腰がねえ。娘の亭主がここで店やってるもんだから、手伝いに入ってね」


 女性は俺の頭からつま先までを一往復見て、満足そうに頷いた。


「大きくなったねえ。ちゃんと食べてる?」


「食べてます」


「嘘おっしゃい。頬が薄いもの」


 なんで分かるんだ。侍従長と同じことを言う。この二人が組んだら俺は1日5食にさせられる。


 ルシアンは俺の半歩後ろで黙って立っていた。頭巾の下で、盆の上をじっと見ている。


「そちらのお連れさんは」


「あー、えっと。同僚です」


「同僚」


 殿下が小さく繰り返した。訂正はしなかった。


 しなかったな、今。訂正するところだと思ったんだけど。


「まあ綺麗な顔の子だこと。よかったら一つずつどうぞ、焼きたてだから」


 断る隙もなく、油紙に包まれた菓子が二つ、俺たちの手に押しつけられる。まだ熱が残っている。指の腹に伝わる温度に、なぜか喉の奥が詰まった。


 殿下が一口食べて、止まった。


 噛むのをやめて、口の中のものを確かめるように、ゆっくり顎を動かす。それから、頭巾の陰でぽつりと言った。


「……この味は、知っている」


 俺の心臓が一度、変な打ち方をした。


 学園にいた頃、この菓子を包んで執務室に置いた。返ってくる反応は何もない。何日目かの朝に空の包み紙が畳んで置いてあって、それを見つけたときの俺は5秒ほど息を止めた。


 あれからもう一年以上経つ。ルシアンはあのとき何も言わなかった。何も言わないまま、味だけ覚えていたのか。


 知ってますか、と訊く。知っている、と同じ言葉が返ってきた。


「どこで食べたか、覚えてます?」


 殿下は答えなかった。答えない代わりに二口目を食べた。


 ずるい。そこで黙って食べるのは、ずるいと思う。


「あらぁ、うちのお菓子を食べたことがあるの?」


 女性が嬉しそうに手を打つ。


「学園にいた頃はねえ、生徒さんに配ってたのよ。あ、そうそう。王子様に持っていくって坊やがいてねえ。あれには驚いたわ。凍った王子様に焼き菓子だなんて——」


「お包みを!」


 俺の声が裏返った。


「お包みを、たくさんお願いします。お土産にしたいので。10個、いや15個」


「まあまあ、そんなに?」


「職場の分です! みんな腹を空かせてるので!」


 背中に視線を感じる。頭巾の影から、確実に見られている。見ないでほしい。今の話の続きを聞かれたら、俺の心臓と社会的立場のどっちかが死ぬ。


 包みを抱えて店を出た頃には、通りの人出が倍になっていた。


 市の午後は人の流れが川になる。荷を担いだ男が横から割り込み、子供の一団が足元を抜けていき、俺と殿下の間に一瞬で3人分の隙間ができた。


 頭巾姿の殿下を見失いかけて、慌てて振り返る。


 そのとき、左の袖が引かれた。


 殿下の指が俺の袖口を掴んでいる。


 前を向いたままだった。人混みを睨むような目で、まっすぐ進行方向を見ている。掴んだことについて、ルシアンはたぶん何ひとつ考えていない。はぐれるのを身体のほうが先に嫌がって、考える前に手が出た。本人は掴んだ自覚すらないと思う。


 自覚のないその指が、俺の歩幅を狂わせる。


 ……いや、これは護衛の都合だ。俺がはぐれると殿下の随員が減って面倒になる。そういう合理的な話であって、他に意味なんかない。ないったらない。


 自分にそう言い聞かせながら、俺は左腕をなるべく動かさないように歩いた。反対側の腕に抱えた包みが、まだ温かい。


次話:「凍った王子と呼ばれた人」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ