第29話「筋書きにない結末」
卒業の儀、当日。
大講堂の扉が開いた瞬間、花と蝋燭の匂いが押し寄せてきた。数百本の蝋燭が壁面のブラケットに灯され、天井のステンドグラスから差し込む光が床のモザイク模様を七色に染めている。
全校生徒、教職員、来賓の貴族たち。大講堂は満席だった。
ゲームの断罪イベント。『蒼穹のエトワール』のクライマックス。ノーマルエンドでは、ここで王子が弾劾され、取り巻きともども処刑を宣告される。
——のだが。
今日の俺は、処刑を待つモブじゃない。
壇上にギルバートが立つのが見えた。温厚な笑みを浮かべた査察官の顔。あの笑みの下に何が隠れているか、今はもう知っている。
ルシアンは俺の隣にいた。正装の軍服に身を包み、蒼い瞳で壇上を見つめている。表情は凍っているように見えるだろう。でも俺には分かる——あれは覚悟を決めた顔だ。
「殿下」
「なんだ」
「緊張してます?」
「していない」
「手、震えてますけど」
「……黙れ」
震える手を背中の後ろに隠す殿下。かわいいんだが、今それを指摘すると殴られそうなので黙っておく。
ギルバートが壇上の演台に立ち、咳払いをする。大講堂が静まる。
「本日は卒業の儀にあたり、重大な報告がございます」
声が反響する。よく通る、穏やかな声。聴衆を安心させる声だ。九年間、この声で周囲を騙し続けてきた男の声。
「第一王子ルシアン・ヴァルトシュタイン殿下について、学園在籍中の素行調査の結果をご報告いたします」
来た。
ギルバートが羊皮紙を広げる。そこに書かれているのは、でっち上げられた罪状のリストだ。ゲームではこの読み上げが完了した瞬間に断罪が確定する。
「第一に、前王妃の逆心を継承し——」
「異議あり」
俺は立ち上がっていた。
大講堂が、しん、と静まる。数百の視線が一斉にこちらを向く。胃が縮む感覚。前世のプレゼンとは比べものにならないプレッシャーだが、足は震えていない。
ギルバートの目が細くなる。温厚な仮面の下で、苛立ちが一瞬だけ覗く。
「ヒースガルド殿、卒業の儀の最中に——」
「筋書き通りにはいかないんだよ、ギルバート」
声が思ったより太く出た。大講堂の天井に反響して返ってくる、自分の声。
「前王妃の罪は冤罪だ。証拠がある」
ざわめきが広がる。ギルバートの顔から笑みが消え、冷たい目がこちらを射抜く。あの温厚な査察官はもういない。
「証拠とは何だ。根拠のない中傷であれば——」
「ナシェル」
俺が名前を呼ぶと、二階のバルコニーからナシェルが身を乗り出した。手に持った記録結晶が光を帯びる。
「僕の出番だね」
ナシェルが結晶に魔力を注ぐ。光が大講堂の天井まで広がり、巨大な映像となって空中に浮かび上がる。法廷記録の改竄箇所。証拠品の差し替え記録。証人への脅迫の文書。九年前にギルバートが仕組んだ陰謀の全貌が、全校生徒の頭上に晒される。
「解析精度は99.7パーセント。僕の魔法の精度を疑う人がいたら、学術的に反論を受け付けるよ」
ナシェル、空気読まないのに最高のタイミングで最高の仕事をする。天才ってそういうものか。
大講堂がどよめく。貴族たちがざわつき、生徒たちが顔を見合わせる。ギルバートの顔が蒼白になっていくのが、壇上からでもはっきり分かる。
「これは——捏造だ。魔導士の戯言に過ぎない」
「捏造ではありません」
新しい声。澄んで、まっすぐな声。
フィオーレ・アマリッティが席から立ち上がっていた。ヒロインの——筋書きでは被害者になるはずだった少女が。
「私はルシアン殿下から害を受けたことは一度もありません。殿下は悪役などではなく、母君の冤罪に苦しむ一人の人間です。私は——被害者ではありません」
フィオーレの声は震えていた。でも、目は揺れていない。自分の意志でそこに立っている。筋書きが用意した「被害者」の椅子を、自分で蹴飛ばしている。
ギルバートが壇上から叫ぶ。
「衛兵! この場を——」
金属音が講堂に響いた。
レオン・セラフィムが、剣を抜いていた。
その切っ先は、壇上のギルバートに向けられている。
「動くな、ギルバート・レッドモンド」
レオンの声が、鋼のように冷たく、しかし熱を帯びて大講堂に響く。
「悪を断つ。その誓いに嘘はない。だが——」
銀色の瞳がギルバートを見据える。
「悪は、あなただ」
大講堂が完全に静まる。蝋燭の炎が揺れる音すら聞こえそうな静寂。
ギルバートの視線が泳ぐ。壇上から逃げようとして、レオンの剣に阻まれる。来賓の貴族たちが立ち上がり、衛兵たちが互いの顔を見合わせている。もう、この流れは止まらない。
俺は壇上に向かって歩き出す。
「俺は殿下の取り巻きだ」
自分の声が、妙にはっきり聞こえる。
「取り巻きってのは——殿下のそばにいる者だ。筋書きなんかに、この人を渡さない」
ルシアンを振り返る。
殿下が——笑っていた。
唇の端がかすかに上がっているだけの、不器用な笑み。でも蒼い瞳が、蝋燭の光を受けて柔らかく揺れている。凍った王子の氷が、今、溶けていく。
大勢の前で。全校生徒と来賓の前で。初めて、ルシアン・ヴァルトシュタインが笑った。
——ああ、これだ。
この笑顔を守るために、俺はここにいる。
筋書きにない結末が、今、始まろうとしていた。
次話:「味方ゼロの殿下へ」




