第28話「レオンの剣が守るもの」
卒業の儀まで、あと二日。
レオン・セラフィムを見つけたのは、訓練場だった。またここだ。この男は悩むとき必ず剣を振る。分かりやすいにもほどがある。
ただ、今日の素振りにはいつもの鋭さがない。剣先がぶれて、軌道が乱れている。斬撃が空を切る音も、どこか湿っぽい。
俺が近づくと、レオンは剣を止めた。振り返らないまま、低い声が飛んでくる。
「……ヒースガルドか」
「よく分かりましたね、後ろ向いてるのに」
「お前の足音は軽い。騎士の歩き方ではないからすぐ分かる」
褒められてるのかけなされてるのか微妙なラインだ。
「つまり俺の足音って、騎士から見ると素人丸出しってことですか」
「そこまでは言っていない」
「いや言ってますよね実質。『騎士の歩き方ではない』って、翻訳すると『素人』でしょう」
「……否定はしない」
やっぱりけなされてた。
「用件は」
「セラフィムさんに、見せたいものがあります」
ナシェルから預かった記録結晶を取り出す。前王妃の冤罪を証明する記録——ナシェルの魔法が暴いた、九年前の法廷記録の改竄の痕跡。
レオンが振り返る。銀色の瞳が結晶を見つめ、それから俺を見る。
「これは」
「前王妃の裁判記録です。ナシェルが解析した。証拠の捏造と、証言の改竄が行われている。全部、ギルバート・レッドモンドの指示で」
結晶に魔力を流すと、淡い光が訓練場の砂の上に文字を映し出す。法廷記録の写し。証人名簿の差し替え。証拠品の入れ替え日時。事務的で無機質な記録が、十年前の陰謀を浮かび上がらせていく。
レオンは黙って読んでいた。
長い沈黙だった。訓練場の砂が風に舞い、汗の滲んだ空気の中にかすかな鉄の匂いが混じる。剣の手入れに使う油の残り香だろう。
「……これが、事実だと?」
「ナシェル・ド・フォンテーヌの解析です。あいつが嘘をつく理由があると思いますか」
「フォンテーヌは嘘をつかない。あの男は事実にしか興味がないからな」
「褒めてるんですか」
「事実を述べている」
ナシェルの口癖がうつってるんじゃないかと思ったが、たぶんレオンは元からこうだ。
レオンの唇が引き結ばれる。
この男の苦しみが、俺には分かる。レオンは正義を信じている。法と秩序を信じ、悪を断つことが騎士の本懐だと誓ってきた。その正義の土台が——法廷の判決そのものが——偽りだったと突きつけられている。
「私は」
レオンの声がかすれる。
「私は、正しいと信じて——あの王子を断罪しようとしていた」
木剣を握る手が震えていた。握りすぎて白くなった指の関節が、夕方の光に浮かぶ。
「母を奪われた少年を。冤罪で。私の正義は——」
「間違ってない」
俺の声が、自分でも驚くほどはっきり響いた。
レオンが顔を上げる。
「あんたの正義は間違ってない。悪を断つ。その信念は本物でしょう。ただ——」
言葉を選ぶ。前世の会社員時代、部下が方向を見失ったとき、上司として何と声をかけていたか。正論では人は動かない。でもレオンには正論が一番効く。
「正義の向け先が、違っただけだ」
風が止まる。訓練場の旗がだらりと垂れ、砂塵が静まり、レオンと俺の間に沈黙が落ちる。
レオンの銀色の瞳が揺れている。迷い、怒り、悔恨——感情が波のように入れ替わっていく。
「……ヒースガルド」
「はい」
「あのとき——お前に訊いた。なぜ悪役の味方をしているのかと」
あの日の訓練場が蘇る。同じ場所で、同じ男に問われた。あのとき俺は答えられなかった。
「あのときの問いに、お前はまだ同じ答えを返すか」
「いいえ」
あのときの俺は根拠を持っていなかった。ゲーム知識と直感だけで殿下を信じていた。でも今は違う。
「殿下は悪じゃない。根拠もある。そして——殿下のそばにいるのは、筋書きのためじゃなくて、俺がそうしたいからです」
レオンが目を閉じる。
長い、長い呼吸。
そして目を開けたとき、銀色の瞳からは迷いが消えていた。迷いが消えた後に残ったのは、怒りだ。ただし、その怒りの矛先はもう俺にも殿下にも向いていない。
「卒業の儀は、明後日だな」
「ええ」
「ギルバート・レッドモンドは、あの場で王子を断罪するつもりだろう」
「そうです」
レオンが木剣を鞘代わりの布に包み、腰に差す。背筋が伸び、肩が開く。迷っていた騎士の姿はもうない。
「悪を断つ。その誓いに嘘はない」
レオンの声が、訓練場に響く。あの日と同じ言葉。同じ熱。でも、向かう先が違う。
「だが、悪は——あの男だ」
その目が見つめる先に、ギルバートの影がある。
俺は息を吐いた。長く、深く。肺の底から空気を押し出すと、張りつめていた肩の力が抜けていく。
「セラフィムさん」
「なんだ」
「あんたが味方になってくれると、めちゃくちゃ心強いんですけど」
「味方ではない」
レオンが歩き出す。夕日に照らされた横顔が、不機嫌そうに歪んでいる。
「正義の執行者として、不正を正すだけだ。お前たちの味方になった覚えはない」
「素直じゃないなあ」
「黙れ、取り巻き」
「あっ、でもセラフィムさん。一個だけ確認いいですか」
レオンの足が止まる。振り返りはしない。けれど耳がこちらを向いている——のが横顔から分かる。
「明後日、大講堂でギルバートが動いたとき。あんたはどの位置にいますか」
「……壇上の左手。来賓席の最前列だ」
「すげえ。それ、ギルバートを止めるのに最適な位置ですよね」
「偶然だ」
「偶然でその席取ったんですか」
「偶然だと言っている」
レオン・セラフィム、嘘が下手すぎる。正義の味方がこれでいいのか。いや、これがいいのか。
「セラフィムさん」
「まだあるのか」
「いえ——ありがとうございます」
レオンの背中がぴくりと強張る。一拍の沈黙。それから、聞こえるか聞こえないかの声。
「……礼は不要だ。私は正しいことをするだけだ」
その背中を追いかけながら、俺は笑っていた。
味方が増える。味方ゼロだった殿下の周りに、少しずつ人が集まっていく。
あと二日。卒業の儀まで、あと二日だ。
次話:「筋書きにない結末」




