第27話「あと三日」
卒業の儀まで、あと三日。
その事実を噛みしめながら朝の講義棟を歩いていたら、角を曲がった先に衛兵が四人並んでいた。
衛兵。学園内で。しかも全員、腰に実剣を帯びている。
「ハルト・ヒースガルド殿」
先頭の衛兵が一歩前に出る。声は丁寧だが、目が笑っていない。公的な用事で来た人間の目だ。
「王立学園査察官ギルバート・レッドモンド卿の命により、謀反の嫌疑にてお身柄を確保いたします」
「……は?」
朝から脳が追いつかない。謀反。俺が。取り巻きAが謀反。台詞が三つしかないモブキャラに、そんな大層なイベントは用意されていないはずなんだが。
「いや待って。謀反って——俺がターゲット? ルシアン殿下じゃなくて?」
衛兵たちの表情が微動だにしない。そりゃそうだ、命令を受けて来ているだけの人間にイレギュラーな質問をぶつけても困るだけ。前世の電話対応で散々学んだやつだ。マニュアル外の問い合わせには沈黙で返す。
「いやいやいや、普通に考えておかしくないですか。取り巻きを先に潰す? 王子じゃなくて取り巻きを? そんな効率の悪い謀略あります? ギルバート、そこは殿下を狙えよ。俺を狙ってどうすんだ」
四人目の衛兵が、かすかに眉を動かした。「確かにそうだな」とでも言いたげな顔。いや共感してくれなくていいから。
「この三日間の俺の行動、言いましょうか。紅茶淹れて猫の餌やって殿下のスケジュール管理して、あと一回だけナシェルの研究室で居眠りしました。どこに謀反の要素があるんですか。居眠りは謀反ですか」
「嫌疑の詳細は査察官殿より直接——」
「ギルバートが黒幕だって言ってるんですよ俺は!」
言ってから気づく。衛兵たちにとっては、学園の温厚な査察官に楯突く不審な取り巻きでしかない。正論が通じない相手に正論をぶつけるのは、前世の会議でも散々経験した。議事録に残るのは声の大きい方の意見だけ。
頭を切り替える。ここで暴れても状況は悪化するだけだ。逃げるか——いや、逃げたら本当に謀反の証拠にされる。かといって大人しく拘束されたら、卒業の儀までに何もできなくなる。
衛兵の一人が腕を掴もうとした瞬間、廊下の奥から足音が響く。
硬質で、速い。怒りを含んだ足音。
「その手を離せ」
ルシアンの声が廊下に反響する。冷たい——いつもの氷の声。だが温度が違う。凍っているのではなく、研ぎ澄まされている。抜き身の剣のような声だ。
衛兵たちが振り返り、第一王子の姿を認めて硬直する。
「殿下、しかしギルバート卿の命令により——」
「ギルバートの命令?」
ルシアンが一歩踏み出すたびに、廊下の空気が張りつめていく。蒼い瞳が衛兵を射抜いている。その眼差しに、俺でさえ背筋が伸びる。
「一介の査察官が、王族の側近を拘束する権限があると? 手続きを経たのか。学園長の許可は。王宮への報告は」
衛兵の顔色が変わった。手続き——そう、ギルバートは正規の手続きを踏んでいない。先手を打つことを優先して、根回しが甘い。
二人目の衛兵が小声で先頭の衛兵に何か耳打ちしている。たぶん「手続きの書類、もらってないんですけど」的なやつだ。衛兵同士のアイコンタクトが「聞いてないぞ」「俺も聞いてない」「どうする」「知らん」と高速で交わされていくのが見えて、不謹慎にもちょっと面白い。
「で、殿下。我々は命令に従ったまでで……」
「命令を出した人間のところに戻れ。伝えろ——王子の側近に手を出すなら、王子を通せと」
衛兵たちが退がっていく。最後の一人が角を曲がるまで、ルシアンの視線は一度も外れなかった。
廊下に二人きりになる。壁掛けの燭台が、朝の薄い光の中でかすかに揺れている。
「殿下」
「なんだ」
「殿下が俺を守るとか、攻守逆転すぎません?」
ルシアンの眉がぴくりと動く。
「守ったわけではない。不当な拘束を排除しただけだ」
「それを世間では守るって言うんですよ」
「……黙れ」
耳の先が赤い。殿下、それ隠せてませんよ。
「てかあの衛兵さんたち、最後のほう完全に困ってましたよね。ギルバートから書類もらってなかったでしょ、あれ」
「当然だ。正規の拘束命令には学園長と王宮の連署が要る。ギルバートにそんなものを発行する権限はない」
「殿下、その辺めちゃくちゃ詳しいですね」
「王族なら当然の知識だ」
「いや王族エアプの俺には全然当然じゃないんですけど——助かりました」
最後の一言で、ルシアンの耳の赤みがさらに増す。この人、感謝されるのに本当に慣れていない。
だが笑ってもいられない。ギルバートが先手を打ってきた。卒業の儀まであと三日。証拠を持つ俺を潰して、断罪イベントを予定通り進めるつもりだ。
「殿下、あいつ本気です。あと三日で俺たちを潰しにくる」
「分かっている」
ルシアンが窓の方を向く。中庭の花壇が見えるはずだが、今はまだ朝靄で白く煙っている。湿った空気が窓の隙間から流れ込み、インクと古い木の匂いが混じっていた。
「ハルト」
「はい」
「お前を拘束させるつもりはない。ただし——」
振り返ったルシアンの顔は、いつもの無表情に戻っている。でも俺にはもう分かる。あの目の奥にあるのは氷じゃない。
「三日間、俺のそばから離れるな。命令ではなく——」
言葉が途切れる。ルシアンは一度視線を逸らし、それからもう一度俺を見た。
「頼みだ」
殿下が、頼みだと言った。あの「味方は要らない」と言い続けていた殿下が。
胸の奥で何かが、ぎゅっと握られたみたいに痛む。嬉しいのか苦しいのか、自分でも判別がつかない。
「——離れませんよ。取り巻きですから」
ルシアンが小さく息をつく。安堵なのか呆れなのか。たぶん両方だ。
「そのうち、取り巻き以外の呼び方を覚えろ」
「えっ、なんて呼べばいいんですか。相棒? 戦友? ズッ友?」
「最後のは却下だ」
「殿下、ズッ友の意味分からないのに却下するの早くないですか」
「語感で分かる。却下だ」
「じゃあ右腕。殿下の右腕」
「左腕はどうなる」
「ナシェルでいいんじゃないですか。頭脳担当だし」
「あいつは腕ではなく脳だろう」
「殿下、比喩の概念に厳密すぎません?」
廊下の向こうで、始業の鐘が鳴る。低い振動が腹に響いて、壁掛けの燭台がかたかたと揺れた。
あと三日。ギルバートが仕掛けてくる。卒業の儀で殿下を断罪しようとする。
でも——筋書き通りにはさせない。
殿下の隣を歩きながら、俺は拳をそっと握り直す。今度の拳には、もう迷いはなかった。
次話:「レオンの剣が守るもの」




