第24話「肩を並べて」
殿下に報告したのは、その日の夕方だった。
ルシアンの執務室。窓から差し込む夕陽が、机の上の書類をオレンジ色に染めている。猫用の干し肉の小皿は空だ。午後の餌やりは済んでいるらしい。
「ギルバートが、前王妃の事件に関わっていた可能性がある」
俺がそう切り出した瞬間、ルシアンのペンが止まった。
紫水晶の目がこちらを向く。怒りでもなく、悲しみでもなく——覚悟の色。この人は、こういう話が来ることをどこかで予感していたのかもしれない。
「根拠は」
短い。一言。前世の上司が報告を聞くときもこうだった。「根拠は」「数字は」「で?」。ルシアンも本質的には同じタイプらしい。無駄を嫌う。
「渡り廊下でギルバートの密談を聞きました。卒業の儀での殿下の動線変更と、警備配置の話です。加えて、九年前の取り調べを主導したのがG卿——ギルバートである可能性が高い」
「可能性、か。確証ではないな」
「はい。だからナシェルに協力を求めました。彼の魔法で事実を裏付けたい」
ルシアンは沈黙する。窓の外を見る。夕陽がその横顔を照らしていて、睫毛の影が頬に落ちている。
「……九年、あの男は俺の父の隣にいた」
低い声。感情を押し殺した声。
「殿下——」
「知っていたのかもしれない。心のどこかで」
ルシアンが視線を戻した。俺の目を真っ直ぐに見る。
「母上の事件について、何かがおかしいとは思っていた。だが調べる手段がなかった。父上に問うこともできなかった」
八歳の子供に、何ができたというのだ。味方がいない王子に、宮廷の闇を暴く力なんてあるはずがない。
「今はあります。手段も、協力者も」
「お前とナシェルか」
「はい」
「二人とも、ギルバートの権力の前では紙切れも同然だが」
「紙切れでも数が集まれば本になりますよ」
「……何の例えだ、それは」
「すみません、咄嗟に言ったので自分でもよく分かりません」
ルシアンが口元を手で隠した。笑いを堪えているのか、呆れているのか。たぶん両方。
「それで、どう動く」
「えっ」
「お前が言い出したことだ。作戦はあるのだろう」
あるにはある。頭の中で組み立ててきた。ナシェルとも打ち合わせ済みだ。問題は——。
「いや、あの、作戦というか——」
「ないのか」
「あるんですけど、殿下に指示を出すのが恐れ多すぎて声が出ません」
王子に「あれやれ」「これやれ」と指示を出す取り巻きがどこの世界にいるのか。前世で言うなら社長に向かって新入社員が「明日までにこの資料まとめてください」と言うようなもので、普通にクビである。
ルシアンが腕を組んだ。椅子の背にもたれて、こちらを見下ろす。王子の顔だ。でも、目の奥にかすかな——楽しそうな光?
「指示を出せ、ハルト」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。殿下が俺の名前を呼ぶのは珍しい。いつもは「お前」か「ヒースガルド」なのに。
反則だ。その声でその顔で名前を呼ばれたら、大抵のことは言える気がしてしまう。王子属性の暴力である。
「取り巻きなら、殿下を動かすのも仕事だろう」
「その使い方おかしくないですか? 取り巻きって普通は殿下に動かされる側では?」
「俺の取り巻きは俺が定義する」
「横暴だ」
「王子だからな」
その論法で何でも通すのやめてほしい。「王子だから」は万能じゃない——いや、この世界では万能なのか。王政国家こわい。
こういうやりとりをしていると、殿下が本当に十七歳の男の子だと実感する。凍った王子でもなく、悪役でもなく、ちょっと不器用で、ちょっと意地っ張りで、猫が好きな十七歳。
「——分かりました。では指示を出します」
俺は深呼吸して、覚悟を決めた。前世のプレゼンだと思え。相手が社長でも部長でも、やることは同じ。現状の課題を共有し、打ち手を提案し、役割分担を決める。サラリーマンスキルの見せどころだ。
「まず必要なのは証拠です。ギルバートが前王妃の事件に関与した物的証拠。口頭の密談だけじゃ宮廷では動けない」
「当然だな」
「次に、卒業の儀までのスケジュール。ギルバートが『それまでに整える』と言っていた以上、期限はそこが区切り。逆算すると、俺たちが動ける時間は——」
「二週間もない」
ルシアンが即答する。この人、頭の回転が速い。前世で部下に欲しかったタイプの上司——いや、俺が部下か。
「そうです。だから手分けが要る。ナシェルは魔法による検証を担当。俺は宮廷の人脈から情報を集めます。そして殿下には——」
「言え」
「殿下が持っている、お母上のブローチ。あれを調べさせてください」
ルシアンの表情が固くなる。胸元に手が伸びる——そこにブローチがあるのだ。肌身離さず身につけている母の形見。
言った瞬間、空気が変わったのが分かる。さっきまでの軽いやり取りが嘘みたいに、ルシアンの目が鋭くなっている。
「ナシェルの『隠された真実を暴く』魔法をブローチにかければ、何か分かるかもしれない。分からないかもしれない。でも試す価値はある」
「……あれは母上の形見だ」
「知っています」
「壊れはしないのか」
「ナシェルに確認します。壊れるなら別の方法を探す。殿下の許可なく触りません」
そこは絶対に譲らない。前世の営業でも「お客様の大事なものには勝手に手を出すな」は鉄則だった。——まあ、前世の営業で扱ってたのはオフィス機器であって王妃の形見じゃないが。
ルシアンは長い間黙っていた。窓の外がオレンジから紫に変わり、部屋が暗くなりかける。
沈黙が痛い。でも急かさない。これは俺が口を挟んでいい沈黙じゃない。
やがて、ルシアンがブローチを外した。銀の台座に青い宝石。小さくて、質素で、王族の持ち物にしては飾り気がない。
「お前に預ける」
「殿下——」
「壊すなよ」
差し出されたブローチを、両手で受け取る。金属の冷たさが掌に広がる。ずっと殿下の体温で温まっていたはずなのに、もう冷えている。
重い。小さいのに、ずしりと重い。
九年分の感情が詰まった重さだと思えば、当然か。
「大切にします」
「当たり前だ」
ルシアンが椅子から立ち上がった。窓辺に歩いていき、紫色に染まった中庭を見下ろす。
「ハルト」
「はい」
「お前が最初に来たとき——『取り巻きですから』と言っただろう」
「はい」
「あれは嘘だったわけだ」
「半分は」
「では今のは」
「全部本当です」
ルシアンは振り返らなかった。でも、窓に映る横顔が、ほんの少しだけ緩んでいるのが見えた。
「……行け。ナシェルが待っているのだろう」
「はい。殿下も夕食を食べてください。干し肉だけじゃ栄養が偏ります」
「あれは猫の餌だ」
「知ってます。でも殿下もたまにつまんでるでしょう」
「——帰れ」
今度の「帰れ」には、棘がなかった。
扉に向かいながら、ブローチを胸ポケットに丁寧にしまう。落としたら殿下に斬られる——比喩じゃなく、物理的に。
廊下に出て扉が閉まった瞬間、どっと息を吐く。膝が震えている。プレゼン後の脱力感そのものだ。
——でも、悪くない結果だった。
王子に指示を出して、形見を預かって、生きて部屋を出られた。サラリーマンスキル、意外と異世界でも使えるのかもしれない。
次話:「母の形見が語ること」




