第15話「正義の剣の向く先」
放課後の訓練場。呼び出しの手紙が、俺の下駄箱に入っていた。
下駄箱。いや正確には「靴棚」なんだが、前世の癖でどうしても下駄箱と呼んでしまう。まあそれはいい。問題は差出人だ。
レオン・セラフィム。
聖騎士見習い。正義の化身。攻略対象の中でも一番めんどく——いや、一番信念の強いキャラ。ゲームでは「正義を貫く銀の剣」とかいう二つ名がついていて、ファン人気ぶっちぎり一位だった。俺も前世ではレオンルートを五周した。推しだった。推しに呼び出されて喜べない日が来るとは、人生何があるか分からない。
訓練場に着くと、レオンは木剣を構えたまま素振りをしていた。剣が空気を裂く音が規則正しく響いている。腕の筋肉が汗で光り、夕日が訓練場の砂塵をオレンジ色に染めていた。
絵になる。ゲームのスチルそのものだ。
「来たか」
レオンが振り向く。木剣を下ろした動作に一切の無駄がない。こういう人間は「正しいことをしている」という自覚があるから、所作まで美しくなる。
「わざわざ手紙まで入れなくても、直接言ってくれてよかったんですけど」
「二人で話したかった」
レオンの目が、まっすぐ俺を射抜く。
ああ、これ——雑談じゃないやつだ。
「ハルト・ヒースガルド。単刀直入に訊く」
単刀直入が好きな人、大体こう前置きするよな。本当に単刀直入な人は前置きなしで斬りかかってくる。
「なぜ、悪役の味方をしている」
来た。
「悪役とは、殿下のことですか」
「他に誰がいる。ルシアン・ヴァルトシュタインは前王妃——弑逆を企てた罪人の息子だ。宮廷でも学園でも監視対象。その男のそばに、なぜお前はいる」
レオンの声に怒りはなかった。むしろ、理解できないという困惑が滲んでいる。
「殿下が悪だと、あなたは本気で信じているんですか」
「信じるも何も、事実だ。前王妃の罪は法廷で裁かれ、処刑が執行されている。その血筋を引く王子が危険視されるのは当然のこと」
法廷で裁かれた。処刑が執行された。
——冤罪で。
喉元まで出かかった言葉を、俺は飲み込んだ。言えない。ゲーム知識で知っている冤罪の事実を、ここで持ち出すわけにはいかない。証拠もなしに「あれは冤罪です」と言ったところで、この正義の人を納得させられるはずがない。
「私はお前に信念を問うている」
レオンが一歩近づく。木剣の先が地面に触れ、乾いた砂が舞った。
「お前にも信念はないのか。悪に仕えることの意味を、考えたことがあるのか」
信念。
正直に言えば、俺の信念は「死にたくない」から始まっている。処刑エンドを回避したい。そのために殿下の好感度を上げている。それを信念と呼べるかどうかは怪しい。前世の信念は「定時退社」で、その前は「推しイベントの有給死守」だった。聖騎士様に聞かせたら木剣が飛んでくるだろう。
でも。
「殿下は悪じゃない」
自分の声が、思ったより硬い。
「悪じゃないと言うなら、根拠を示せ。王子が無実だと言うなら、証拠を出せ。お前はそれができるのか」
できない。
ゲーム知識は根拠にならない。「前世で乙女ゲームやってたんで知ってます」は根拠じゃなくて電波だ。
「……今は、できません」
「ならば」
レオンの目が鋭くなる。
「お前は根拠もなく悪に仕えている。それは信念ではない。ただの盲従だ」
盲従。
その言葉が、予想以上に刺さる。
だって——否定できない。俺がルシアンを信じている根拠は、ゲームの攻略情報と、実際にそばにいて見た殿下の素顔だけ。前者は話せない。後者は主観にすぎない。
「レオンさん」
「セラフィムでいい」
「セラフィムさん。あなたの正義は、罰することですか」
レオンの眉がわずかに動く。
「正義とは悪を断つことだ」
「断った後のことは、考えないんですか」
沈黙。
訓練場を横切る風が、砂埃と一緒に汗の匂いを運んできた。
「何が言いたい」
「悪を断った後に残るのが、もし無実の人間の処刑だったとしたら。あなたの正義は、その責任を取れますか」
レオンの表情が固まる。
一瞬——ほんの一瞬だけ、彼の瞳に迷いが走ったのを俺は見た。
でもそれは本当に一瞬で、すぐにレオンはかぶりを振った。
「仮定の話をしても意味はない。私は事実に基づいて行動する」
「なら俺も、自分が見た事実に基づいて行動します」
レオンが目を見開く。取り巻き風情がここまで言い返すとは思わなかったのだろう。正直、俺も自分にこんな度胸があるとは思わなかった。前世では部長に「この見積もり間違ってませんか」すら言えなかった男が、聖騎士相手に啖呵を切っている。成長なのか暴走なのか判断に困る。
互いに一歩も引けない。
正義の味方に説教されるの、前世でもなかったんだが。まあ前世で正義の味方に会ったこともないけど。
「……覚えておけ、ヒースガルド」
レオンが木剣を肩に担ぐ。
「お前がいつか間違いに気づいたとき、手遅れになっていなければいいと思っている。これは忠告だ」
その背中が訓練場を去っていく。夕陽に伸びる影が長い。
忠告。ありがたいと思うべきなのかもしれない。レオンは本気で俺を心配しているのだ。悪役に騙されている哀れな取り巻きを。あの背中に「あなたが推しでした」と言ったら振り向くだろうか。振り向いて、やっぱり木剣で殴られるだろうな。
俺は訓練場の柱にもたれて、空を見上げる。
殿下は悪じゃない。
そう言い切れる根拠を、俺はまだ持っていない。ゲーム知識以外の、この世界の中で通用する根拠を。
でも——あの人が猫に餌をやるとき、指先がかすかに震えていたこと。初めて笑ったとき、自分でも戸惑うように唇を押さえたこと。
あれが「悪役」の振る舞いだと言われて、はい、そうですねと頷ける人間が、この世界にいるとは思えない。
正義の味方を論破できなかった取り巻きは、夕焼けの訓練場で一人、拳を握り直す。
次話:「本当に悪役か」




