第11話「お前の行動が読めない」
ここ数日の成果を整理しよう。
朝のエルデ茶作戦は継続中。最初の三日間は手つかずで放置されていたが、四日目から茶器が空になって返ってくるようになった。ゲームの回収率で言えば百パーセント。好感度微増のサイン——のはず。
五日目には茶器の位置がずれていた。殿下が飲んだあと、蓋をきちんと閉めて元の場所に戻している。雑に置き去りにしない律儀さ。細かいが、こういう情報の積み重ねが攻略の精度を上げる。
図書室の詩集も三冊目に突入。殿下の好みが徐々に見えてきた。叙情詩より叙事詩、恋愛ものは読まない、自然描写が多い作品を好む。特に山岳地方の風景を詠んだ古い詩集を長く読んでいた。ヴァルトシュタイン家の領地が北方の山岳地帯だから、故郷の風景を重ねているのかもしれない。この情報をwikiに書き込みたい。存在しないwikiに。
中庭の風よけも定着して、殿下は当然のようにあのベンチに座るようになっている。俺が張った布を誰が設置したか、たぶん気づいているが何も言わない。
そして今日。
午後の講義が終わり、いつものように殿下の三歩後ろを歩いていると、ルシアンが立ち止まった。
廊下の窓から差し込む西日が、殿下の銀髪を淡い金色に染めている。振り返った蒼い瞳が、まっすぐ俺を見た。
「ハルト」
名前を呼ばれた。殿下に名前で呼ばれるの、これが二度目では? いや三度目か? もう数えていいのか分からないが、心臓は毎回正直に跳ねる。
「お前の行動が読めない」
「……はい?」
「なぜ毎朝茶を用意する。なぜ図書室の本を入れ替える。なぜ風よけを張る。なぜあの生徒を庇う。なぜ俺の三歩後ろにいる」
全部バレてた。
茶も本も風よけも、さりげないつもりだったのに。さりげなさゼロ。殿下の観察眼をナメていた。孤立した人間は、周囲の変化に敏感になるのだ。当たり前だ。ゲームの攻略wikiにも「ルシアンは周囲の異変に気づきやすいため、不自然な接触は逆効果」と書いてあった。読んでたのに活かせてない。
「取り巻きですから——」
「その答えはもう聞いた」
遮られた。ルシアンの声に苛立ちはない。純粋な疑問がある。なぜお前はそう動く、という。
これ、褒められたのか怒られたのか分からない。
「……殿下のそばで働くのが俺の仕事ですから。快適に過ごしていただけるように環境を整えるのは、まあ、当然のことかなと」
「当然ではない」
断言された。
「俺の周りにそのような行動を取る者はいなかった。命じてもいないことを、勝手に動いて、勝手に続けている。しかも見返りを求めない」
見返りは求めてる。好感度という名の見返りを。めちゃくちゃ求めてる。心の中の好感度メーターを一ミリでも動かすために毎日早起きしてるんだ、こっちは。
だが本当のことは言えない。「殿下の好感度が上がらないと俺が処刑されるので必死なんです」とは。
「見返り、ですか」
「そうだ。お前は何が欲しい」
直球で聞いてくるあたりが殿下らしい。コミュニケーションの引き出しが少ないというか、回りくどいやり取りを学ぶ機会がなかったのだ。孤立して九年、人との交渉経験がほぼゼロ。
「別に何も——」
「嘘をつくな。人間は理由なく動かない」
鋭い。この人、感情を凍らせているくせに観察力だけは異常に高い。ゲームでも「洞察」のパラメータがカンストしていた記憶がある。嘘は一発で見抜かれる。
どう答える。嘘は見抜かれる。かといって本当のことは言えない。半分だけ本当のことを言うしかない。
「……殿下が、猫に優しいのを知ってるからです」
「は?」
ルシアンが面食らった顔をした。凍った王子の仮面がわずかにズレる。
「庭で猫に餌をやってるの、見たことがあるんです。あの手つきで猫を撫でる人が、本当に冷たい人間なわけないなって。だから——まあ、この人のそばにいてもいいかな、と」
「——それだけの理由で、ここまで動くのか」
「はい」
沈黙が落ちた。
廊下の窓の外で、中庭の木が風に揺れている。葉擦れの音が遠く聞こえる。西日が廊下の床に長い影を作っていた。
ルシアンが俺から目を逸らす。窓の外の木を見ているようで、たぶんどこも見ていない。
「……変なやつだ」
ぼそっと呟いて、殿下は歩き出した。三歩。立ち止まる。振り返らずに。
「……茶は、甘いやつがいい」
それだけ言って、今度こそ歩いていった。
俺はしばらく廊下に突っ立っていた。
好感度上がってる? 上がってるよね? 今のイベントフラグ立った? 立ったよね?
ゲーム脳が暴走する。殿下から飲み物の好みを伝えられるのは、ゲーム攻略的に言えば「信頼度第一段階突破」のサインだ。こちらの行動を認識して、拒絶せず、さらに要望を伝えてきた。
「やった……!」
小さくガッツポーズ。直後に我に返る。
浮かれるな。好感度が上がったと言っても、マイナスからゼロに近づいただけかもしれない。ゲームの殿下は好感度ゲージが長すぎて、序盤の上昇幅なんて誤差の範囲だ。
でも「甘いやつがいい」は覚えた。明日から茶葉を変えよう。
部屋に戻って、羊皮紙の攻略メモに書き足す。
「好感度イベント発生?(要検証)」
「お好み:甘い茶。エルデ茶にハチミツ追加で対応」
「名前呼びあり(ハルト)。距離感変化の兆候」
ペンを置いて天井を見上げた。
お前の行動が読めない、と殿下は言った。読めなくていい。読まれたら困る。ゲーム知識で殿下を攻略しているなんて、絶対にバレてはいけない秘密だ。
でも——殿下が俺に興味を持ち始めているのは確かだ。
そのためなら、変なやつと呼ばれるくらい安いものである。なんなら前世では会社の忘年会で女装させられたこともある。変なやつの看板は慣れっこだ。
次話:「凍りきれない指先」




