第10話「殿下、それは言わないで」
魔法実技の授業は、週に二回ある。
練習場は学園の裏手にある円形の広場で、周囲を防護結界が囲んでいる。生徒が放った魔法が暴発しても被害が外に出ない仕組みだ。結界の内側は魔力の残滓で空気が甘く、鉄っぽい味が舌の奥にまとわりつく。
今日の課題は初級火球術。手のひらに炎を灯し、的に向かって放つ。
順番に生徒が火球を放っていく。上級貴族の子弟は家庭教師に仕込まれているから手慣れたもので、的を綺麗に焼いている。ルシアンの番では蒼い炎が一直線に的を貫いて、焦げ跡すら残さず消えた。出力制御が完璧すぎて逆に怖い。
フィオーレの番が来た。
「フィオーレ・アマリッティ。前へ」
教官の声に、フィオーレが緊張した面持ちで歩み出る。手のひらを前に突き出し、目を閉じて集中する。
魔力が掌に集まるのが見える——いや、集まりかけて散る。もう一度集まって、散る。ゲームのロード画面がぐるぐる回ってるみたいだ。
フィオーレの額に汗が浮かぶ。三つ編みの先が震えている。
ぼん、と音がして、掌から火球が——上に飛んだ。的ではなく、真上に。
防護結界にぶつかって弾け、火花が雨のように降り注ぐ。フィオーレが悲鳴を上げてしゃがみ込み、周囲の生徒が慌てて距離を取る。
笑いが起きた。最初は一人、二人。それがじわじわ広がって、練習場の半分が含み笑いに包まれる。
「男爵家の特待生って、あの程度?」
「家で何も習ってないのかしら」
ひそひそ声が、フィオーレの耳に届いている。彼女の肩が小さくなっていくのが見えた。
——ここだ。
ゲーム脳が警鐘を鳴らす。『蒼穹のエトワール』の序盤イベント。ヒロインが魔法実技で失敗し、嘲笑される場面。このあとルシアンが——。
「下がれ」
凍った声が広場に響いた。
ルシアンが腕を組んだまま、フィオーレの方を見ている。蒼い瞳に感情はない。事実を述べるように、淡々と。
「制御できない魔法を撃つな。周囲が危険だ」
正論だ。正論なのだが、タイミングが最悪すぎる。
フィオーレの目に涙が滲む。笑われた上に、凍った王子から追い打ちをかけられて——ゲームだとこれが「ヒロインいじめイベント」の発火点になる。このイベントをきっかけに、レオンがルシアンに敵意を向け、フィオーレがルシアンを恐れ、好感度が坂道を転がるように下がっていく。
殿下、お言葉ですがそれフラグです。処刑フラグ!
心の中で絶叫しながら、俺は二歩前に出ていた。
「殿下、それは——」
言いかけて止まる。全員の視線が俺に集中していた。取り巻きが何を言う、という空気。
言葉を選べ。ここで殿下を否定したら取り巻きとして終わる。かといってフィオーレを放置したらイベントが進行する。二択じゃない。両方を立てる第三の選択肢を出せ。ゲームにない選択肢を。
「——殿下の仰る通りです。制御は大事ですね」
まず殿下を肯定する。それから素早くフィオーレの方を向いた。
「アマリッティ嬢、大丈夫ですか。火球術は最初は誰でも暴発するもので——俺も入学初日に天井焦がしました」
嘘だ。ハルトの記憶にそんなエピソードはない。でもフィオーレの表情が少しだけ和らいだ。
「本当、ですか?」
「本当本当。あのときは教官にめちゃくちゃ怒られた」
嘘を重ねるな。でも場が和めばいい。フィオーレが袖で涙を拭いて、小さく笑う。
「練習すればすぐ上達しますよ。的に当たるようになったら教えてください」
「はい……がんばります」
フィオーレが列に戻る。周囲の含み笑いが収まっていく。
ルシアンの視線を感じる。振り返ると、殿下がわずかに眉を寄せていた。何か言いたげだが、何も言わない。
——好感度、下がってないよね? 大丈夫だよね?
授業が終わったあと、練習場の隅でナシェル・ド・フォンテーヌが一人で何かの魔法陣を描いているのが目に入った。
地面に細い光の線で複雑な図形を描いている。指先から伸びる魔力の糸が、幾何学模様を編み上げていく。周囲の生徒は誰も近づかない。天才の実験に巻き込まれるのは御免、という顔ばかりだ。
「ナシェル、何やってんの」
「解呪式の応用実験。隠蔽された情報を可視化する魔法体系の構築」
「日本語で——いや、共通語で頼む」
ナシェルの金色の目が、光の図形から一瞬だけ俺を見た。
「隠された真実を暴く魔法を作っている」
「隠された真実」
「世界には隠蔽された事実が多すぎる。魔法で偽装された記録、改竄された文書、封印された記憶。それらを元の状態に戻す術式があれば、あらゆる冤罪を——」
「冤罪?」
「仮定の話だ。研究対象として興味深いだけで、特定の事案を想定しているわけではない」
淡々と言い切って、ナシェルは魔法陣に向き直る。光の線が地面を這い、複雑な紋様を描き直していく。
冤罪。隠された真実。
ゲーム脳が引っかかる。『蒼穹のエトワール』の終盤——ルシアンの母、前王妃が処刑された「弑逆未遂」の罪。ルシアンルートでは、あれが冤罪だったと判明するはず。
ナシェルの研究が、のちにそれを暴く鍵になるのかもしれない。
伏線かどうかは分からない。ゲームの記憶が曖昧すぎて確証がない。でも嫌な予感と期待が入り混じって、胸の奥がざわつく。
教室に戻ると、フィオーレが廊下で待っていた。
「あの、ヒースガルドさん。さっきはありがとうございました」
「ハルトでいいよ。別に大したことしてない」
「でも助かりました。あの……殿下は、怖い方なんですか?」
どう答えるべきか。ゲームのヒロインは、このあたりでルシアンへの恐怖か好奇心を抱く。答え方次第でルートが変わる——いや、ここはゲームじゃない。
「怖くはないよ。言い方がアレなだけで、言ってることは間違ってない」
「……そうですよね。制御は大事ですもんね」
フィオーレが小さく頷いて、教室に入っていく。三つ編みが揺れる後ろ姿を見送ってから、俺は夕方の庭に向かった。
ルシアンが猫に餌をやっている。俺が来たのに気づいて、視線だけ寄越す。
「……あの生徒を庇った理由は」
「庇ったってほどじゃないですよ。場を丸めただけです」
「嘘をついただろう。天井を焦がしたなど」
バレてる。殿下の耳は都合よく鋭い。
「……すみません」
「別に咎めていない」
殿下が猫の背を撫でる。その手つきは相変わらず優しくて、凍った王子の異名が嘘みたいだ。
「お前は、よく喋る」
「取り巻きですから。黙ってたら空気が凍りますし」
「もう凍っている」
自分で言うな。
次話:「お前の行動が読めない」




