クリスマス編
それは、あの熱狂的なライブ会場に辿り着くよりも、もっと前の話。
中学2年生の冬、粉雪が静かに舞い散る特区の商業エリアでの記憶。
まばゆいイルミネーションの光が、白く濁った吐息を五色に染め上げていく。
その街並みの中を、俺は風を切るような大きな歩幅で闊歩していた。
ジャケットのポケットの奥深く。
かじかんだ指先が、カサリ、と乾いたシブい音を立てる紙切れに触れる。
去年のお年玉と、毎月の小遣いを血を吐く思いで貯め続けた、折れ目のない1万円札。
俺は、隣を歩く眼鏡の賢人と、太っちょの剛、そして腕に包帯を巻いた刹那の3人をチラリと一瞥した。
大人のシブい笑顔を浮かべ、眼鏡をかけていないのにそのブリッジを指先でクイッと押し上げる仕草をしてみせる。
剛、賢人、刹那の3人は、それぞれ千円札を3枚だけ財布から引っ張り出し、その薄さに肩をすぼめながらトコトコとついてくる。
3人の縮こまった背中を見下ろし、俺はフッ……と胸を張って鼻の穴から白い息を強く吐き出した。
「さすが創。お前のお年玉の貯め方は、我が脳内計算を遥かに超えているな……」
賢人は3枚の千円札を握りしめ、パニックを隠すように眼鏡をガタガタと震わせる。
「うおぉぉぉ! 当たれば場外ホームランの男、創アニキ! 今日ばかりはアニキの背中についていくぜぇぇぇ!」
剛がお腹の脂肪を不安げに揺らしながら、羨望の目を輝かせた。
「ハハハ、よせやい。まあ、付いてきな。男にはな、どうしても一つ上のステージに立って、背中で語らなきゃいけない時ってのがあるんだよ」
冷ややかな大人の余裕を演出しながら、俺は3人を従えて、きらめくデパートのガラス扉を力強く押し開けた。
その背後、入り口の自動ドアのガラスに、ぽつり、と。
日の光を浴びて、七色のプリズムを放つ一つの殻。
カタツムリのゲイリー監督が、静かに窓を這い上がってきていた。
ゲイリーの殻が、夕闇の中で、深みのある「琥珀色」にじんわりと不穏に発光し始める。
言葉は一切発しない。
ただ、その琥珀色の明滅は、底冷えするデパートの空気の中で、俺の脳の芯へ向かって真っ直ぐに突き刺さってくるようだった。
「監督……! 俺、やります! この1万円の全てを賭けて、彼女に最高のプレゼントを……!」
俺は目元に熱い涙を浮かべ、その場で背筋をピンと伸ばして直立不動の姿勢をとった。
すぐ横の床の上。
白猫のタケシが白目を剥き、金網の上で膨らみすぎたモチモチの大福のようにカチコチに固まっている。
ニワトリのアインシュタインは、自動ドアの開閉音を浴びて脳細胞がショートしたのか、口元から白い泡を吹いてその場に卒倒しかけていた。
華やかに装飾された、デパートのクリスマス特設売り場。
夕暮れのグラウンドで、ピンクの髪を揺らしたアオイに「また一緒に野球、やろうね♪」と言ってもらえた、あの日。
あの瞬間から、俺、剛、刹那、賢人の4人の胸の奥には、じわじわと怪しい炎が灯り続けていた。
剛からアオイへ。
刹那からコトネへ。
賢人からユズへ。
そして、俺から推しの娘へ。
だが、並べられた無数のぬいぐるみの前で、剛の足がピキリと凍りついた。
「……なぁ、刹那。アオイちゃんって、普段どんなものが好きなんだっけ?」
剛は3枚の千円札を財布にねじ込み、お腹の脂肪を不安げに震わせる。
「クッ、我が魔眼をもってしても、彼女たちの心の深淵までは覗き見ることができん……!」
刹那は右腕の白い包帯を強くさすりながら、視線をあちこちへと激しく彷徨わせた。
「デシベルの計算はできても、女子の好みの確率論は完全に未知数だ」
賢人が曇った眼鏡をガタガタと震わせる。
4つの影が、色とりどりのリボンが飾られた棚の前で、ただ呆然と立ち尽くした。
ポケットの1万円札は軽い音を立てるだけで、目の前のどれが正解かを教えてはくれない。
その時、デパートの棚の隙間から、ゲイリー監督がぬるりと顔を出した。
その殻が、今度は優しく、穏やかな「若草色」にじんわりと明滅を始める。
言葉は発しない。
しかし、その若草色の光は、迷える俺たちの顔面を優しく、力強く照らし出した。
「アニキ……分かりました! 自分の魂を信じます!」
俺が涙目で直立不動のポーズをキメると、3人の目にも一斉に、邪気のない炎が灯った。
「アオイちゃんは元気いっぱいだからな! 俺の一番好きな『特大肉厚ハンバーグクッション』なら絶対に喜ぶはずだぁぁぁ!」
剛はカウンターに3枚の千円札を勢いよく叩きつけ、茶色い肉の形をした巨大な布の塊を、嬉々としてリボンでラッピングしてもらった。
「コトネには、闇の眷属に相応しいこれを……!」
刹那は、黒い龍の模様がこれでもかと刺繍された『特製包帯』の箱と、どす黒い骸骨の絵が描かれた『魔界のメタルCD』を両手で強く抱きしめた。
「理系女子のユズさんには、私の愛読書『面白物理現象・デシベル計算のすべて(特装版)』を贈るのが、数学的に最も美しい最適解だ」
賢人は眼鏡をキラーンと鋭く光らせ、自分の読みたい数式で埋め尽くされた専門書を誇らしげにレジへと運んでいく。
その画面の最前列。
ペンキンのペンタくんが、彼らのあまりにも自分本位なプレゼント選びの光景を見つめ、脳のヒューズを完全に焼き切らせていた。
ブシャッ!!!
両方の鼻の穴から、特大の赤いネオンのような血しぶきが派手に噴き上がる。
ペンタくんは瞳の黒目を消失させて白目を剥き、そのまま硬直した姿勢のまま、バッタリとデパートの床に倒れ伏して動かなくなった。
社会のルールも、女子の本音も、まだ何も知らない。
「よし、俺もこの1万円の全てを賭けて、最高の魂――自分が一番大好きなゲームの限定フィギュア)を買うぞーーー!!!」
俺はそれぞれの身勝手な正解を抱えた3人の背中を追いかけ、おもちゃ売り場の長い廊下を、床を激しく蹴って猛ダッシュで激走していった。




