第六話 シジミ漁
朝日が川の水面を橙色に染める。橋の真下にある係留場で、潤子は橋守家所有の小型漁船に飛び乗った。
「隼人、夏子。行くよ」
ライフジャケットを身に着けた弟と妹に声をかけた。隼人が視線を下に向けながら、勢い良く船に飛び移る。潤子は夏子の手をとってやり、船へと引っ張り上げた。二人を後部座席に座らせ、命綱を腰ベルトのハーネスにそれぞれ装着する。
「毎回思うんだけど、猿回しのサルになった気分だよ」
隼人がブーブー文句を言ってきた。
「川を舐めないで。船に乗せる条件だってことも忘れた訳じゃないでしょ?」
「分かってるよ」
潤子自身も命綱を付けると、操舵室でエンジンをかけ、舵を切る。船がゆっくりと動き出した。
「姉ちゃんは船を動かせていいよなー。俺も早く免許欲しい」
「あと、一年我慢しなさい。そしたら嫌ってぐらい操縦できるから」
「私はお姉ちゃんと一緒にいたいから免許はいらない」
夏子は相変わらず可愛いことを言ってくれる。
潤子は川の真ん中に船を寄せ、船首を川上に向けた。
「隼人、錨をお願い」
彼は船尾に置いてあった錨を両手で抱え、静かに川の中へと下ろす。錨が水の中で歪に揺らめきながら沈んでゆく。
「姉ちゃん。下ろした」
「あんがと。じゃあいつも通り、交代でやるよ」
潤子は船の縁に置いてあった、長さが五メートルはある鋤簾を構えた。長い竿の先に、金属製の爪と網目の入ったカゴが付いている。
竿を立て、水底をごりごりと掻き出す。竿を少しだけ引き上げ上下に揺すった。これで小さなシジミは底へふるい落される。竿を一気に引き上げるとカゴにはシジミがこんもりと溜まっていた。
汐待橋一帯は橋守家が排他的漁業権を持っている。ご先祖様から受け継がれたものだ。基本、家族での漁しか認めておらず、シジミも週に一回、バケツ2杯分しか捕らないので不漁とは無縁だ。
竿の先のカゴからバケツへとシジミを移す。
「選別よろしく」
大きいシジミは高値で売れるので、定食屋では使わずに市場へ持っていく。この後、隼人と夏子が交代で鋤簾を振るうと三十分ほどで二つのバケツがシジミで埋まった。大サイズのシジミもだいぶ捕れた。
「大漁大漁」
隼人はホクホク顔だ。
「お兄ちゃん、今度は何の本を買うの? 私ね、すっごい面白そうなの見つけたんだ。一緒に本屋行こう!」
夏子は隼人を上手く操り、自分が読みたいラノベを買わせている。なお彼女自身は貰ったお金を全て株式投資に回してるらしい。父さんに口座を開設してもらって。ただ、株主優待で焼肉屋に招待してくれる優しい子だ。
船を係留し、バケツを両手で取っ手を持ちながらコンクリートで固められた土手をゆっくりと上る。もう一つのバケツを弟と妹が仲良く運んでいる。靄が立ち上る川は、キラキラと金色に輝いていた。
キッチンに戻り、母さんにバケツを届けた。
「おつかれさん。はい」
隼人と夏子にそれぞれ三千円が支給された。潤子は職員のため、支給なしだ。
「行ってきます」
潤子は制服に着替え、元気よく階段を駆け上がっていった。
――学校に着くと期末テスト成績優秀者の名前が廊下の掲示板に張り出されていた。
三年生 成績優秀者
一位 橋守潤子 773点
二位 尾崎俊 746点
……
潤子は掲示板を一瞥するとすぐに教室に入った。智子と可奈が手を振ってくる。
「お早う。潤、今回もぶっちぎりの一位じゃん」
「お早うございます。潤子ちゃん凄いですぅ」
「お早う、二人とも。面と向かって言われるとやっぱ照れる……」
潤子が席に座ると、二人が寄ってきた。
「なあ、潤ってさ。将来、どうするの? こんだけいい成績取ってれば何でもできそうだけど」
「やっぱり家業を継ぐのですか? 夢がありますねぇ。橋の暮らし」
「うーん。そうなるのかな?」
ふいに背中から男子の低い声が混ざった。
「家業継いで楽しいか? なあ。夢があるのか、それって?」
とたんに智子の眉間にシワが寄る。
「いきなり何だよ。潤に何か文句あるのか、尾崎」
潤子が振り向くと、そこには背の高い男子。いっぱい牛肉を食べてそうな、しっかりとした体つきをしてる。
彼は両手を上げた。
「他意はない。純粋に興味があったんだよ」
「人の気持ちに土足で入り込むようで、感心しませんよ」
いつもはおっとりしている可奈も、どこかピリピリしている。
潤子は不思議そうに尾崎を見上げた。
「私が答える前に、なんでそんな質問したのか聞いていい?」
今まで彼とは接点がなかったし、本当に謎だった。
「さっきも言った通りだ。興味があったんだ」
「そう。じゃあその質問には興味がないから、答えない。これでいい?」
潤子はそう答えたものの、実は尾崎の質問に、明確な回答を持ち合わせていなかった。
「とっとと向こういけよ。万年二位が」
万年ど真ん中の順位の智子が尾崎を睨みつけた。潤子が勉強を教えた成果が出たのか、今は上位よりの真ん中だ。
「悪かった。邪魔したな」
尾崎はどこか苦い顔をしながら、背中を向けた。
「でも、なんでそんなことを聞くんでしょうね? 確か尾崎さんのご両親って大きな病院を経営してて、将来安泰なのは彼の方だと思うのですが」
可奈よ。橋守は安泰ではないと言いたいのか。将来有望で、人々の生活を支えるインフラ整備の仕事だぞ。
あれ……本当にそうなのかな。今まで考えもしなかった疑問が、栞のように心に差し挟まった。
……一体、誰のために橋を維持してるのだろう。インフラといっても、潮見川には汐待橋以外にも幾つか橋が架かっていて、なんならそっちは車も通行できる。そこがなくなったら困る人もいるだろうが、汐待橋が無くなっても家族以外、困る人なんていないんじゃないかと。
――放課後になっても潤子は彼が発した問いについて、ずっと考え込んでいた。
「なあ、潤。気にするなよ」
「そうですよ。カラオケにいきましょう。潤子ちゃん?」
「あ、ごめん。今日は橋祭りの準備があるんだ」
潤子の言葉を聞いた可奈が、ニコリと笑顔を見せた。
「潤子ちゃんにも、おじいちゃんにもお礼を言わないとですね。橋祭り、家族みんなで行くことになりました」
潤子は顔を上げた。
「可奈……良かった! うちの屋台にぜひ家族みんなで寄ってって。サービスするよ。智子は彼氏と?」
「うん……でも最近、素っ気ないんだよな。実験とレポートが忙しいからって。大学生ってもっと自由じゃなかったっけ?」
智子は二つ年上の大学生の彼と付き合っている。この高校のOBだ。最近放課後の誘いが多かったのはそのせいなのか。いや、智子も受験生のはずだが。
「どうなんですかね。春の橋祭りの時は、ラブラブ光線出しながら一緒に歩いてましたよね」
可奈よ、ラブラブ光線とは。なお、彼女は一人で橋祭りに来てたっけ。
「今回は一緒に行けるか、分からないんだとさ。ベストを尽くすとか何とか言ってたけど、浮気してるんじゃね」
智子はゾーンに入ると、厄介だ。潤子自身もつい最近、あらぬパパ活疑惑をかけられたことを思い出していた。




