第五話 橋守家の食卓
「姉ちゃん、肉取りすぎ」
「あんただって。私の友達のために母さん、用意したんだよ」
潤子と隼人が牛肉を巡って火花をバチバチとしているのを尻目に、可奈と智子はクロダイの刺身とハゼの唐揚げに舌鼓を打っていた。
「あ、遠慮なくどうぞ。私は何時でも食べられますので」
「うん。肉は潤たちが食べなよ。うちも魚より肉の方が多いし」
潤子は呆然とした表情で二人に顔を向けた。
「えっ……そうなの?」
母さんが微笑みながら、魚料理に夢中な二人を眺めやる。
「お口にあうかしら?」
「「はい! とてもおいしいです!」」
父さんも麦茶の入ったコップを片手にカラカラと笑う。
「ははは。それは良かった。潤子も少しは二人を見習ってくれるといいんだが」
潤子が頬を膨らませる。
「魚は凄くおいしいよ。ただ、肉が出てくるのが少なすぎるだけ」
「昔は肉なんてものは、家畜が死んだ時ぐらいにしか食べられなかったんじゃがな」
おじいちゃんは、相変わらず遠い時代の話をしている。
ふいにお椀をテーブルに置いた可奈が、俯きがちにポツリと零した。
「……凄く羨ましいです。ここでの暮らしも。食事も」
「可奈お姉さま。それなら、一緒に暮らしませんか? 例えば、そこの兄とくっつけば橋守家の一員としてずっといられますよ」
夏子はたまにこうやって爆弾を投下する。可奈と隼人が目を合せる。二人とも顔が真っ赤だ。
「夏子、何を言い出すんだよ! その……迷惑だろ、いきなり」
「えっと。迷惑ではありませんが……はい」
なにが「はい」なのだろうか。隼人は控え目に見てもイケメンだ。バレンタインの日なんか大量のチョコを貰ってくる。ありがたく頂いているが。それに対して可奈は面食いだ。自分では気付いていないようだが。
隼人も胸が大きいヒロインが出てくるアニメばかり見ている。そして可奈は私よりかは少しだけ、いやだいぶ……止めよう。橋守にとっては機動性が第一だ。母さんは大きくて機動性も高いが。どこが大きいとは言わない。
「夏子さんや。ここで暮らしたいという意味ではないと、じぃは思うぞ。可奈さん、御両親と橋祭りに一緒に行こうって誘ってみてはどうかな?」
「えっと……両親は共働きで、迷惑かけたくないんです」
可奈は一人っ子で、いつも一人で晩ご飯を食べてるって言ってたな。
「可奈、おじいちゃんはね。助言を外したこと一度もないんだ。騙されたと思って誘ってみたら?」
「はい……」
「五合炊いたお米がもう空っぽね。作りがいがあったわ」
母さんが売り切れ宣言をした。皿の上も全て食べ尽くされている。
「「「ごちそうさまでした」」」
みんな幸せそうな顔だ。潤子は牛肉にありつけて、特に満足していた。父が可奈と智子に声をかけた。
「夜も遅いし、お友達を送っていこう。潤子も来なさい」
「えっ、まだ夜の七時ですよぅ」
「潤のお父さん、大丈夫っすよ。歩いていけるから」
「帰り道で何かあったら、君たちの親御さんに会わす顔がないから」
父さんの過保護っぷりは友達にも及ぶらしい。二人は顔を合わせ、軽く頷いた。
「それではよろしくお願いします」
可奈と智子はしじみをお土産に持たされ、家族全員に見送られ、恐縮そうにしていた。なお、可奈と隼人がお互い名残り惜しそうにしているのは見逃さなかった。
ミニバンの後部座席で、智子が口を開いた。
「しっかし潤の所ってにぎやかでいいな。うちなんて、家族全員で食事するなんて一ヶ月に一回あるかだぜ」
智子の隣に座った可奈も頷いた。
「私の所はもう一年以上ありませんね。父と母は、いつも夜遅くにイライラしながら帰ってくるんです。休みの日もぐったりで。だからお祭りなんかに誘ったら怒られるんじゃないかって」
父がバックミラー越しに可奈を見ていたが、信号待ちの時に優しく声をかけた。
「きっと、きっとすごく仕事が大変なんだろうと思う。いざ家に帰って、自分の娘が部屋に閉じこもったきりだったら、やるせない気持ちになるかもしれない。私も潤子に無視されたら橋から飛び降りて、川に流されてしまうよ」
「父さん、冗談でもそんなこと言うのやめて」
助手席の潤子が、運転席の父さんにジト目を送った。
「すまんすまん。可奈さん、ご両親になにか労いの言葉でもかけてあげてごらん。そのひと言が、親としてはとても嬉しいものだったりするんだ」
市内のマンションに着いた。可奈と智子は同じマンションに住んでいる。幼馴染み同士で、学校はずっと一緒だったらしい。二人を見送った後、潤子が独り言のように零した。
「可奈と智子、しじみのみそ汁も美味しそうに飲んでたな。明日のシジミ漁、張り切っちゃおうかな」
***
この日、可奈はマンションのリビングで、自室に籠もらずに両親の帰りを待っていた。お土産のしじみを使ったみそ汁を作って。時計の針を見ると二十二時を過ぎていた。
ガチャリと玄関のドアが開く。疲れ切った様子の可奈の母親がリビングに入ってきた。
「お母さん、お帰りなさい。しじみのみそ汁作ったから飲む? 疲れにいいらしいよ」
母親の目はぱちくりと、大きく見開いている。
「ただいま。珍しいね。あなたが料理なんて」
「同級生の友達が採ったしじみをくれたの」
「まさか」
ふいに母親が笑いだした。笑顔を見るのもいつ以来だろう。
「本当だよ。それに凄くおいしいんだから」
再び玄関のドアが開く。今度は可奈の父親が帰ってきた。
「ただいま。こんな時間に珍しいな」
「お帰り。父さん。しじみのみそ汁作ったんだ。疲れ取れるよ」
「この子ったら、友達がしじみを採ってきたって言うもんだから可笑しくって」
「本当だってば」
父親も久しぶりの笑顔を見せた。
二人が美味しそうにみそ汁を飲み始めたとき、可奈は思い切って両親に話を持ち出した。
「あのさ。来週の橋祭り、家族みんなで行きたいんだけど。やっぱ、忙しいよね……」
父親が目を見開く。そして一言。
「来週か……よし、行こう。会社はなんとか都合つける」
母親も少し涙ぐんでいるように見えた。
「私もよ。最近、どこも行けてなかったわよね」
可奈はとびきりの笑顔を見せた。テーブルの下でガッツポーズを取る。
「やった」
父親が申し訳なさげに頭を掻いた。
「実は、お前が反抗期に入ったもんだと思っててな」
母親もふぅとため息をつく。
「そうね。可奈ったら、ずっとそっけなかったし」
可奈は二人の告白に目を丸くする。
「えっ? 私はお父さんとお母さんがずっとイライラしてるようにみえたから、怖くて話かけられなかったんだよ」
三人は目を見合わせ、お椀を片手に、長い間くすくすと笑いあった。




