第三十一話 蔵の中
潤子は両親に向かって元気よく申し出た。
「父さん、母さん。有給申請する!」
役職は常務理事だが、使用人の立場でもあるため有給が使えた。ちなみに自分から申請するのは初めてである。
母さんがニッコリと笑う。
「有給を使う必要はないわよ。汐待橋守組合の代表理事として、常務理事・橋守潤子に橋守蔵の調査を命じます」
父さんも頷く。
「それなら、寝泊まりに必要なものを持って来ないとね。一度、ミニバンに戻ろうか」
泊まりも想定して、念のためキャンプ道具も持ってきてたとのことだ。父さんの用意周到さには本当に恐れ入る。
隼人が不平を鳴らす。
「姉ちゃんだけズルい。俺も泊まる!」
夏子は潤子に絡めた腕を離さない。
「私も! お姉ちゃんと一緒にいる!」
可奈と智子もオズオズと申し出た。
「「私たちもご一緒しても良いですか?」」
――こうして父さん、母さん以外は集落に残ることになった。
潤子は物陰に設置したビニールプールに温泉を引き込み、バスタオルを身体に巻いて、夕日を浴びながら湯に浸かっていた。源泉はかなり温度が高かったので、一度バケツの中で冷ましてからプールに入れた。
「うわー。極楽ー」
隣には同じくバスタオルを巻いた夏子が、パシャパシャと足で軽く湯を叩いている。
「お姉ちゃん、本当に大好き。機転利きすぎ!」
泉質のチェックは例の理事たちがしてくれた。中性の温泉で、お肌がスベスベになると言っていた。
そんな彼らは目下、集落の建物を調査中だ。少しだけ申し訳ない気もする。後でここを使って貰おう。
ビニールプールの隣に広げたブルーシートの上で、ジャージに着替えた潤子は、夏子の頭をバスタオルで拭いてやる。妹にもジャージを着せた。こうやってジャージの良さを広めていくのだ。理知的で可愛らしい顔立ちに、小豆色の体操服。うん、とても良く似合っている。
湯から出た後で、広場の切り株の椅子に腰掛けていた隼人に声をかけた。隣の可奈とスマホで何かやっている。
「隼人も温泉入る?」
「うん」
「可奈と一緒に?」
弟がむせた。つられたように隣の可奈も。仲がいいことで。
「普通、そういうのを止めるのは姉ちゃんの役目だろ!」
隼人が頬を緩ませながら睨んでくる。ややこしい奴だ。
「別にいいじゃない。あんただって、昔は私と一緒に入ってたんだし」
横で微笑ましそうに眺めていた可奈が、急に凍りついた。しまった。
だが彼女はすぐに戦う乙女のような顔をして、おもむろに隼人の手を引っ張っていく。
「隼人くん、一緒に行こう。バスタオルで包めば平気」
「ちょっ!」
「隼人、あんたのタオルも荷物の中に入ってるから」
こうして二人は手を繋ぎながら物陰へと歩いていった。後はよろしくやってくれ。
智子がやってきた。温泉プールの方へと向かう二人を微笑ましそうに眺めながら、声をかけてくる。
「本当に仲がいいな」
「智子の方はどうなの?」
彼女は何も言わず、右手の薬指を見せた。そこに彼氏が作ったというルビーが輝いている。ほうとため息が出た。
「その指輪くん、早く左手の薬指に引っ越し出来るといいね」
「そのときは、新しく買ってくれるってさ。無理しなくてもいいのに」
そんなこんなで、夜になるとみんな広場に集まってきた。空を見上げると、そこには満天の星々。天の川も見える。
コンロの中で、モウとした熱を発しながら赤に染まる炭火。潤子はその側で焼きそばを頬張った。山形がビール片手に今日の調査結果を共有してくれた。
「どうやらここは橋職人の里のようでした」
潤子は山形の方へと顔を向けた。こんな山奥に? 思わず聞き返してしまう。
「職人の里、ですか?」
「ええ。大きな橋をかける技能は、当時は重宝されていましたからね。とある大名の隷属状態で橋の建立を強制されていた職人たちがいましてね。彼らが逃げ込んだ先が、この里だったと」
……もしかしておじいちゃんは、その職人さんたちが崇め奉っていた神様だったのかもしれない。なんなら、率先して逃げ出すのを手助けしてそうだ。明日、聞いてみよう。
その考えは、いったん脇に置いておくことにした。山形には別の疑問をぶつけた。
「もしかして里逢橋も、彼らの手によって建立されたんでしょうかね?」
「おそらくそうでしょう。時の藩主はきっと聡明な方だったと思います。ここに住んでいた職人を見つけだした際に、罰するのではなく手厚く保護して、彼らの技術を上手く有効活用したのではないかと」
なるほど。初代橋守もそのことを聞いて、駆け落ち先にここを選んだ可能性が高いかもしれない。それで橋の建立にも手を貸した、というか自らが音頭を取ったのか。
潤子は話を続けた。
「そう言えば、この地方は汐待橋だけでなく、結構いろんな場所に橋が架かっていると聞いたことがあります」
山形は赤ら顔で頷く。
「その通りです。他の地方と比べると架かっている橋の数が異様に多かった。蔵にそこら辺の記録も残っているかもしれません……明日、問題がなければ、調査をします。楽しみですな」
――翌日の明け方には、山形たちは蔵の前にいた。普段から早起きの潤子と隼人と夏子も。智子と可奈はまだ夢の中だ。
蔵の中からガスマスクを被った女性理事が現れた。おもむろにサムズアップする。
「問題ありません。オールグリーンです」
山形も強く頷いた。サムズアップして返した。
「それでは行きましょうか」
ジャージから作業着に着替えた潤子が、ヘッドライトをつけた。幾つもの函が立ち並んでいた。檜特有の心地よい残香が漂っている。その奥の隅っこに、ボロボロになった畳が二畳敷かれていた。あそこでおじいちゃんと初代が酒盛りをしていたのだろうか。
函には橋守家の家紋である波文様が刻印されていた。山形がそれをまじまじと確認している。
母さんに家紋を見せてもらったときのと全く同じだ。その写真は山形に送ってある。
「やはり橋守家が遺した函のようですな。檜に守られてますから、中身も問題ないのではと」
檜の防虫効果は抜群だし、湿気もコントロールしてくれる。
「全ての調査が終わった後、この蔵が橋守家所有のものであることは私が証明しましょう。それでは開けます」
神妙な顔の山形が、慎重に函の蓋を外す。
中には紐で閉じられた紙の文書が、ぎっしりと収められている。手袋をはめた山形がその中の一冊を取り出すと、そっと頁を開いた。
「こ、これは……!」
潤子も覗き込んだ。橋の図形が描かれている。山形に尋ねた。
「橋の設計図ですかね?」
その問いに山形が興奮気味に答えた。
「正にそうです! 滅多にお目にかかれない資料です。こんな良い状態で保存されているとは……」
彼は他の理事二人にも声をかけた。
「君たち。手分けして中身を検分しよう。応援が必要かもしれん。潤子さん、すまないが調査が終わるまでは、触れないでいてくれると助かる。めぼしいものが見つかった場合は、こちらから声をかけるから」
ここはプロの手に任せた方がいいだろう。潤子はただ頷いた。
「潤子さん、これ!」
女性理事からすぐに声がかかる。何事かと彼女の元へと近寄ると、一人の少女を描いた浮世絵を手に持っていた。
その女性はどこか自分に似ていると思うと同時に、以前、おじいちゃんが言っていたお紗夜さんだと直感した。




