第二十七話 目標達成
潤子が朝起きたら、目標の一億円を突破していた。
「夏子ー。夏子ー」
彼女はそう叫びながら階段を駆け上り、キッチンを抜け、リビングへ顔を出す。まだ誰もいない。そのまま、回れ右をして、夏子の部屋へと向かった。
部屋の前で、奥ゆかしいアーチ型の木の扉をノックした。暫くすると扉が開き、夏子が目を擦りながらパジャマ姿で現れた。
「お姉ちゃん?」
「夏子、大変。寄付金が目標額を超えた!」
その言葉で、夏子の目がパッと開く。
「中に入って」
部屋の端に幅広のワークデスクと四台のモニター。横にちょこんとラノベが積まれていた。
デスクと反対側の本棚には、ぎっしりビジネス書と経済関係の本が収められている。そのほとんどが、父さんから譲り受けたものらしいが。
床には乱雑に積まれたノートの山。どこかの学者の部屋だと言われても、驚かない自信がある。
夏子はパソコンを立ち上げ、クラファンサイトの管理画面を開く。彼女はぽつりと呟いた。
「……なるほど。大口の寄付で、総額の八割を占めてるね。大林さん、仕事してくれたんだ」
恐る恐る妹に尋ねた。
「これも想定通りってこと?」
「こんなに早く集まるのは、流石に想定外だよ」
夏子曰く、大林のツテを使ってセレブたちに寄付をしてもらうよう頼んでおいたそうだ。その彼は『女子高生一人のワガママで、橋を直したいって言いふらしておきますよ。勿論、おじいちゃんのことは内緒で』と、答えたとのこと。
それを聞いて、顔が熱くなった。
「まるで私が駄々っ子みたいじゃん……」
「お姉ちゃん。建前より本音を直接ぶつけた方が、案外人って動いたりするよ。まあ、寄付金控除があるのも大きいとは思うけど」
朝五時に橋守家の朝食が始まった。
「「「頂きます!」」」
ハゼの唐揚げを摘まんでいると、ふいに父さんが口を開いた。
「昨日、町役場にまた行ってきた。橋守家所有と思われる蔵を見つけたので、立ち会いの元、開けさせてくれって」
「役場の人は何て?」
「了解だそうだ。町の方からも担当をつけると言っていた」
「父さん。それなら、一緒に『古き善きものを愛でる会』の理事たちを連れていって欲しい。歴史関係のプロだし、彼らに独占調査権を渡すことになってる」
「ああ、分かった。逆に来てもらえると助かる。都合の良い日が決まったら一緒に行こう」
***
――その日の朝、尾崎は父の書斎で親子二人、向き合っていた。
「珍しいな。お前から声をかけてくるなんて。勉強の方は進んでいるか?」
父はどこか面白そうに彼を見やる。
「うん。ぼちぼち頑張っている。その……父さんにお願いがあって」
父はフムと、考え込むように顎に手をやり、その先を促した。
「言ってみなさい」
「俺のために貯めてくれたお金、使っていいか?」
「何に使うんだい?」
「寄付をしたい。橋を直すための」
そう言うと、スマホを渡した。潤子が画面の中で橋の寄付を呼びかけている。
「ほう……なんだお前、フラれたのか」
「それは関係ないから……」
「まあいい。今はお前の金だ。好きにしなさい」
「恩に着る。それともう一つ」
「なんだ?」
「お金を貸してほしい。最大で一億円」
父は一瞬、黙った。そして重く、どこか訝しげな響きを孕んだ声で聞き返してくる。
「……橋への寄付か? お前だけでやることじゃないだろう、それは」
「分かってる。貸してくれるなら、医者になった後、利息を付けて返すから」
尾崎の頭に潤子の顔が思い浮かぶ。仮に貸して貰った場合は、彼女とは別の道を歩むことが確定する。テーブルの下で、その拳は固く握りしめられていた。
父は、考え込むようにスマホを操作した。そして、おもむろにニヤリと笑った。
「もう金は必要ないぞ。それより早くしないと、寄付できなくなるかもしれないな」
そのままスマホを尾崎に返してくる。その画面を見た彼は、思わず声が漏れた。
「なっ……!?」
――――――――――
現在の支援総額:172,068,500円
現在の支援者数:19,241人
……
※ストレッチゴール二億円へ到達した時点で寄付の受付は終了します。
――――――――――
尾崎はおもむろにソファから立ち上がると、元気な声を出した。
「父さん。取り敢えず、ありがとう!」
そう言うと、ドアの方へ勢いよく駆けていく。一人書斎に残された彼の父は、独り言ちた。
「ふむ。私も一千万くらい寄付しておくか。受けもよさそうだしな」
***
――潤子は、欄干のフックにしっかりと固定されたロープにぶら下がり、橋桁の点検をしていた。
橋の上には物凄い人数のギャラリーが彼女にスマホを向けながら、その様子を見守っている。父さんが欄干のフックの周りにカラーコーンに置き、その中に入らないよう、彼らにお願いしていた。
「すごい人だかり。えらいことになったな……」
潤子は、点検用ハンマーを橋桁の壁に軽く叩きこみながら、思わずボヤいた。
そう言いながらも、手際よく担当範囲の点検を終わらせる。
「ファンサービス? しといた方がいいのかな……」
そう小さな声で呟いた潤子は、ロープをよじ登り、欄干の上に上半身を覗かせた。
その姿勢のまま、くるりと前転する。膝を折り曲げ、器用にふくらはぎを欄干の上に乗せた。腹筋に力を入れ、一気に上半身を引き起こし、欄干に腰掛ける。
腰ベルトに付けたロープの緩みを確認した後、両手で欄干を掴む。そして腕を垂直に伸ばし、身体を浮かせた。折り曲げた足を胸に抱え、欄干に踵をつける。そのまま大きく跳び上ると、前方宙返りを決め、スタっと綺麗に着地する。最後に横にしたピースサインを顔の前でスッと引いた。
(決まった。潤子スペシャル1号!)
「おおー」
「かっけー」
ギャラリーからは歓声と拍手が沸き起こった。だが父さんは、俯きがちに片手を額に当て、首を横に振っていた。
「お姉ちゃーん」
夏子の声が、遠くから聞こえる。声のする方へと振り向くと、彼女が息を切らせながら走ってきた。潤子を囲むギャラリーを丁寧に掻き分けながら、カラーコーンの中に入ってくる。
「あのね。お姉ちゃんのスポンサーになりたいっていう企業が出てきたの。それも三社」
夏子がスマホを差し出してくる。例の祭りアイドルサイトだった。いつの間にか、祭りアイドルランク3位に浮上している。そう言えば神ランクトップスリー以上はスポンサーが付くとかなんとか言ってたっけ。
「えっと、私に?」
スポンサーやりたいなんていう物好きは、どんな企業なんだろう。まさか、この汐待橋の利権狙いか? それだけは絶対に駄目だ。スポンサー表明した企業一覧ページに目をやった。
「何これ……凄い」
どれも超の付く、大手ゼネコン企業ばかりだった。今現在、クラファンで募集している里逢橋の修繕にぜひ協力させて欲しいという内容だ。スポンサー表明してくださった企業の皆さま、疑って本当に申し訳ありませんでした。




