第二十五話 夏子の策略
潤子は昨夜の二十時には布団に入り、泥のように眠っていた。微かな朝日の光とともに目が覚める。ダイバーウォッチを顔の前にかざす。四時だった。
スマホを取り出し、なんとなく尾崎に魚のスタンプを送った。すぐに既読になり、良く分からないカワウソのスタンプがスマホの画面にピコンと現れた。思わず笑みがこぼれる。
「まだ起きてるんだ」
身だしなみを整えてリビングへと向かうと、すぐさま夏子に絡まれた。
「お姉ちゃん、今日はちゃんとした格好をしておいて」
「え、どうして?」
「クラファンの寄付金の受け入れ先へ挨拶に行くから。可奈お姉さまにも既に了承は貰ってある」
「可奈がどうして? それに今日は……」
隼人とデートのはずでは?
弟を見ると、どこかゲンナリとしている。
「姉ちゃん、俺も行くよ。夏子に『お姉ちゃんに協力して』って泣かれた」
夏子よ。あまり弟を振り回すものでないぞ。そんな妹は、腕に絡んできて嬉しそうに告げた。
「『古き善きものを愛でる会』に行くからね。お姉ちゃん、そこで代表理事に会って」
――昼過ぎ。市営バスの中に潤子たちはいた。潮見市の北側にあるというNPO法人事務所へと向かうために。隣には、うなだれた弟が座っている。妹に可奈の隣の席は取られてしまっていた。
前の席で夏子が、その隣に座る可奈へ、マシンガンのように質問を浴びせている。暫く経った後に、ようやく質問が止んだ。
「ありがとうございます。攻略の糸口は掴めました。というか、大丈夫そうですね」
何が大丈夫なのだろうか。妹は満足そうに一人頷いている。
「夏子、どういうことかもう一度、説明してくれる?」
今朝方、クラファン関係で動くから付き合えと言われたっきりだった。
「集めた資金を最高効率で運用するために、これから寄付金の受け入れをお願いしに行くんだ。あそこって、認定NPO法人だし」
夏子の説明では、うちの一般社団法人だと、寄付した側の寄付金控除が認められないし、クラファンの手数料も高くなるし、仮に決算またぎで寄付金を持ち越した場合、税金もえらいことになるそうだ。
「でも、それだけだと橋の修繕の指揮管理が出来ないから、ついでにお姉ちゃんを『古き善きものを愛でる会』の特認理事にして下さいって、これから交渉しにいくの」
おい。この妹はなんて無茶振りを仕掛けてくるんだ。
「そんなの、認めてくれる訳ないじゃん」
「そこはお姉ちゃんの腕の見せどころ。それでね。代表理事は大学の教授で、他の理事はその元教え子だって可奈お姉さまに教えてもらったの。代表理事さえ口説き落とせば、きっと他の理事さんも『いいえ』とは言わないと思う」
それでね、じゃないよ全く。この小学生は、どこでそんな知識を得たんだ。やっぱり投資絡みか?
停留所を下りた潤子たちは、町のはずれにある古いビルの一室の前に立った。ドアの横に立て札がかかっている。白いワンピースを着て、慣れないヒールを履いた潤子は、頭に被った麦わら帽子を胸に抱え直した。
可奈がノックする。
「教授ー。おられますかー。みなさんお連れしました」
暫くしてドアが開いた。その隙間から三十代くらいの女性が顔を覗かせた。すぐにその女性は、にこやかな顔になる。
「あら、可奈ちゃんいらっしゃい。教授は中にいますよ」
「こんにちはー」
中に入ると、資料や本が雑多に積まれており、少し埃の匂いがした。中には初老の男性が、二十代くらいの若者となにやら話し込んでいる。ふいに、その初老の男性が顔を向けた。
「おー、よく来てくれた。あなたが橋守さん?」
「はい。橋守潤子と申します。こちらが弟の隼人と、妹の夏子です」
潤子たち三人は頭を下げた。
「私はここの代表理事の山形です。この二人にも理事をやってもらってます」
窓際のテーブルに案内された。お茶が差し出される。山形は終始にこやかだ。
「可奈君。伝承の橋の発見、お手柄だよ。それで橋の修繕で集める寄付金の受け付けと、もう一つお願いがあると」
「はい、その話は潤子ちゃんにしてもらおうかなと」
いきなり話題を振られた。せめて考える時間が欲しかった。
潤子は山形に一礼する。
「要点だけ説明すると、橋は近い内に崩落します。その修繕のためにクラウドファンディングで寄付金を集める予定です。資金を出来るだけ橋の修繕に回すため、受け入れ窓口をお願いしたいのです」
それを聞いた山形は、表情を変えずに一度だけ頷いた。
「取り敢えずは分かりました。それでもう一つのお願いとは?」
来た。ええーい。ままよ。
「大変失礼なお願いになるのですが。受け入れた資金の運用のため、橋を修繕する間だけ、私を理事にして頂けませんか?」
静寂が支配した。みんなポカンとした顔をしている。
「……流石に、それは……ちなみに幾らくらい集める予定ですかな?」
そうなるよね。うん。分かっていた。
「最低でも一億円。上限は二億円を考えています……」
女性の理事がお茶を吹いた。申し訳ない。
「勿論、資金の支出は理事会と会計監査の場でオープンにします。それと橋の修繕で、ご迷惑もおかけしません」
自分の所の常務理事になって、理事会に参加するようになったので、そこら辺の塩梅は心得ている。
「いや……可奈君の友人を疑ってる訳ではないのだが、額が額だけに……五百万くらいだと思ってた」
やはり駄目か。それはそうだ。一億円を預かるだけで指を咥えて見てろと言われたら、自分だって拒否する。よし、切り札を切るか。とっておきのやつを。
「勿論、ただでとは申しません。実はですね。橋の近くに蔵が見つかったんです。私のご先祖様の、橋を建てた張本人の」
その言葉を聞いた山形の目がギラリと光った気がした。前のめり気味に食いついてくる。
「それは本当かね?」
可奈がすかさずスマホを見せる。
「本当です。これです」
そこには古い土蔵と『橋守蔵』の木札が映った写真。ナイスアシスト。潤子は畳み掛けた。
「おじいちゃん……祖父の話だと、そこに橋の資料が眠っているとのことです。もしこの話を受け入れて頂いた暁には、山形さん……いえ、この会の皆さんに独占調査権をお渡ししたいと思います」
彼らはその提案に、くわっと見開いた目を見せた。お、いい感じだ。
「山形さんには学術顧問として、橋の修繕の監修にも加わって頂きたく。謝礼もお渡しします。理事のみなさんも教授のアシスタント、どうですか?」
まるで投資詐欺の勧誘をしている気分だ。断じて詐欺ではないが。山形と他の理事の見開いた目が輝きはじめた。もう一息か。
「わが一族の、江戸時代から続く、秘伝の補修技術もお見せします」
その技術は潤子スペシャル3号ではない。決して。見せてもいいが。
山形と理事の二人は、身体をプルプルと震わせていた。ここで山形が厳かに口を開く。
「今から理事会を開会……」
理事二人が同時に声を出す。
「「賛成!」」
山形がニコニコしながら、潤子を見つめる。
「ということで、決まりました」
何が決まったのだろうか。
潤子は、理事たち三人に心配そうな顔を見せた。
「……あの、議題は?」
「あ、ああ。橋守潤子氏を橋の修繕期間の間、特認理事に迎える。以上、理事会の閉会を宣言する」




